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文家の不祥事は誰のせい? - チェ・サンウ

2010/08/10 (Tue) 23:36:49

サライさん

僕は、文家の不祥事は、別にサライさんが責任を負わなくてもいいと思っています。でも、サライさんは責任を感じていて、どうしてそう思うのか知りたいです。

「真理について語ろう 」のコメント数も100を超えて、読み込みに時間がかかるので、専用のスレを立てました。ここで続きをやりましょう。

>人間や宇宙という存在に対して「原因」と言うものが、あるかないか「わからない」と言う意味か、
>結果としての人間や宇宙は認め、その原因となるもの(神とか仏とか物質とかサムシンググレートとか)があると思うがどんなものかは「わからないの」か

僕は原因は何かあると考えています。でも、その原因が何なのかは「分からない」と言う立場を取っています。

>ないと教えてもらいました。また霊界には地上界の全ての動物は存在すると聞いてます。しかしこれは肉体を脱いで霊界に行った霊体ではなく、霊界にのみ存在するものです。
>私は見て確認できないので信じてます。

僕は確認できないものについては、「分からない」と言う立場を取りますが、統一原理では「ない」と教えているのですね。

Re: 文家の不祥事は誰のせい? - サライ

2010/08/11 (Wed) 01:04:13

>文家の不祥事は、別にサライさんが責任を負わなくてもいいと思っています。でも、サライさんは責任を感じていて、どうしてそう思うのか知りたいです。

チェ・サンウさんがだんだん解って来たので、
結論を先に言います。
先にも書いたように私の原理観なので、理解できないと思いますので、理解したいと思うならば質問してください。

まず天使とその役割が関係しています。原理によれば天使はアダムとエバの養育係であり親でないけれど保護者のような立場として創造されました。
しかし堕落により人類はサタン(ルーシェル天使長)の子女の立場に立つようになりました。いいかえれば血統的に肉体を持った悪天使の立場に立ったのが人類であり私自身です。
また天使にはルーシェルの手先になった悪天使と、ルーシェルに屈しなかった善の天使がいます。
この善の天使が創ったのが宗教であり、神様の復帰摂理の足がかりとなり、メシヤを送る基盤です。肉体を持った悪天使である人間を善の天使に復帰する役目を持っています。
神はそのような基盤ができた後にメシヤを送ることを摂理してこられました、これがメシヤの為の基台というものです。
イエスの降臨のときの中心宗教はユダヤ教でした。イエスはアダムの立場でありその信徒は善の天使の立場です。堕落は地上にも種をまかれたので、地上にも本然の天使の役目をする、アダムを養育し保護する善の天使が必要でした。肉体を持った悪天使(背後のサタン)がアダムを殺そうとするからです。

しかし、この善の天使の不信によりその責任を果たすことができず、イエスは殺されました。(このことが文家に不祥事が起こったことと同意です)

このときイエスは個人でしたが、今は家庭の十字架・心情の十字架と言う形で現れます。

まだ続きがありますが、もっと複雑になります。とりあえずこの辺で納得いきますか?

ちょっと勘違いがあると思います(というか、とらえ方が違います)、失敗したのは私で、責任を負ったのは文家です。
簡単にいうと子供が問題起こして責任を取れないときは親が責任を取るというのと同じです。








Re: 文家の不祥事は誰のせい? - チェ・サンウ

2010/08/12 (Thu) 01:11:56

サライさん

>先にも書いたように私の原理観なので、理解できないと思いますので、理解したいと思うならば質問してください。

要は、天使長ルーシェルと悪天使がいて、ルーシェルと悪天使がサタンなんですね。このサタンがアダムを殺すと。そして善の天使であるユダヤ教徒が、不信したからイエス・キリストが殺されたと。そして、善の天使であるキリスト教徒が不信したから文家に不祥事が起きるのですね。

サライさんはクリスチャンですか?でも、ここは善の天使を統一協会員として、統一協会員が不信したから文家に不祥事が起きると解釈するのですよね?

>ちょっと勘違いがあると思います(というか、とらえ方が違います)、失敗したのは私で、責任を負ったのは文家です。
簡単にいうと子供が問題起こして責任を取れないときは親が責任を取るというのと同じです。

捉え方を間違えてしまいました。結局、サライさんが起こした問題の責任を文家が取るということですね。

でも、引っかかるところがあります。「イエス・キリストが失敗した」なんて言うと、知り合いのクリスチャンから怒られますが、ここは失敗したものとします。イエス・キリストの失敗はイエス・キリスト本人から十字架にかかったのではなく、ユダヤ教徒たちによってそのような状況に追い込まれたのですね。つまり、他人から強制的に避けられない状況に追い込まれたということです。

それに対して文家の不祥事は、例えば、孝進にしては麻薬は誰かが勧めたと思いますが、自己責任で断ることもできたはずです。麻薬に手を出すという摂理でもあれば話は別ですが、どんな摂理か知りたいです。イエス・キリストは十字架にかかることを断ることができなかった。それに対して蘭淑さんは、孝進が麻薬をやったり暴力をふるわなければ、離婚する必要はなかったと思います。孝進の麻薬や暴力はサタンが孝進を操ったのでしょうか?

ここで、韓定食さんのコメントを引用します。

>『サタンは元来、血統的な因縁をもって堕落した人間に対応しているのであるから、あくまでも人間自身が、神の前に出ることのできる一つの条件を立てない限り、無条件に彼を天の側に復帰させることはできないのである。
一方においてサタンも、これまた人間の創造主が神であることを熟知しているので、堕落人間自身に再びサタンが侵入できる一つの条件が成立しない限りは、かかる人間を無条件に奪っていくことはできないのである。
それゆえ、堕落人間は彼自身が善なる条件を立てたときには天の側に、悪なる条件を立てたときにはサタンの側に分立される。』(原理講論より)
>文家の人間にサタンが入ったのは、本人が悪なる条件でも立ててサタン側に分立されたのではないですか?(もちろん私は原理を信じていませんが)
統一協会の霊能者によれば、サタン(ルーシェル)は1999年に説得されて天使の位置に戻ったそうですが、それ以降は誰が文家を讒訴しているのですか?

http://kitagamitetsu.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=2957685

ちょっと韓定食さんのコメントは難しいけど、結局文家の不祥事の責任は文家自身にあるようです。だから、サライさんが文家の不祥事のことで自分を責める必要はありません。

話は変わりますが、琉歌さんのコメントを引用します。

>全てを捧げての20数年。貴方よりもずっと修羅場をくぐり抜けてきた信者です。
その母が「今まで信じてきたものは何だったの?」と泣き崩れたこの心の痛みを
簡単に、サタンや信仰不足で片付けてもらいたくありません。

http://kitagamitetsu.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=3135747

お母さんが統一協会員だったようです。20年も信じてやってきたから、それだけに時間と労力とお金の出費は激しかったと思います。

そもそも、人間は見返りを求めてしか行動できません。僕もこの掲示板に書き込むのは、ある見返りを求めているからです。琉歌さんのお母さんも自分が捧げたものが大きかっただけに、統一原理が嘘と分かった時のショックは大きかったと思います。このようなショックを避けるために、琉歌さんのお母さんの信仰生活に比べれば微々たるものですが、北上君やENOCK君は、なんだかんだ原理批判に屁理屈をつけるのです。

僕は神様がいるかどうかに対しては、基本的に「分からない」と言う立場を取っていますが、状況に応じて、「いる」と言ってみたり、「いない」と言います。つまり、三枚舌です。このコメントでは「いる」という立場を取ります。そして、どこにいるかも分かります。

本当の神様は、文家の不祥事のことで自分を責めているサライさんを見て悲しんでいると思います。

Re: 文家の不祥事は誰のせい? - サライ

2010/08/13 (Fri) 09:32:23

チェさん

>そして、善の天使であるキリスト教徒が不信したから文家に不祥事が起きるのですね。

これは、文先生の最初の離婚に当たります。

しかし、統一教会を立ち上げた以降はキリスト教徒に変わるのが統一教会員ということになります。

それともうひとつ原理的に理解してもらわないと説明が難しい部分があります。
原理講論P409
「イエスが洗礼ヨハネの使命を代理する」
をご覧下さい。
メシヤとして誕生しながらも善の天使長の立場を代理するという原理があります。

ですから、統一教会を率いておられる時の文先生はメシヤでありながら、善の天使長の立場を代理されていたということがいえます。

この辺はどうですか?知っていましたか?


>それに対して蘭淑さんは、孝進が麻薬をやったり暴力をふるわなければ、離婚する必要はなかったと思います。孝進の麻薬や暴力はサタンが孝進を操ったのでしょうか?

この麻薬や暴力に対しては私は見ていないので、「分かりません」という立場ですが、離婚は事実ですので受け入れなければなりません。
この夫婦にサタンの侵入があったと思っています。

>文家の人間にサタンが入ったのは、本人が悪なる条件でも立ててサタン側に分立されたのではないですか?

可能性はありますが、不思議ではありません。

アダムエバの堕落前は、サタンの存在はなかっと原理ではとらえます、(善悪二元論ではないと言うことです)。その状態でも堕落の事件があったという事実をみれば、愛の完成が十分でなければ堕落と言う事件は起こると言うことです。

この辺を理解するには
原理講論P75
被造世界の創造過程とその成長期間

P112
愛の力と原理の力および信仰のための戒め
P125
自由と堕落
P129
神が人間始祖の堕落行為を干渉し給わなかった理由

を読んでみてください。


>サタン(ルーシェル)は1999年に説得されて天使の位置に戻ったそうですが、それ以降は誰が文家を讒訴しているのですか

その他の悪天使と悪天使に誘導される悪霊人体と地上界にいる肉体を持った悪天使です。

>そもそも、人間は見返りを求めてしか行動できません。

これが私自身もいまだに格闘している信仰生活における戦いです。
一つ一つの言動を内省して勝敗を確認しています。
教会で使う「勝利」と言う表現は、こういうことを言っているはずです。これは「天和堂」という亨進さまの本に赤裸々に書かれています、手に入るのであれば読んでみて下さい。

>本当の神様は、文家の不祥事のことで自分を責めているサライさんを見て悲しんでいると思います。

これは、あたっていると思います。

結局、どんな事情にしろ苦しむ人間の傍らにあって、一緒に悲しみ、喜ぶのが親としての神様の立場であり、
たとえそれが殺人者だとしても、寄り添いながら自分が創造した(産んだ親)という責任を負って泣いておられるのが神様の姿です。ですから、地獄にいる最後の一人まで天国に連れて行かない限り神様の苦悩は終わりません。
これが、キリスト教の救いの概念と決定的に違うところでもあります。




Re: 文家の不祥事は誰のせい? - サライ

2010/08/13 (Fri) 15:49:16

>そもそも、人間は見返りを求めてしか行動できません。

このことに対する反論を一つ・・・

チェさんは子供がいますか?

子供の為にする行動は、見返りを求めているだろうか?
と言うことです、
親が子を愛する行動は見返りを求めているとはいえないと思います。実際、私も育ててみて実感することですが、ただ愛しているんですね、見返りなど期待したことがありません。かえって十分に愛せない親としての不足を感じるばかりです。
子供にお金と時間、教育などの投入をしますが、損したとは思いません。

これは、原理的に言えばアダム・エバが堕落するまでの期間は、神様から愛された愛の基準が残っているからだと言えます。神の愛を不十分ながら人間は相続しているという証に他なりません。


Re: 文家の不祥事は誰のせい? - チェ・サンウ

2010/08/13 (Fri) 20:52:05

サライさん

>チェさんは子供がいますか?

僕は独身です。でも、婚約者はいます。

>子供の為にする行動は、見返りを求めているだろうか?
と言うことです、
親が子を愛する行動は見返りを求めているとはいえないと思います。実際、私も育ててみて実感することですが、ただ愛しているんですね、見返りなど期待したことがありません。かえって十分に愛せない親としての不足を感じるばかりです。
子供にお金と時間、教育などの投入をしますが、損したとは思いません。

サライさんのおっしゃる通りです。僕の認識が甘かったです。

でも、この点は、人間は自分にとって都合のいい人だったら無償で奉仕できると言いかえることもできそうです。親にとって子供は都合のいい存在だし、子どもにとっては親が都合のいい存在だと思います。他人の子供や地球の裏側の顔も見たことのない子に、無償で奉仕しようなんて思わないですよね。

実の子でも、一たび都合が悪くなったら、愛してるとか無償で奉仕しようなんて気はなくなると思います。実際に、世間では親が子を殺したり、子が親を殺す事件が起きてますね。

なんか悲観的なことを書いていますが、ここで悲観的にならずに自分の子どもを愛しいと思うならば、その気持ちは大切にして素直にかわいがればいいと思います。ただ、このような愛の性質をしっかり押さえておくことが大事だと思っています。子どもを持ったことがないので、何とも言えませんが。

なつみちゃん

子ども作ろ。

Re: 文家の不祥事は誰のせい? - サライ

2010/08/13 (Fri) 23:31:57

チェさん

なつみちゃんは、あなたにとって都合のいい人ですか?

Re: 文家の不祥事は誰のせい? - チェ・サンウ

2010/08/15 (Sun) 21:32:01

サライさん

>なつみちゃんは、あなたにとって都合のいい人ですか?

もちろんです。でも、なつみちゃんも一たび僕にとって都合が悪い存在になったら、なつみちゃんへの思いはどうなるか分かりません。

都合がいいというのは、統一原理を信じてない点と、僕のネット漫才に付き合ってくれる点です。

前のコメントで書き忘れましたが、自分の子供がかわいくて、親が自分から犠牲になるというケースもあるようです。親が子供を愛するのも、都合がいい存在+子どもへの執着心があると思います。その執着心ゆえに自らを犠牲にするのだと思います。

先に挙げた親が子供を殺す事件は、都合が悪くなって子どもへの執着心が無くなったから起きるのだと思います。さらに付け加えると、貧困に困って親が子どもを売ることも、子どもへの執着が無くなって、自分の生活と子どもを秤にかけた結果だと思います。基本的に人間は、自分が一番かわいいのです。

子どもがどれだけグレても、見捨てないのは執着心からだと思うのですが、子どもを育てたことがないので分かりません。

サライさんも、例えば自分の子どもが反発ばかりして、殺人犯になっても愛せますか?

ここでも、悲観的なことを書いていますが、自分は子どもを愛していても、その愛にはこのような性質があることを知った上で、子どもを愛すればいいと思います。でも、この点は子どもがいないので何とも言えません。

なつみちゃん

子ども作って一緒に育てよ。

まりんちゃん

「フラレたこと認めろ」ってツッコミ入れないでね。

Re: 文家の不祥事は誰のせい? - サライ

2010/08/16 (Mon) 00:35:52

なつみちゃん へ はじめまして

チェさんはこのように言っています

>なつみちゃんは、あなたにとって都合のいい人ですか?

もちろんです。でも、なつみちゃんも一たび僕にとって都合が悪い存在になったら、なつみちゃんへの思いはどうなるか分かりません。


これって、女心としてどう?

現実は違うかもしれないけど、理想的関係(永遠に変わらない愛の関係)を私達の本心は願うんじゃないかと思うけど。

韓流ドラマお得意の純愛を尊く思うんじゃない?


チェさんも本当は純愛の世界を本心は渇望しているから韓ドラ好きなんじゃないの?

Re: 文家の不祥事は誰のせい? - なつみ

2010/08/16 (Mon) 20:50:41

サライさん

>>もちろんです。でも、なつみちゃんも一たび僕にとって都合が悪い存在になったら、なつみちゃんへの思いはどうなるか分かりません。
>これって、女心としてどう?

チェ・サンウさんは正直だと思います。私たち人間は常に自己中心的で、自分の利益しか考えていません。チェ・サンウさんが紹介してくれた初期仏教の本を読むとそのように思えてきます。

結局、私も彼氏が好きなのは自分にとって都合がいいだけです。でも、このようなことは、なかなか表に出せることではありません。それをあえて自分に当てはめて表に出すチェ・サンウさんは偉いと思います。

サライさんの言う「女心としてどう?」については、結局、そのようなことを言う男性は女性にとって都合が都合が悪いからどう思う?と取れます。サライさんも女性としてそのようなことを言う男性は都合が悪いのですよね。私はできませんが、ありのままです。

サライさんこそチェ・サンウさんの次のコメントについてはどう思うのですか?

>前のコメントで書き忘れましたが、自分の子供がかわいくて、親が自分から犠牲になるというケースもあるようです。親が子供を愛するのも、都合がいい存在+子どもへの執着心があると思います。その執着心ゆえに自らを犠牲にするのだと思います。

>先に挙げた親が子供を殺す事件は、都合が悪くなって子どもへの執着心が無くなったから起きるのだと思います。さらに付け加えると、貧困に困って親が子どもを売ることも、子どもへの執着が無くなって、自分の生活と子どもを秤にかけた結果だと思います。基本的に人間は、自分が一番かわいいのです。

>子どもがどれだけグレても、見捨てないのは執着心からだと思うのですが、子どもを育てたことがないので分かりません。

>サライさんも、例えば自分の子どもが反発ばかりして、殺人犯になっても愛せますか?

チェ・サンウさんのコメントの一番大事なところだと思います。サライさんこそ、ENOCKさんや好雄兄さんみたいに、女心でごまかすのですか?

チェ・サンウさんの言葉を借りれば、サライさんも自己の内省が足りない理想主義者にすぎません。でも、私もまだまだ自己内省が足りません。

Re: 文家の不祥事は誰のせい? - チェ・サンウ

2010/08/16 (Mon) 22:51:54

サライさん

>現実は違うかもしれないけど、理想的関係(永遠に変わらない愛の関係)を私達の本心は願うんじゃないかと思うけど。
韓流ドラマお得意の純愛を尊く思うんじゃない?

もちろん韓流ドラマの純愛にはあこがれます。

>チェさんも本当は純愛の世界を本心は渇望しているから韓ドラ好きなんじゃないの?

渇望しています。韓流ドラマ最高です。

でも、韓流の純愛に憧れていても、現実は違います。かつて、真流一の会に洗脳されかけたときにそこの教祖が、「ドラマの世界の純愛は嘘だー!そんなもんに憧れるから神経症(心の病気)になるんだー!」って言ってました。カルト教祖の言うことでも、この部分はその通りだと思います。真流一の会の教義は基本はほとんど浄土真宗で、「一の会教祖は、人間の罪悪を説くのは、正当派よりうまいかもしれない」と真流一の会の元幹部が言っていました。

純愛ドラマも純愛を渇望して作りだされたと思います。でも、人間には純愛ドラマのヒーロー・ヒロインにはなれません。無理になろうとすると神経症になりかねないです。

話は変わって、というかこのスレのメインテーマだけど腹の底を訪ねると、サライさんも文家の不祥事も対岸の火事ではないのですか?北上君とENOCK君と元・腰抜けサタンズのヒロシ君にとっても対岸の家事のはずです。文家の不祥事も文家の自業自得ということは韓定食さんが証明しています。

ここで、韓定食さんのコメントを再掲載します。これに対する返答は絶対ください。何度も言いますが、文家の不祥事は文家の自業自得です。サライさんが責任を感じる必要はありません。

>『サタンは元来、血統的な因縁をもって堕落した人間に対応しているのであるから、あくまでも人間自身が、神の前に出ることのできる一つの条件を立てない限り、無条件に彼を天の側に復帰させることはできないのである。
一方においてサタンも、これまた人間の創造主が神であることを熟知しているので、堕落人間自身に再びサタンが侵入できる一つの条件が成立しない限りは、かかる人間を無条件に奪っていくことはできないのである。
それゆえ、堕落人間は彼自身が善なる条件を立てたときには天の側に、悪なる条件を立てたときにはサタンの側に分立される。』(原理講論より)
>文家の人間にサタンが入ったのは、本人が悪なる条件でも立ててサタン側に分立されたのではないですか?(もちろん私は原理を信じていませんが)
統一協会の霊能者によれば、サタン(ルーシェル)は1999年に説得されて天使の位置に戻ったそうですが、それ以降は誰が文家を讒訴しているのですか?

http://kitagamitetsu.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=2957685

これを受け入れた方が気が楽になります。それこそ神経症になりかねないです。北上君やENOCK君、元・腰抜けサタンズのヒロシ君みたいに対岸の火事にするべきです。この韓定食さんのコメントに対する感想は必ずください。

なつみちゃん

>チェ・サンウさんは正直だと思います。私たち人間は常に自己中心的で、自分の利益しか考えていません。チェ・サンウさんが紹介してくれた初期仏教の本を読むとそのように思えてきます。

>結局、私も彼氏が好きなのは自分にとって都合がいいだけです。でも、このようなことは、なかなか表に出せることではありません。それをあえて自分に当てはめて表に出すチェ・サンウさんは偉いと思います。

ありがとう。さすが僕の婚約者・・・。ってこんなこと言うと、まりんちゃんからツッコミが来るね。

なつみちゃんは結構、自己内省ができてるよ。僕なんてまだまだ。

Re: 文家の不祥事は誰のせい? - サライ

2010/08/17 (Tue) 07:42:57

なつみさん チェさん

>サライさんの言う「女心としてどう?」については、結局、そのようなことを言う男性は女性にとって都合が都合が悪いからどう思う?と取れます。サライさんも女性としてそのようなことを言う男性は都合が悪いのですよね。私はできませんが、ありのままです。

サライは男性です、ご紹介が遅れてスイマセン。

>「女心としてどう?」

の本意は、都合がいいか、悪いか、という事だけでころころ変わってしまう人間(男女)関係ってどう思うか?と言うことです。

確かに現実の社会をみればエゴの塊ですね、個人・社会・国家まで、自己の利益中心で動いている世界です。

こういう社会の中で、あなたの本心は、喜んでいるか?納得しているか?と言うことを聞きたかったんです。

純愛ドラマにでてくる愛の形を見て、あなたの本心は、喜こんでいませんか?憧れていませんか?と言うことを聞きたかったんです。

理想はいつも心の中にあって、常に現実と言う壁にぶち当たります。
ここで、妥協する人間と、突破しようと、身もだえする人間の二つに分かれると思います。

私は後者です。

家の夫婦の関係を紹介しましょう。
お互い、原理を聞いて真理に違いないと思って、マッチングを希望しました。
結婚式の前日に初めて会いました。うちの奥さんは私個人の女性の理想からは180度かけ離れた人でした。
私にとって完全に「都合の悪い人」でした、最初は一緒の部屋で同じ空気を吸うこと自体耐えられませんでした!「神様本当にこの人が私の相対者ですか?間違いないですか?」と何度も祈ったものです。
それから20年以上たちました。今では、毎朝ブチューッとキスをして一日が始まります。

この結婚後の経験は、少なくとも原理で言う理想が現実に定着してきたと感じることの一つです。
妥協し、無視し続けていたらこういう結果は見ることはできなかったと思います。










Re: 文家の不祥事は誰のせい? - サライ

2010/08/17 (Tue) 07:54:37

チェさん

先のレスで答えていますがもう一度コピペします。
疑問があったらまた質問下さい

>そして、善の天使であるキリスト教徒が不信したから文家に不祥事が起きるのですね。

これは、文先生の最初の離婚に当たります。

しかし、統一教会を立ち上げた以降はキリスト教徒に変わるのが統一教会員ということになります。

それともうひとつ原理的に理解してもらわないと説明が難しい部分があります。
原理講論P409
「イエスが洗礼ヨハネの使命を代理する」
をご覧下さい。
メシヤとして誕生しながらも善の天使長の立場を代理するという原理があります。

ですから、統一教会を率いておられる時の文先生はメシヤでありながら、善の天使長の立場を代理されていたということがいえます。

この辺はどうですか?知っていましたか?


>それに対して蘭淑さんは、孝進が麻薬をやったり暴力をふるわなければ、離婚する必要はなかったと思います。孝進の麻薬や暴力はサタンが孝進を操ったのでしょうか?

この麻薬や暴力に対しては私は見ていないので、「分かりません」という立場ですが、離婚は事実ですので受け入れなければなりません。
この夫婦にサタンの侵入があったと思っています。

>文家の人間にサタンが入ったのは、本人が悪なる条件でも立ててサタン側に分立されたのではないですか?

可能性はありますが、不思議ではありません。

アダムエバの堕落前は、サタンの存在はなかっと原理ではとらえます、(善悪二元論ではないと言うことです)。その状態でも堕落の事件があったという事実をみれば、愛の完成が十分でなければ堕落と言う事件は起こると言うことです。

この辺を理解するには
原理講論P75
被造世界の創造過程とその成長期間

P112
愛の力と原理の力および信仰のための戒め
P125
自由と堕落
P129
神が人間始祖の堕落行為を干渉し給わなかった理由

を読んでみてください。

Re: 文家の不祥事は誰のせい? - なつみ

2010/08/17 (Tue) 21:41:21

サライさん

>サライは男性です、ご紹介が遅れてスイマセン。

男でサライなんてキモいです。

>の本意は、都合がいいか、悪いか、という事だけでころころ変わってしまう人間(男女)関係ってどう思うか?と言うことです。

もちろん嫌です。こんな人間関係が好きな人はいません。

>確かに現実の社会をみればエゴの塊ですね、個人・社会・国家まで、自己の利益中心で動いている世界です。

確かにそうです。人間は自己中心的な生き物だから、自分の利益中心で動きます。

>こういう社会の中で、あなたの本心は、喜んでいるか?納得しているか?と言うことを聞きたかったんです。

納得も何もこんな社会に生まれてしまった以上仕方ありません。

>純愛ドラマにでてくる愛の形を見て、あなたの本心は、喜こんでいませんか?憧れていませんか?と言うことを聞きたかったんです。

憧れます。

>理想はいつも心の中にあって、常に現実と言う壁にぶち当たります。
ここで、妥協する人間と、突破しようと、身もだえする人間の二つに分かれると思います。

私は前者になります。でも、妥協というか自分の心を内省すれば人間というものが分かってきて後者を実行することが無理なことが見えてきます。

>家の夫婦の関係を紹介しましょう。

20年たってると言うことは40過ぎてるのですよね。「毎朝ブチューッとキス」なんて、キモいです。

>この結婚後の経験は、少なくとも原理で言う理想が現実に定着してきたと感じることの一つです。
妥協し、無視し続けていたらこういう結果は見ることはできなかったと思います。

統一原理というよりも、パートナーに対する独占欲と執着心からです。

チェ・サンウさん

>なつみちゃんは結構、自己内省ができてるよ。僕なんてまだまだ。

私もまだまだです。チェ・サンウさんこそ自分をさらけ出して、よく内省していると思います。

Re: 文家の不祥事は誰のせい? - サライ

2010/08/17 (Tue) 22:39:05

なつみさん

>男でサライなんてキモいです。
なんで?サライという歌、知らないですか?

>納得も何もこんな社会に生まれてしまった以上仕方ありません。

仕方なく生きる人生って楽しいと思いますか?

無理に見える理想や純愛の世界を実現させるために、現実(妥協しようとする心)と闘うのが楽しいんじゃないでしょうか?生きる価値を見出せるんじゃないでしょうか?




Re: 文家の不祥事は誰のせい? - チェ・サンウ

2010/08/17 (Tue) 22:59:58

サライさん

>サライは男性です、ご紹介が遅れてスイマセン。

な~んだ。サライって旧約聖書に出てくるアブラハムの奥さんだから、女性かと思った。なんか、サライさんはせつない女性というイメージで、

>このことを知ったときは本当にショックでした
5年ぐらい祈れなくなりました。
>いまの正直な気持ちは、私自身が悪かったから、こうなったと思っています。申し訳ないという気持ちです。

こんなこと言われたら、何としても自分のせいにする必要はないことを教えなきゃって張り切ってたけど、男だったなんて。だったら、たまにはエロDVDを見たり、ピンサロやストリップへ行きたくなりますよね?

今まで黙っていましたが、僕は霊媒師の子孫です。昨日、文孝進と文興進が僕に乗り移って言いました。

「オレたちが死んだのは、サライと北上とENOCK、好雄兄が不信仰だからだー!オレたちの命を返せー!サライと北上とENOCK、好雄兄。オレたちが死んだ責任を取れー!!!」

本題に入って、

>の本意は、都合がいいか、悪いか、という事だけでころころ変わってしまう人間(男女)関係ってどう思うか?と言うことです。

ころころ変わらない人間(男女)関係は憧れますが、そんな関係ができるのですか?

>確かに現実の社会をみればエゴの塊ですね、個人・社会・国家まで、自己の利益中心で動いている世界です。

では、エゴの塊ではなく自分の利益を中心にしない世界ができるのですか?できるならば、どうやったらできますか?

>こういう社会の中で、あなたの本心は、喜んでいるか?納得しているか?と言うことを聞きたかったんです。

喜ぶも何も、こういう社会に生まれたことは、ありのまま受け入れるしかありません。そのままです。

>純愛ドラマにでてくる愛の形を見て、あなたの本心は、喜こんでいませんか?憧れていませんか?と言うことを聞きたかったんです。

もちろん、憧れます。純愛ドラマをイメージしてなつみちゃんに恋しています。ネット漫才に対してネット恋愛ですね。ネットのソナタ。ここに主人公を支えてくれる女友達がいるのが理想的だけど、僕の場合はまりんちゃんが「あきらめろ~」ってツッコミを入れてきます。

>理想はいつも心の中にあって、常に現実と言う壁にぶち当たります。
ここで、妥協する人間と、突破しようと、身もだえする人間の二つに分かれると思います。

僕は妥協の部類に入ります。でも、自分の心をよく内省したら、身もだえすることも、所詮欲によることが見えてきます。

>この結婚後の経験は、少なくとも原理で言う理想が現実に定着してきたと感じることの一つです。
妥協し、無視し続けていたらこういう結果は見ることはできなかったと思います。

僕は結婚したことないから何とも言えませんが、相手に対する独占欲と執着心から来るのだと思います。相手に執着すればするほど愛しくなって、20年経っても好きでいられるのだと思います。統一原理の神様も6000年間、人間を救おうってやってたから、並みの執着心ではないですね。

なつみちゃんも、こう言ってるし。

>統一原理というよりも、パートナーに対する独占欲と執着心からです。

さすがなつみちゃん。それでこそ僕の婚約者。

>しかし、統一教会を立ち上げた以降はキリスト教徒に変わるのが統一教会員ということになります。

結局サライさんが不信をしたから、文鮮明は崔先吉さん(最初の文鮮明の奥さん)と離婚をしたわけですね。あと、北上君とENOCK君と、好雄兄君の不信仰もそうですね。ENOCK君に至っては、「真の御家庭」は完成してないかもしれないなんて、自分の責任を文鮮明一家になすりつけるから不信仰もいいところですね。

>この辺はどうですか?知っていましたか?

「お父様」が天使長の立場なんて知らなかったです。サライ原理ではないですよね?統一原理は用語があいまいだから人によっていろいろな解釈ができます。北上君と好雄兄君、ENOCK君、前まで書き込んでたヒロシ君がそうです。ヒロシ君に至っては原理解釈をめぐって北上君とけんかしてこの掲示板を去りました。脱会者の間でも原理理解が統一されていません。不統一原理ですね。

>この麻薬や暴力に対しては私は見ていないので、「分かりません」という立場ですが、離婚は事実ですので受け入れなければなりません。
この夫婦にサタンの侵入があったと思っています。
>>文家の人間にサタンが入ったのは、本人が悪なる条件でも立ててサタン側に分立されたのではないですか?
>可能性はありますが、不思議ではありません。

結局サタンが入ったことを認めるのですね。だったら、孝進が悪なる条件とやらを立ててサタン側に分立されたのですね。

>アダムエバの堕落前は、サタンの存在はなかっと原理ではとらえます、(善悪二元論ではないと言うことです)。その状態でも堕落の事件があったという事実をみれば、愛の完成が十分でなければ堕落と言う事件は起こると言うことです。

結局、「真の御家庭」といっても、愛の完成は十分ではなかったのですね。ENOCK君の言うとおり完成していないのですね。

>けれど、文先生に関しては、家庭完成はまだしていないかもしれません。「かも」とつけたのは、文先生に反発していた子女がいたことが事実であり、その方が今どうしているのか
私は詳しく知らないからです。一つになってない状態では、
もちろん完成とは言えません。

http://kitagamitetsu.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=3148369

Re: 文家の不祥事は誰のせい? - サライ

2010/08/17 (Tue) 23:10:31

チェさん

結局、私の持った感情の説明は納得がいったんですね?

Re: 文家の不祥事は誰のせい? - チェ・サンウ

2010/08/18 (Wed) 23:31:33

サライさん

>結局、私の持った感情の説明は納得がいったんですね?

サライさんが言う感情には納得しています。ゆえに、我々は苦しんでいます。「人生苦なり」です。

Re: 文家の不祥事は誰のせい? - ENOCK URL

2010/08/19 (Thu) 10:25:07

横レスになりますが、

>相手に対する独占欲と執着心

って夫婦の間では良いことなんだと思いますよ。
夫婦は互いを独占するようにできているって。
むしろ執着心をなくして「飽きる」ことから問題が起こる。
もし、お互いが同時に飽きれば問題がないじゃないかという人は「子ども」の存在を考えていないです。

Re: 文家の不祥事は誰のせい? - チェ・サンウ

2010/08/19 (Thu) 22:11:48

ENOCK君

違うよ。

Re: 文家の不祥事は誰のせい? - ENOCK URL

2010/08/20 (Fri) 01:21:24

チェ・サンウさん

もちろん、「自由にしていい」という意味での独占ではありません。「自分の都合だけ」を考えた執着でもありません。
互いが、相手を唯一絶対の存在として認め合い、尊重し合い、何より愛し合うという意味で考えているのですが、あえてそのまま「独占」と「執着」という言葉を使ったのです。

正しい方向で用いれば
独占⇒唯一性、執着⇒永続性につながると考えられます。

いかがでしょうか。

Re: 文家の不祥事は誰のせい? - サライ

2010/08/21 (Sat) 01:13:55

ENOCKさん

援護射撃ありがとうございます。

言葉を変えれば、「責任」でしょうね
相対理想絶対圏です。

チェさん

>サライさんが言う感情には納得しています。ゆえに、我々は苦しんでいます。「人生苦なり」です。

「我々」ってチェさんも入るの?
なんで苦しむのか意味不明?
チェさんって不思議な感覚をおもちですね?

Re: 文家の不祥事は誰のせい? - 北上哲

2010/08/22 (Sun) 00:04:59

サライさん

僕にも負債はありますが、ENOCKさんが献金も金額を勝手に決めるような都合のいい信仰生活をしていることが大きいと思います。

Re: 文家の不祥事は誰のせい? - なつみ

2010/08/24 (Tue) 21:16:53

サライさん

>なんで?サライという歌、知らないですか?

そんな古そうな歌は知らないです。さすがオジサンですね。

>仕方なく生きる人生って楽しいと思いますか?

産まれてきてしまったのは仕方ないけど、私は仕方なく生きてるわけではありません。

>無理に見える理想や純愛の世界を実現させるために、現実(妥協しようとする心)と闘うのが楽しいんじゃないでしょうか?生きる価値を見出せるんじゃないでしょうか?

本当にそう思っていますか?結局、自分の都合がいい間は楽しんでいられます。都合のいい信仰生活をしているENOCKさん然りです。

Re: 文家の不祥事は誰のせい? - サライ

2010/08/24 (Tue) 22:35:12

なつみさん

「サライ」は、確かこんどの24時間テレビで流れるはずです聞いてください。いい歌ですよ。

>私は仕方なく生きてるわけではありません。


生きるために食べるのか?

食べるために生きるのか?


なつみさんはどっち?

どっちが良い生き方だと思いますか?

Re: 文家の不祥事は誰のせい? - なつみ

2010/08/26 (Thu) 20:50:40

サライさん

>「サライ」は、確かこんどの24時間テレビで流れるはずです聞いてください。いい歌ですよ。

そんな古い歌は知らないです。

>なつみさんはどっち?

私は、生きるために食べています。

>どっちが良い生き方だと思いますか?

どちらがいいとかは、分かりませんが、食べないと私たちは死んでしまいます。

Re: 文家の不祥事は誰のせい? - チェ・サンウ

2010/08/29 (Sun) 22:31:02

サライさん

>「我々」ってチェさんも入るの?

もちろん入っています。

>なんで苦しむのか意味不明?
チェさんって不思議な感覚をおもちですね?

意味不明も何も、我々は何でも自分の思い通りにしたいです。でも、思った通りにならないから苦しみです。サライさんも自分の子どもを思ったままに育てたいと思っていますよね?でも、現実は思った通りに育ってくれない。病気にもなりたくないのに、なってしまうこともそうだと思います。

他にもサライさんからの質問があったと思うのですが、ENOCK君に腰抜けサタン君たちがいかにおかしいかを身をもって知ってもらうために、しばらくこの掲示板への投稿は控えてました。だから、返答逃しがあったら教えてください。

Re: 文家の不祥事は誰のせい? - サライ

2010/09/01 (Wed) 10:38:19

チェさん


>サライさんが言う感情には納得しています。ゆえに、我々は苦しんでいます。「人生苦なり」です。

私の感情に同意してもらってると思ったんですが、

一般論だったようですね・・・


お釈迦様も文先生も
「人生苦なり」が原点です。

ねみんな苦しみからどうすれば抜け出せるか必死に祈り考えたのですね。

私はインドのブッダガヤに行ってきましたが、お釈迦様が教えを説かれた環境的背景には苦労の度合いが激しくとても耐えられないリアルさがあったと思います。40度以上の灼熱の中で、人がばたばた死んでいく光景が日常的だったと推察します。
 ですからどちらかと言うと、お浄土で楽に暮らすという「苦」から逃避する、40度のインドは耐えられないと感じていたから、ガンダーラがどかにあってそこに行きたいという願望が仏教思想の背景ではないかと思います。

一方、文先生の誕生当時は戦争と共産主義の背景が強かったと思います。ですから原理講論をみても闘争概念が背景にあるのを感じます。そしてサタンに勝利して天国を勝ち取るという主張が色濃く出ていると感じます。
韓国ドラマの「野人時代」をご存知ですか?これをみれば当時の韓半島事情がよくわかります。また思想の恐ろしさもよく理解できます。

また、どこかのスレッドでUCはキリスト教でないとか儒教とか論争がありましたが、
私は、東大に来ていた韓国人の社会学者に原理講論を呼んでもらったことがありますが、これは儒教の要素がとても強いと言われました。
儒教的教えを聖句を使って解説しているような感じでしょうか?

ちなみに儒教は地上天国思想だと思います、死んだ人に対しては「千の風になって」の歌詞のような死生観です。だから先祖崇拝です、一緒に生きているという感覚でしょう。


チェさん

自分に都合の良い生き方をして、「苦」から解放されると思われますか?

それは、難しいと言うことを人間の醜い歴史が証明しているではないでしょうか?

わたしも、原理に従っていきることが「苦」から解放される道かどうか100%はっきりわかりませんが、そうできるかもしれないと言う直感にしたがって、また希望を抱いて、今を生きています。

宗教者が歩んだ、儒教仏教2500年・キリスト教2000年の歴史を経てもいまだに人間の「苦」はかわりません。

だったら自分の人生を原理の道に賭けてみようとしてるだけなんですね。本当に納得いく天国がどこかに存在するなら今日にでも私はそこに行きます。

私は、こういう信仰観で生きています。

Re: 文家の不祥事は誰のせい? - チェ・サンウ

2010/09/01 (Wed) 23:37:58

サライさん

>私の感情に同意してもらってると思ったんですが、
一般論だったようですね・・・

一般論というかサライさんは苦しんでないのですか?

>ですからどちらかと言うと、お浄土で楽に暮らすという「苦」から逃避する、40度のインドは耐えられないと感じていたから、ガンダーラがどかにあってそこに行きたいという願望が仏教思想の背景ではないかと思います。

ガンダーラのことはよく分かんないけど、人間はみんな楽して暮したいと思っています。サライさんが統一原理を信じて、逮捕される覚悟で霊感商法をやるのも、この苦労の後に楽が待っていると期待しているからです。

>自分に都合の良い生き方をして、「苦」から解放されると思われますか?

自分に都合の良い生き方をして、かつ自分にとって都合の良い状態が続けばそこには苦はありません。

>わたしも、原理に従っていきることが「苦」から解放される道かどうか100%はっきりわかりませんが、そうできるかもしれないと言う直感にしたがって、また希望を抱いて、今を生きています。

誰も苦しみたくないから、なんとか苦しまなくてもいい方法を模索するものですね。僕もそうです。でも、原理に従って生きることが苦から解放されるかどうかは、100%分かります。

解放されません。余計に苦しみが増えます。なぜなら統一原理はデタラメだからです。ただ、地上天国といいことは言っています。例えば、理想の車を作るのにデタラメな設計図に基づいて作った車に乗りますか?それと同じです。統一原理の理想は素晴らしいけど、デタラメな教えに従っても実現できません。そして、自分の心をよく内省してみてください。確か、邪心か堕落性だったと思いますが、無くせてる実感はありますか?統一原理が言うところの清い人間に自分はなれると思っていますか?

>宗教者が歩んだ、儒教仏教2500年・キリスト教2000年の歴史を経てもいまだに人間の「苦」はかわりません。

いつの時代でも人間は苦しみます。

>だったら自分の人生を原理の道に賭けてみようとしてるだけなんですね。本当に納得いく天国がどこかに存在するなら今日にでも私はそこに行きます。

人間は誰でも天国のようなところに行きたいです。僕はあるかどうかは分からないという立場を取っていますが、あるなら行きたいです。

原理に賭けるのならば、信仰の自由なので僕はもう何も言いません。ただ、霊感商法とか強引な勧誘と、強引に勧誘された人への高額献金、あと、祝福による強制結婚はやめてください。それさえやめて、一般市民に迷惑をかけないならば僕も統一原理はデタラメなどとは言いません。浄土真宗華光会は教義は浄土真宗正当派からは異端です。でも、社会的に問題を起こしていないので僕も華光会の人に「華光会は異端だ!」と言うつもりはありません。

http://kitagamitetsu.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=3204746

ENOCK君は都合のいい信仰生活をして、献金額も自由に決めていてそれが信仰生活では当たり前みたいなことを言っていました。強引な勧誘はしないで、入りたい人だけが来るようにして、高額献金や結婚相手を強制しない統一協会作りを目指してください。ちなみに浄土真宗華光会は、特に布教活動はしないで、来るもの拒まず、去る者追わずの精神でやっています。献金のノルマもありません。

みんながみんなENOCK君のような都合のいい信仰生活ができれば、統一協会はこれほど社会から叩かれないと思います。

ENOCK君

>>>って夫婦の間では良いことなんだと思いますよ。
夫婦は互いを独占するようにできているって。
むしろ執着心をなくして「飽きる」ことから問題が起こる。
もし、お互いが同時に飽きれば問題がないじゃないかという人は「子ども」の存在を考えていないです。
>>違うよ。
>もちろん、「自由にしていい」という意味での独占ではありません。「自分の都合だけ」を考えた執着でもありません。
互いが、相手を唯一絶対の存在として認め合い、尊重し合い、何より愛し合うという意味で考えているのですが、あえてそのまま「独占」と「執着」という言葉を使ったのです。

「違うよ。」ってのは君の反応を見るためのおとりだったけど、自分の都合を抜いた執着って何?自分の都合を抜いた執着を君は持てるの?それで、ENOCK君は相手を唯一絶対の存在って尊重できるの?そして、できてるの?今までの議論から、君が本当にそこまで考えてたか怪しい。独占欲や執着って一般的にマイナスな意味があるけど、君が言うような意味があるんだったら、「違うよ」の前から書いとけよな。

確かに夫婦がお互いに執着心を無くして飽きれば、夫婦が成り立たなくなるね。人間、結局自分が一番かわいいから、子どもも都合が悪くなったらどうでもよくなるよ。かわいいって言ってられるのも執着心があって都合のいい間だけだと思う。子どもいないから分かんないけど。

まりんちゃん

一緒に子ども作って、この仮説確かめよ。

Re: 文家の不祥事は誰のせい? - ENOCK URL

2010/09/02 (Thu) 02:25:12

チェ・サンウさん

>自分の都合を抜いた執着って何?自分の都合を抜いた執着
>を君は持てるの?それで、ENOCK君は相手を唯一絶対の存
>在って尊重できるの?そして、できてるの?

信じられないでしょうが、それこそが信仰を持つ大きなメリットの一つだと思います。自分の都合で選んだ相手ではなく、神様によって選ばれた相手なので、神様への信仰が保たれる限り相手への愛も失われることはありません。
このあたりはサライさんもおそらく共感頂けるところだと思います。

私が統一教会に来ていなければ、当然そのようにはできなかったですし、そんなことがありえるなど信じることすらできなかったでしょう。

>独占欲や執着って一般的にマイナスな意味があるけど、君
>が言うような意味があるんだったら、「違うよ」の前から
>書いとけよな。

ごめんなさい。あえて一度誤解を与えるためにそのように書いたのです。普通の宗教はマイナスを消そう・なくそうとします。あるいはそこから避けようとします。けれど、なくすのではなく、方向を変えることでプラスに転じさせる、それこそが究極の信仰だと思うからです。

人間の欲求には理由があります。悪いことを望めば実現を阻まれ苦しくなります。悪いことを望んでしまうのはつまるところ、どのように生きるべきかを知らないがために、欲求の正しく向かうべき方向を見失っている状態と言うことができるのではないでしょうか。欲望そのものが悪いわけではありません。
そのように考えてみれば、自己の欲望にあるがまま向き合うという仏教的なスタンスとも調和が取れてくるように思うのです。

>原理に賭けるのならば、信仰の自由なので僕はもう何も言
>いません。ただ、霊感商法とか強引な勧誘と、強引に勧誘
>された人への高額献金、あと、祝福による強制結婚はやめ
>てください。それさえやめて、一般市民に迷惑をかけない
>ならば僕も統一原理はデタラメなどとは言いません。

>ENOCK君は都合のいい信仰生活をして、献金額も自由に決
>めていてそれが信仰生活では当たり前みたいなことを言っ
>ていました。強引な勧誘はしないで、入りたい人だけが来
>るようにして、高額献金や結婚相手を強制しない統一協会
>作りを目指してください。ちなみに浄土真宗華光会は、特
>に布教活動はしないで、来るもの拒まず、去る者追わずの
>精神でやっています。献金のノルマもありません。

その通りだと思います。「自分たちは地上天国を創るのだから多少強引なことをしても・・・」などと考えるとしたら思い上がりも甚だしいというものです。

私の主張の主たるポイントもまさにここにあります。
統一教会に反対する人々は何かと理屈をつけて「原理」を批判してきますが、非難されるべきは「原理」ではなく信者の行動そのものであり、教会組織の活動そのものです。

教会人たる前に常識人たれ。教会人たる前に人格者たれ。常識の欠落、人格のゆがみはおおいに指摘され、批判されるべきです。そして、教会は信徒に対してそのような観点からの指導も徹底するべきです。

ところが、キリスト教会の牧師や共産党員による反対運動の結果、今に至るまで反統一教会運動には変に教義批判が混ざりこんでしまって、実際の行動に対する検証が却ってぼけてしまっています。教義がでたらめだから信者がおかしな行動をする??おかしい人間は何を信じていても(いなくても)おかしいものです。それがわずかばかりでも改善されるならばむしろ良いこととなるでしょう。教会にいるおかしな人は、もとはまともだったのでしょうか、それとも、昔よりは「まし」になったのでしょうか。そのような比較検証もなされぬまま、奇天烈な教義批判を先行させる結果、教会にとっても、反教会側にとっても不毛な消耗戦が繰り返されてしまうのです。

>まりんちゃん

>一緒に子ども作って、この仮説確かめよ。

ぜひ確かめてみて下さい。応援します。

あのような反対活動では教会はなくなりません。今のままの教会では良くないと思っているから、ある意味私も反統一教会の人間です。統一教会をなくすのではなく、統一教会の「害」をなくすと発想を切り替えていくならば、教会反対運動も有意義なものとなるでしょう。

Re: 文家の不祥事は誰のせい? - ちゃぼ

2010/09/02 (Thu) 04:29:53

ENOCKさん

>私の主張の主たるポイントもまさにここにあります。
統一教会に反対する人々は何かと理屈をつけて「原理」を批判してきますが、非難されるべきは「原理」ではなく信者の行動そのものであり、教会組織の活動そのものです。


すみません。論理展開がよく分からないのですが。
チェ・サンウさんの話の本質を受けていないのに、「私の主張の主たるポイントもまさにここにあります。」と言ってチェ・サンウさんの話に沿っているかのように書くと、おかしなことになりますのでお気を付けください。

「統一原理」という理念に沿って行動するのが統一教会ですよね。
そうしたら、食口の行動に繋がっている原理を非難するのにおかしいことはありません。

以前「真理について語ろう」スレで、統一教会を信じるENOCKさんの言う真理を問うために、統一教会のおかしい現実について言及したとき、ENOCKさんはそれを論点のすり替えとおっしゃいました。
それに対して私が議論の中心にそって話すのを論点のすり替えと言っては話はできないと言いました。再度同じことを指摘致します。


教会が常識的でないなら、信者も常識人とはなれません。もし常識人となるなら、それは社会からは常識的でも、信者として都合のいい生活をしているということです。

人は相手の言葉に一貫性を持って聞こうとします。
ですから、「おかしい人間は何を信じていても(いなくても)おかしいものです。」というENOCKさんの言葉を受ければ、
「おかしなこと=霊感商法や望まないはずの不幸な家庭をつくる結婚などした人はおかしな人間なのだから、原理がなくてもおかしなことをした」とENOCKさんがおっしゃっていると捉えます。

ENOCKさんからすると言葉尻を捉えるように感じられるかも知れませんが、一貫性をもって聞くという人間の性質からすれば当たり前の反応だということは理解してください。

Re: 文家の不祥事は誰のせい? - チェ・サンウ

2010/09/02 (Thu) 22:44:12

ENOCK君

>信じられないでしょうが、それこそが信仰を持つ大きなメリットの一つだと思います。自分の都合で選んだ相手ではなく、神様によって選ばれた相手なので、神様への信仰が保たれる限り相手への愛も失われることはありません。
このあたりはサライさんもおそらく共感頂けるところだと思います。
>私が統一教会に来ていなければ、当然そのようにはできなかったですし、そんなことがありえるなど信じることすらできなかったでしょう。

君は相手への愛を失わないんだね。「私が統一教会に来ていなければ、当然そのようにはできなかったですし」って言ってるから、君は既に統一協会に来てるよね。ここで、私はまだ統一協会には来ていないって屁理屈はなしだよ。でも、すごいね。伴侶への愛が変わらない人なんて。

それに君は個性完成と家庭完成もしてるんだよね。「私が統一教会に来ていなければ、当然そのようにはできなかったですし」ってことだからできてるんだね。相手への愛を失わない人は個性完成してんだろ?じゃあ君がメシヤじゃない?「お父様」は家庭完成してないってことだし。自分の言葉だから覚えてるよね。理想家庭じゃないってことは完成してないんだよね。

>文家が「普通の家庭」ではないことは確かで、普通の家庭との比較はあまり参考になりませんが、少なくとも「理想家庭」ではないと認めます。これは信仰云々ではなく事実ですから。

http://kitagamitetsu.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=3182473

>ごめんなさい。あえて一度誤解を与えるためにそのように書いたのです。普通の宗教はマイナスを消そう・なくそうとします。あるいはそこから避けようとします。けれど、なくすのではなく、方向を変えることでプラスに転じさせる、それこそが究極の信仰だと思うからです。

なんで僕が誤解する必要があったの?素直に間違えましたと認めろよな。こういう都合のいいことは信仰生活では通じても僕や「小娘」ちゃん、ちゃぼさんには通じないよ。後出しジャンケンだね。統一原理も完成品じゃないとか「お父様」はまだ完成してないもそう。確か統一原理がまだ完成してないというのは、いろいろな批判があった後って話だし、「お父様」の家庭が完成してないというのはいろんな不祥事があった後。それまでは統一協会は、統一原理は完璧で「お父様」の家庭は完成してるって吹聴してたらしい。

>人間の欲求には理由があります。悪いことを望めば実現を阻まれ苦しくなります。悪いことを望んでしまうのはつまるところ、どのように生きるべきかを知らないがために、欲求の正しく向かうべき方向を見失っている状態と言うことができるのではないでしょうか。欲望そのものが悪いわけではありません。
そのように考えてみれば、自己の欲望にあるがまま向き合うという仏教的なスタンスとも調和が取れてくるように思うのです。

良い欲求と悪い欲求って何?悪いことでも障害がなければうまくいくけど。逆にいいことでも障害があればうまくいかないけど。結局人間は欲望の塊でそれは無くせないから。自己の内省をすればそんな自分が見えるよ。それでどのように生きるの?

>その通りだと思います。「自分たちは地上天国を創るのだから多少強引なことをしても・・・」などと考えるとしたら思い上がりも甚だしいというものです。
>私の主張の主たるポイントもまさにここにあります。
統一教会に反対する人々は何かと理屈をつけて「原理」を批判してきますが、非難されるべきは「原理」ではなく信者の行動そのものであり、教会組織の活動そのものです。
>教会人たる前に常識人たれ。教会人たる前に人格者たれ。常識の欠落、人格のゆがみはおおいに指摘され、批判されるべきです。そして、教会は信徒に対してそのような観点からの指導も徹底するべきです。

もともとサライさんへのコメントだったけど、よく理解してから横レスしろよな。ENOCK君はどうも一般常識がなってないね。統一協会を批判する人はその行動も批判してるよ。霊感商法とか君のネット上でのマナーも。なんで統一協会が起こす問題が統一原理とは関係ないの?祝福の強制結婚だって確か、堕落論か復帰原理から来てるって話だし、霊感商法も復帰原理が関係してるって聞いたよ。

>ところが、キリスト教会の牧師や共産党員による反対運動の結果、今に至るまで反統一教会運動には変に教義批判が混ざりこんでしまって、実際の行動に対する検証が却ってぼけてしまっています。教義がでたらめだから信者がおかしな行動をする??おかしい人間は何を信じていても(いなくても)おかしいものです。それがわずかばかりでも改善されるならばむしろ良いこととなるでしょう。教会にいるおかしな人は、もとはまともだったのでしょうか、それとも、昔よりは「まし」になったのでしょうか。そのような比較検証もなされぬまま、奇天烈な教義批判を先行させる結果、教会にとっても、反教会側にとっても不毛な消耗戦が繰り返されてしまうのです。

霊感商法の元に復帰原理が関わってるし、強制結婚も堕落論が関わってる。そんな問題があるから、そこの元になる教義批判をするのは当たり前じゃん。

>>まりんちゃん
一緒に子ども作って、この仮説確かめよ。
>ぜひ確かめてみて下さい。応援します。

なにネット漫才に参加してんの?こんなの出なくても、君のコメントは十分にネット漫才だよ。

>あのような反対活動では教会はなくなりません。今のままの教会では良くないと思っているから、ある意味私も反統一教会の人間です。統一教会をなくすのではなく、統一教会の「害」をなくすと発想を切り替えていくならば、教会反対運動も有意義なものとなるでしょう。

君も統一協会批判は取るに足らないと思ってるんだね。なんか君は北上君みたい。韓定食さんは頭がいい北上君って言ってたけど、コメントの質を見ればどっちもどっち。統一協会に反対してる人は害を無くすためにやってるんだよ。その根本に教義があるから教義批判をしてるわけ。

ちゃぼさん

ヘルプありがとうございます。ENOCK君は大量の屁理屈で煙に巻くみ旨の戦士だから、ちょっと文が読みづらいです。大量の屁理屈で煙に巻くみ旨の戦士とは、僕の義理のお父さんが言ってました。義理のお父さんが誰かは以下のスレッドにヒントがあります。僕の婚約者もちゃぼさんを頼りにしています。

http://kitagamitetsu.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=3219048

Re: 文家の不祥事は誰のせい? - チェ・サンウ

2010/09/05 (Sun) 00:19:14

都合のいい信仰生活をしていて大量の屁理屈で相手を煙に巻くみ旨の戦士様

ENOCK君はこれも無視?都合のいい信仰生活は統一信者には通じても、信者以外の人には通じないことにいい加減気付けよな。

Re: 文家の不祥事は誰のせい? - ENOCK URL

2010/09/05 (Sun) 23:29:57

チェ・サンウさん

2日ほど忙しくしていてまともに書き込めませんでしたので
やきもきさせてしまい申し訳ありません。

皆さんが詳しく書き込んでくれたおかげで反対している方々の思考方法が多少わかりました。

>霊感商法の元に復帰原理が関わってるし、強制結婚も堕落
>論が関わってる。そんな問題があるから、そこの元になる
>教義批判をするのは当たり前じゃん。

結局、
霊感商法批判のために復帰原理批判をする。
強制結婚批判のために堕落論批判をする。

そういうことだったのですね。

霊感商法はあきらかにおかしいのだから、純粋にそれを批判したらいいのに。
強制結婚は日本国憲法に違反するのだから純粋にそれを批判したらいいのに。
私は単純にそう考えていたのですが、


霊感商法を批判しても、信者はそもそもメシヤを強烈に信じていて、メシヤの解明した「原理」を頑なに信じていて、その中の復帰原理で霊感商法をするように命じているので、やめさせるには復帰原理がでたらめであるとか、メシヤがでたらめであると主張するしかないと。

そのような論法だったということでよろしいでしょうか。

たしかにこのような観点に対して私が疎いことは否めません。
私の統一原理理解からは復帰原理から霊感商法は導かれないし、堕落論から強制結婚は導かれないからです。

そのため、何ゆえ霊感商法批判のためにあえて復帰原理まで持ち出すのか、強制結婚批判のためにあえて堕落論まで持ち出すのか、却って問題を難しくしているのに、という程度にしか正直とらえていなかったのです。

ところで、どちらが本当の統一原理なのでしょうか。
霊感商法や強制結婚が理論的に導かれる方ですか、それとも
理想家庭が築かれる方ですか。

これだけ反対する人がいるということは、北上さんを始め
統一教会員には霊感商法が信仰の一部分であり、有無を言わさぬ強制結婚が天国実現に不可欠であると信じている人間が多いということですね。

私の「統一教会」理解が浅かったために、反対する方々には不快な思いをさせてしまいました。

今後は「統一教会員」ではなく統一教会内分派として教会改革運動に携わります。教会が変わるならそれもよし、教会が変わらないならば内側から教会を潰す。いずれにしても反対する方々にとって有益な活動になると思います。


ちなみにチェ・サンウさん
>都合のいい信仰生活は統一信者には通じても、信者以外の
>人には通じないことにいい加減気付けよな。

と書いてらっしゃいますが、逆です。
一般の人間には信仰生活なんてどうでも良いことです。
やりたくないことをしないのは当たり前のことですから。
都合のいいも悪いもありません。

都合のいい信仰生活が通じないのはむしろ敬虔な統一信者に対してです。
やりたくなくても、どんなにつらくても、どんなに無理だと思ってもそれでもやってみて、どん底を味わいながらなお生きて神様のために貢献しようと頑張っている、そのような敬虔な統一信者には私のような都合の良い信仰生活はお話にもなりません。そんなことは分かりきっています。

おそらくチェ・サンウさんの歯がゆさはそのことよりもむしろ、統一教会員の大部分が騙されて不幸になっているのに、それに目を瞑ってお前だけ好き勝手な信仰生活ごっこをやってていいのかというような叱責を込めてのことなのではないかと理解しますが如何でしょうか。

で、以前別のスレでも質問を投げかけたのですが、実際のところ統一教会員はどのくらいの割合で「騙されて」いるのでしょうか。
中には私のように(あるいはヒロシさんのように)統一原理を都合よく租借して利用している人もいるようです。それは極々少数派だという認識ですよね。

Re: 文家の不祥事は誰のせい? - ちゃぼ

2010/09/06 (Mon) 00:51:19

ENOCKさん

>>都合のいい信仰生活は統一信者には通じても、信者以外の
>>人には通じないことにいい加減気付けよな。

>と書いてらっしゃいますが、逆です。
一般の人間には信仰生活なんてどうでも良いことです。
やりたくないことをしないのは当たり前のことですから。
都合のいいも悪いもありません。

見る方向性の違いだと思います。
宗教に関心のない人が一般的な生活をするのに対してはENOCKさんの意見が少し説得力を持つと思います。

ですが一般人が宗教を審査する側だと見るならチェサンウさんの意見が説得力を持ちます。丁度電化製品の消費者のように非常に厳しい目にさらされます。
たとえ食口が死ぬほど努力しても「それが何の意味があるの?」という一言でバッサリ切られるでしょう。

食口同志の監視ならば一定の努力によって評価されますから、その分報われる思いもあるでしょう。


>おそらくチェ・サンウさんの歯がゆさはそのことよりもむしろ、統一教会員の大部分が騙されて不幸で…、
>以前別のスレでも質問を投げかけたのですが、実際のところ統一教会員はどのくらいの割合で「騙されて」いるのでしょうか。

私も興味があります。実際に全体像を正確に把握するのは、統一協会が聖域を設けずに外部の人間を受け入れない限り不可能でしょう。たとえその条件を受けてもどう監査するかなど問題も残ります。

でも、これはそういった次元の話ではありません。統一協会が犯罪教団ではないことを示そうと他の食口さんも似たような言い方をしました。「統一協会が100%問題なのかどうか」と。

ですが既にそういった議論の段階ではなく、長年に渡り同じ問題を引き起こし、組織的関与も認められ、虚偽の論証を繰り返し、被害者の声に唾を吐くような行いをしてきたというのが社会的認識と言っていいと思います。

正常な組織ならば一部でも問題を起こしたなら真相究明に全力を尽くし、改善案を模索し、社会的信用回復に全力を尽くします。一部の問題でも全体の責任と解釈するからです。

それと参考のために摂理の話をしますと、摂理でも教会毎に中心者によって方針が異なり、組織的責任の所在が不透明になっています。御言葉の解釈の曖昧さも不透明さの問題に深く関わります(この点は別組織とは思えないほど共通点が見られます)。

そのせいで結局は教祖は偽造パスポートを用いて海外逃亡していたにも関わらず、刑の執行のみで他の誰も責任を問われず、挙句に裁判は陰謀だなどという説が摂理内で流布する始末です。

性的被害以外に、いい加減な中心者達の霊感によって傷や迷惑を受けた人がいても自己責任と言われて終わりです。教祖がメシアと教えていたのも信者たちの勘違いのせいだと言われる理不尽さです。

そして摂理は世間を騒がせてしまったことを表面的に謝り、「より良い組織にするために努力をする」などと主張しています。

Re: 文家の不祥事は誰のせい? - チェ・サンウ

2010/09/06 (Mon) 21:19:17

ENOCK君

君はちゃんと字読める?前のコメントに関する質問事項も、また議論のネタになりそうだから今回は見逃してあげる。

>2日ほど忙しくしていてまともに書き込めませんでしたので
やきもきさせてしまい申し訳ありません。

なんで僕がやきもきするか分かる?2日君が書き込まなかったことより、君が都合のいい信仰生活をしていて、この都合のいいことを掲示板でもやろうとするところ。都合のいい設問にしか答えない。今まで君がスキップした設問は多いよ。挙げようとしたらそれこそ大変な作業になる。

少なくとも今僕が挙げられるだけでも、なつみちゃんとまりんちゃんのコメントは無視?

http://kitagamitetsu.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=3193682

2人は君に難題吹っかけていて答えられたらコメントしてくれということだけど、答えられないよね。答えられないからって無視してもいいの?こんな都合のいいことは僕たちというか社会では通じないよ。

>皆さんが詳しく書き込んでくれたおかげで反対している方々の思考方法が多少わかりました。

やっと分かったの?でも、思考方法じゃなくてなんで統一協会に反対するのかを分かれよな。

>結局、
霊感商法批判のために復帰原理批判をする。
強制結婚批判のために堕落論批判をする。
>そういうことだったのですね。
>霊感商法はあきらかにおかしいのだから、純粋にそれを批判したらいいのに。
強制結婚は日本国憲法に違反するのだから純粋にそれを批判したらいいのに。
私は単純にそう考えていたのですが、
>霊感商法を批判しても、信者はそもそもメシヤを強烈に信じていて、メシヤの解明した「原理」を頑なに信じていて、その中の復帰原理で霊感商法をするように命じているので、やめさせるには復帰原理がでたらめであるとか、メシヤがでたらめであると主張するしかないと。

当たり前じゃん。でもこれだけじゃないよ。

>たしかにこのような観点に対して私が疎いことは否めません。
私の統一原理理解からは復帰原理から霊感商法は導かれないし、堕落論から強制結婚は導かれないからです。

ENOCK原理ではね。君は霊感商法もしたことがないくらい都合のいい信仰生活をしているから。霊感商法をやれば警察に捕まるから信仰生活に支障が出るね。それに、なつみちゃんとまりんちゃんは、霊感商法に付き合わされたことがあるらしい。

>そのため、何ゆえ霊感商法批判のためにあえて復帰原理まで持ち出すのか、強制結婚批判のためにあえて堕落論まで持ち出すのか、却って問題を難しくしているのに、という程度にしか正直とらえていなかったのです。

甘いね。さすが都合のいい信仰生活の大将。

>ところで、どちらが本当の統一原理なのでしょうか。
霊感商法や強制結婚が理論的に導かれる方ですか、それとも
理想家庭が築かれる方ですか。

ズバリ、霊感商法や強制結婚が理論的に導かれるのが統一原理。

>>都合のいい信仰生活は統一信者には通じても、信者以外の
>>人には通じないことにいい加減気付けよな。
>と書いてらっしゃいますが、逆です。
一般の人間には信仰生活なんてどうでも良いことです。
やりたくないことをしないのは当たり前のことですから。
都合のいいも悪いもありません。
>都合のいい信仰生活が通じないのはむしろ敬虔な統一信者に対してです。
やりたくなくても、どんなにつらくても、どんなに無理だと思ってもそれでもやってみて、どん底を味わいながらなお生きて神様のために貢献しようと頑張っている、そのような敬虔な統一信者には私のような都合の良い信仰生活はお話にもなりません。そんなことは分かりきっています。

「都合のいい」って意味分かってる?まだ君が言ってる敬虔な信者も都合がいいうちに入ってるよ。

>おそらくチェ・サンウさんの歯がゆさはそのことよりもむしろ、統一教会員の大部分が騙されて不幸になっているのに、それに目を瞑ってお前だけ好き勝手な信仰生活ごっこをやってていいのかというような叱責を込めてのことなのではないかと理解しますが如何でしょうか。

そうだよ。やっと気付いた?

>で、以前別のスレでも質問を投げかけたのですが、実際のところ統一教会員はどのくらいの割合で「騙されて」いるのでしょうか。
中には私のように(あるいはヒロシさんのように)統一原理を都合よく租借して利用している人もいるようです。それは極々少数派だという認識ですよね。

現役のことは君の方が詳しいけど、僕が知ってる限り脱会者全員。でも、中には騙されたという自覚がない人もいるらしい。

Re: 文家の不祥事は誰のせい? - ENOCK URL

2010/09/06 (Mon) 22:53:56

チェ・サンウさん

>ズバリ、霊感商法や強制結婚が理論的に導かれるのが統一原理。

やっぱりそうだったのですね。どうりで議論がかみ合わないわけです。
これからは「統一原理」と括弧書きして、チェ・サンウさんや北上さんの統一原理と、サライさんや元牧会者さんの「統一原理」を使い分けないといけないですね。
きっとサライさんや元牧会者さんの「統一原理」からは霊感商法や強制結婚は理論的に導かれないから。

ちゃぼさん

「摂理」の話もからめてのご説明ありがとうございます。

>長年に渡り同じ問題を引き起こし、組織的関与も認めら
>れ、虚偽の論証を繰り返し、被害者の声に唾を吐くような
>行いをしてきたというのが社会的認識と言っていいと思い
>ます。

>正常な組織ならば一部でも問題を起こしたなら真相究明に
>全力を尽くし、改善案を模索し、社会的信用回復に全力を
>尽くします。一部の問題でも全体の責任と解釈するからで
>す。

確かにその通りですね。そういう意味で、統一教会は正常な組織ではないと思います。自己正当化し、謝らないというのが教会アベルに多く見られた体質だとサライさんも仰っていました。

Re: 文家の不祥事は誰のせい? - チェ・サンウ

2010/11/24 (Wed) 00:12:18

ENOCKさん、サライさん

ずいぶん前のスレなので話の流れを忘れてしまいましたが、ここでのテーマは文家の不祥事が誰のせいなのかでしたよね。僕はサライさんのせいではなく文家自身に責任があると言いましたが、統一原理的に信者に責任があるというのがサライさんの意見でしたよね?

でも、ENOCKさんに言わせると文家も教育が必要で、充分に教育できなかったから不祥事が起きたと。そもそも、文家の不祥事の公式見解はどのようになっているのですか?そして公式見解を言い出したのは誰ですか?

僕は、脱会者の人から信者の不信仰によるものだと聞いています。サライさんの言うように信者の不信仰が公式見解ならば、誰がそれを言い出したかが問題になります。文家自身が言ったのならば問題外だし、幹部が勝手に統一原理を誤解して言い出したのならば、文家から文家の不祥事の責任は信者にはないと通達があるはずです。

このスレを立てておきながらこんなことを言うのもなんですが、文家の不祥事が誰のせいか議論することは建設的ではないと思います。仏教全般では自因自果を説いていて、自分の身に起きたことは自分の行いに責任があると説きます。だから、仏教的には文家の不祥事は文家にあるのです。

でも、このことは仏教を信じている人(仏教は信じるものではありませんが)にだけ通じることです。ここでは、統一原理的な解釈と仏教的な解釈のどちらが建設的かが問題になると思います。

僕は仏教的な解釈の方が建設的だと思うのですが、統一原理に仏教的な解釈をアレンジしてみてはどうでしょうか?

ここで話は変わりますが、僕は真理はそれほど複雑ではなく単純なものだと思っています。でも、統一原理は複雑ですよね?議論してていろんな話が出てくるし。ENOCKさんとサライさんが統一原理で真理と感じたところも全部が全部ではなく、一部なのでしょうか?その一部の真理と感じた所だったら、それこそ単純に一言で言い表せると。

もしそうなら、一言で言い表せられるその一部を大切にしつつ、他宗教の良いところをアレンジしてみるのはどうですか?

Re: 文家の不祥事は誰のせい? - サライ

2010/11/28 (Sun) 00:25:54

チェ・サンウ さん

お久しぶりです、色々考え事があってこのBBSに投稿するエネルギーが失せておりました。

>僕は真理はそれほど複雑ではなく単純なものだと思っています。でも、統一原理は複雑ですよね?議論してていろんな話が出てくるし。


これは前にも触れたかも知れませんが原理が複雑ではなく、理解する側の人間が複雑にしているだけだと思います。
仏教にしてもキリスト教にしても分派がでてくる理由でもあります。


原理を宗教的立場から簡単に表現すれば「みんな仲良くしましょう!」と言うことです、また人間どうしが仲良くないから宗教が必要になり、仲良くするには利他的愛の実体であるメシヤが必要だ!と言うのが原理講論の結論だと思います。


今の統一教会の活動のスローガンは
「神様の真の愛を相続しよう!」です、これは、人間の側からの目標であり、生涯の生き様をあらわします。

とてもシンプルです。



私は学者ではないので、詳しくはわかりませんが、一つの論文を構想する時、もっとも大切なのは枠組みをどうするか?ということだと聞いたことがあります。

たぶん、この掲示板で議論される内容はこの枠組みがハッキリせず、それぞれ個々人の考える範疇がちがうのでとても一致するのは難しいのだろうと思います。


私には、人間社会では感じることのできなかった、次元の違う愛の波動(神の愛)を原理を信じ、実践することによって感じることができたことが事実であり、最大の喜びです。
単に超自然的に神に出会ったのではなく、理論と体感が一致したと言うことにおいて原理は真理だと主張しているので、ことばでは表現のしようがありません。


「もしあなたが、神様の真の愛を知りたいのなら、原理を実践してください」としか言えません。



文家の不祥事は誰のせい?

という問いかけに戻りますが

原理では人間が責任を果たせなかったので
神様は最も不幸な立場になってしまったと解きます。

そういう意味で文先生の不幸は子供たちである我々が責任を果たせなかったからと言う結論に行き着くのは自然ではないでしょうか?
祝福家庭は文夫妻を親だと思っていますし、文夫妻も私たちを子供として認知している立場です。よく考えれば恐ろしい関係ですどちらにとっても。どちらも相互に責任を負わなければならない関係が親子ですから。





Re: 文家の不祥事は誰のせい? - チェ・サンウ

2010/11/29 (Mon) 00:24:39

サライさん

>お久しぶりです、色々考え事があってこのBBSに投稿するエネルギーが失せておりました。

エネルギーが失せていても、元気であるならば何よりです。

>>僕は真理はそれほど複雑ではなく単純なものだと思っています。でも、統一原理は複雑ですよね?議論してていろんな話が出てくるし。
>これは前にも触れたかも知れませんが原理が複雑ではなく、理解する側の人間が複雑にしているだけだと思います。
仏教にしてもキリスト教にしても分派がでてくる理由でもあります。

そうかもしれないですね。

>原理を宗教的立場から簡単に表現すれば「みんな仲良くしましょう!」と言うことです、また人間どうしが仲良くないから宗教が必要になり、仲良くするには利他的愛の実体であるメシヤが必要だ!と言うのが原理講論の結論だと思います。
>今の統一教会の活動のスローガンは
「神様の真の愛を相続しよう!」です、これは、人間の側からの目標であり、生涯の生き様をあらわします。
とてもシンプルです。

確かに、純粋に「みんな仲良くしましょう!」を実現しているのなら素晴らしいです。

>私は学者ではないので、詳しくはわかりませんが、一つの論文を構想する時、もっとも大切なのは枠組みをどうするか?ということだと聞いたことがあります。

その通りです。枠組み作りが結構骨の折れる作業です。

>たぶん、この掲示板で議論される内容はこの枠組みがハッキリせず、それぞれ個々人の考える範疇がちがうのでとても一致するのは難しいのだろうと思います。

確かにそうですね。少なくとも信者と反対派では枠組みが違う為、議論がかみ合わなかったりします。

>私には、人間社会では感じることのできなかった、次元の違う愛の波動(神の愛)を原理を信じ、実践することによって感じることができたことが事実であり、最大の喜びです。
単に超自然的に神に出会ったのではなく、理論と体感が一致したと言うことにおいて原理は真理だと主張しているので、ことばでは表現のしようがありません。

この実感はサライさん自身が感じたことだから、感じたこと自体は誰にも否定できません。でも、この実感は霊感商法や強引な勧誘をしていても感じるものなのでしょうか?

>「もしあなたが、神様の真の愛を知りたいのなら、原理を実践してください」としか言えません。

すみません。原理を実践する気にはなれません。脱会者の人の話を聞くと、朝早く起るとか、1週間断食をするとか、夏は暑く冬は寒い中を1軒1軒訪問販売で回ることなんてできません。そんなことで自分の汚い心が無くせるとはとても思えません。

統一原理には仏教でいう浄土門のような教えは無いのでしょうか?つまり、初期仏教から派生した仏教の元々の教えは凡人には実践不可能で、凡人でも救われる道ということで浄土門が開かれたのです。統一原理が超宗教の教えで、全人類が歩まなければならない道ならば、文鮮明氏は親鸞のように統一原理版の浄土真宗のような教えは説かなかったのでしょうか?

>文家の不祥事は誰のせい?
という問いかけに戻りますが
原理では人間が責任を果たせなかったので
神様は最も不幸な立場になってしまったと解きます。
そういう意味で文先生の不幸は子供たちである我々が責任を果たせなかったからと言う結論に行き着くのは自然ではないでしょうか?
祝福家庭は文夫妻を親だと思っていますし、文夫妻も私たちを子供として認知している立場です。よく考えれば恐ろしい関係ですどちらにとっても。どちらも相互に責任を負わなければならない関係が親子ですから。

このことは、証明可能なことなのですか?

でも、サライさんとENOCKさんの場合は、証明する必要はありません。証明不可能で信じているだけなら、信じた結果、自分と他人にとってプラスになるかマイナスになるかが重要になると思います。

サライさんの場合は、プラスなのですよね。理論と実践が一致するということですが、統一原理の方がサライさんの体験した実践に一致するように作ったということはないですか?つまり、サライさんの体験は元々人間なら体験しうるもので、文鮮明氏、金百文がその体験に合わせて統一原理を作ったということは考えられないですか?

それに、どのような体験をしようと自分の不始末の責任を他人が取る思想は、建設的ではないと思います。でも、我々は自分の不始末の責任を他人に取らせたいです。だからと言って実際に誰かが責任を取ってくれるという思想より、自分の責任を他人に取らせたいのが我々の本性だけど、実際には自分の責任は自分が取らなければならないという思想の方が建設的だと思います。

Re: 文家の不祥事は誰のせい? - サライ

2010/11/29 (Mon) 18:46:40

チェ・サンウさん

>このことは、証明可能なことなのですか?

情の問題なので、難しいでしょうね。

でもそのような情関係こそが堕落によって失われたものです。この情を復帰することが最大の目標だし実績です。


>サライさんの体験は元々人間なら体験しうるもので、文鮮明氏、金百文がその体験に合わせて統一原理を作ったということは考えられないですか?

面白い指摘ですね!こんな意見は初めて聞きました。刺激的です。

確かにその通りです。先生のみ言葉にも、作り話でなく先生自身が体験したものしか話していないと言うのがあります。

チェさんがいみじくも
>体験は元々人間なら体験しうるもので<
と表現されましたが

まさにその通りで、汚れた自分の体が少しづつ洗い清められて元々の人間の姿が見えてくるようなものです。誰でも同じです。

言い替えれば地面に穴を掘って温泉の源泉(神の心情)に到達していくようなもので掘り当てた瞬間に噴水のように吹き上がってくるのに似ていると思います。

この堀りかた、ボーリングの仕方を教えるのが原理です、行き着く先は「神の心情」の源泉以外にありません。そこに行き当たることは誰にでも可能でしょう。


>自分の不始末の責任を他人が取る思想は、建設的ではないと思います。

おっしゃる通りですね。
霊界での居場所は自業自得で決定されます。すなわち、自分の罪に対する罰は当然自分が受けなければなりません。天法はキッチリそうなっています。


しかし、統一原理は「個人」の範疇から「家庭」という次元へ昇華しているので、「個人の罪」から「家庭の罪」という段階になります。子の罪を親が負い、親の罪を子が負うと言う思想です。夫の罪は妻が共同で責任を負うと言う考え方です。ですから祝福家庭は夫だけが天国や地獄に行くと言うことはありません、夫が地獄に行けば妻も地獄です。恐ろしいですね。


たぶんこの辺の思考の枠組みがこの世の法律や常識と違うところだと思います。


これを解く鍵は創造原理にあって、天国観の違いでしょうね、「天国を開く門、真の家庭」という本がありますが家庭的天国の連合体が天国という思想です。

ですから、

>自分の不始末の責任を他人が取る思想

ではなく、

自分の家族の不始末を自分達家族が責任を負う思想

と言うことができるでしょうね。


例えば、孝進様の家庭は、私たちにとっては自分の兄弟、もっと言えば長男家庭ということになります。

孝進様の家庭の問題は、平たく言えば下の兄弟達の不始末の罰を長男が代表で受けたということができるでしょうね。

当然これと同じことが父母様にも起こり、ヘリコプター事故などという恐ろしい事態もありえるんですね。


たとえば、末端の食口が罪を犯したとして、サタンがその罰を誰に受けさせるかと考えた時、あなたがサタンの立場だったらどうするでしょうか?一つの罪ごとに鉄砲の弾をもらって祝福家庭ならどこでも自由に撃ち込めるとしたら誰を狙うでしょうか?

末端食口の家庭でしょうか?真の父母の家庭でしょうか?

最も効率よく敵陣をやっつけるなら親分を集中的に狙うのではないでしょうか?


このようなことの連続が真の父母様を中心として歩んできた教会の歴史です。血だらけの歴史です。


ですから

>仏教全般では自因自果を説いていて、自分の身に起きたことは自分の行いに責任があると説きます。だから、仏教的には文家の不祥事は文家にあるのです。


自因自果もありますし、私たち祝福家庭は文家(統一家)ですから、家因家果といえるでしょう。


>統一原理には仏教でいう浄土門のような教えは無いのでしょうか?つまり、初期仏教から派生した仏教の元々の教えは凡人には実践不可能で、凡人でも救われる道ということで浄土門が開かれたのです。


罪の清算(救い)と言うことに関しては、殆んど浄土門のような教えです、メシヤを信じ祝福を受けるということは凡人でもできるのではないでしょうか?帰依することとほとんど変わりません。

しかし、その後があるのです、家庭完成(愛の完成)への努力の道です。これは愛するという行為なくして、消耗や忍耐、汗や涙を流すことなくして行く事ができません。人間の肉体もこのためにあると結論付けられます。生殖器もこのため、子供を産むことも、このためにあります。

出家修行の道が本道ならば生殖器の存在意義が示せません。


復帰原理の前半はアダムの復帰ではなく

「アダムの家庭を中心とした復帰摂理」
「ノアの家庭・・・        」
「アブラハムの家庭・・・     」
となっており、その後民族、国家、世界と拡大しています。

最初から「家庭」復帰です

個人の救いについては、キリスト教、仏教、がほとんど語りつくしています。
でもその教えから2000年もたっているのに人間がなぜこんなに不幸なの?という問いかけが統一原理の原点だと私は思っています。

Re: 文家の不祥事は誰のせい? - チェ・サンウ

2010/11/30 (Tue) 23:25:54

サライさん

>>このことは、証明可能なことなのですか?
>情の問題なので、難しいでしょうね。
でもそのような情関係こそが堕落によって失われたものです。この情を復帰することが最大の目標だし実績です。

確かに、実際の親子はお互いに責任を持たなければならないこともあります。しかし、文鮮明氏を親と思って建設的なことはありますか?

脱会者の人の中に、信者時代、文鮮明氏を親だとは思えなかったという人がいます。それも赤の他人でちょっと禿げててる老人としか思えなかったと。その人が言うには、みんなが文鮮明氏を親だと思っている中、自分だけ親だとは思えずに取り残されたような気分だったそうです。

そもそも、実の親子でも一度も会ったことなく、子供が成人してから、いきなり「私があなたの親だよ」って言われても簡単に親だとは思えないと思います。

>>サライさんの体験は元々人間なら体験しうるもので、文鮮明氏、金百文がその体験に合わせて統一原理を作ったということは考えられないですか?
>面白い指摘ですね!こんな意見は初めて聞きました。刺激的です。
確かにその通りです。先生のみ言葉にも、作り話でなく先生自身が体験したものしか話していないと言うのがあります。
チェさんがいみじくも
>体験は元々人間なら体験しうるもので<
と表現されましたが
まさにその通りで、汚れた自分の体が少しづつ洗い清められて元々の人間の姿が見えてくるようなものです。誰でも同じです。
言い替えれば地面に穴を掘って温泉の源泉(神の心情)に到達していくようなもので掘り当てた瞬間に噴水のように吹き上がってくるのに似ていると思います。
この堀りかた、ボーリングの仕方を教えるのが原理です、行き着く先は「神の心情」の源泉以外にありません。そこに行き当たることは誰にでも可能でしょう。

元々の人間の姿と言うのは、統一原理が言っている人間のことで清い人間のことですか?しかし、仏教では元々の人間の姿を悪と説きます。自分が清まったという思いも、仏教では思い上りと説きます。我々人間は、常に汚いことばかり考えていて清まることはあり得ないと。例えば、統一原理では人の為に何かをすることを推奨していますよね。人の為に何かをやっているときは充実して、した後は気分がスッキリしますよね。ここで、やっている時に、「これさえやれば、自分は清まる」とか、「天国に行ける」とか思いませんか?

以前書き込んでいた焼いも君は、こんなことを言っていました。

>人材と経済で十分の自己責任を果たしたと自負があります。天国でなくても中間界は、確保しました。

http://kitagamitetsu.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=2937503

結局、死後は良い所に行きたいという見返りを求めてやっていたのだと思います。でも、我々人間は見返りを求めてしか行動ができません。だから、焼いも君のこの発言は、仏教的というか人間としては当然です。理想の家庭を築きたいという思いも、平和な世の中にしたいという思いも人間ならば当然です。

でも、統一原理的に見返りを求めて行動することはどうなのですか? 無償の愛とか言ってるそうですね。無償と言うのは何一つ見返りはありません。だから、統一原理を実践するにしても、自分は清い人間になれるとか平和な家庭が作れることも期待してはいけないと思います。

繰り返しますが、人間には無償の愛で人を愛することはできません。

>自分の不始末の責任を他人が取る思想は、建設的ではないと思います。
おっしゃる通りですね。
霊界での居場所は自業自得で決定されます。すなわち、自分の罪に対する罰は当然自分が受けなければなりません。天法はキッチリそうなっています。
しかし、統一原理は「個人」の範疇から「家庭」という次元へ昇華しているので、「個人の罪」から「家庭の罪」という段階になります。子の罪を親が負い、親の罪を子が負うと言う思想です。夫の罪は妻が共同で責任を負うと言う考え方です。ですから祝福家庭は夫だけが天国や地獄に行くと言うことはありません、夫が地獄に行けば妻も地獄です。恐ろしいですね。
たぶんこの辺の思考の枠組みがこの世の法律や常識と違うところだと思います。

この世の法律・常識と統一原理の言う法律・常識は違うということですか?だから、北上君はこの世では悪でも復帰摂理の為なら善になることはやるべきだと言っていたのですね。ましてや、摂理のための殺人も善と。

>これを解く鍵は創造原理にあって、天国観の違いでしょうね、「天国を開く門、真の家庭」という本がありますが家庭的天国の連合体が天国という思想です。
ですから、
>自分の不始末の責任を他人が取る思想
ではなく、
自分の家族の不始末を自分達家族が責任を負う思想
と言うことができるでしょうね。
例えば、孝進様の家庭は、私たちにとっては自分の兄弟、もっと言えば長男家庭ということになります。
孝進様の家庭の問題は、平たく言えば下の兄弟達の不始末の罰を長男が代表で受けたということができるでしょうね。
当然これと同じことが父母様にも起こり、ヘリコプター事故などという恐ろしい事態もありえるんですね。

結局、統一原理では世界の信者が一家族として文鮮明氏がその家長なんですね。でも、一般の家庭では息子が犯罪を犯したからと言って兄弟が離婚することは、あり得ないし(配偶者が犯罪者の家族は嫌だと言った時は話は別ですが)、ましてや父親が事故に遭うなんてこともあり得ません(そのショックで意識が朦朧としていれば話は別ですが)。

>たとえば、末端の食口が罪を犯したとして、サタンがその罰を誰に受けさせるかと考えた時、あなたがサタンの立場だったらどうするでしょうか?一つの罪ごとに鉄砲の弾をもらって祝福家庭ならどこでも自由に撃ち込めるとしたら誰を狙うでしょうか?
末端食口の家庭でしょうか?真の父母の家庭でしょうか?
最も効率よく敵陣をやっつけるなら親分を集中的に狙うのではないでしょうか?
このようなことの連続が真の父母様を中心として歩んできた教会の歴史です。血だらけの歴史です。

確かに、僕がサタンの立場なら(というかサタンなんですよね)、文家を狙いますが、このことはサタンの存在が客観的に証明できて、初めて主張できることです。

でも、サライさんの場合は証明する必要はありません。信じることが、自分と皆にとって建設的かどうかが問題になります。

>ですから
>>仏教全般では自因自果を説いていて、自分の身に起きたことは自分の行いに責任があると説きます。だから、仏教的には文家の不祥事は文家にあるのです。
>自因自果もありますし、私たち祝福家庭は文家(統一家)ですから、家因家果といえるでしょう。

このことは、家因家果か自因自果のどちらが建設的かという問題になります。僕は自因自果の方が、家因家果より建設的だと思います。家因家果だと、この場合は責任を取るのが文家ですが、サライさんが他人の負債の為に災難に遭うこともあり得るわけですよね。他人の負債の為に自分が災難に会った時どのように思いますか?少なくとも僕は、その負債を犯した他人を恨みます。

家因家果なら、善因善果もあるわけですよね?信者の善い行いが文家に善果となったことはないのですか?

>>統一原理には仏教でいう浄土門のような教えは無いのでしょうか?つまり、初期仏教から派生した仏教の元々の教えは凡人には実践不可能で、凡人でも救われる道ということで浄土門が開かれたのです。
>罪の清算(救い)と言うことに関しては、殆んど浄土門のような教えです、メシヤを信じ祝福を受けるということは凡人でもできるのではないでしょうか?帰依することとほとんど変わりません。
しかし、その後があるのです、家庭完成(愛の完成)への努力の道です。これは愛するという行為なくして、消耗や忍耐、汗や涙を流すことなくして行く事ができません。人間の肉体もこのためにあると結論付けられます。生殖器もこのため、子供を産むことも、このためにあります。
出家修行の道が本道ならば生殖器の存在意義が示せません。

浄土門には消耗、忍耐、汗・涙を流すことはありません。家庭完成への努力の道について、文鮮明氏は統一原理版の浄土門のような教えは説かなかったのでしょうか?

>復帰原理の前半はアダムの復帰ではなく
「アダムの家庭を中心とした復帰摂理」
「ノアの家庭・・・        」
「アブラハムの家庭・・・     」
となっており、その後民族、国家、世界と拡大しています。
最初から「家庭」復帰です
>個人の救いについては、キリスト教、仏教、がほとんど語りつくしています。
でもその教えから2000年もたっているのに人間がなぜこんなに不幸なの?という問いかけが統一原理の原点だと私は思っています。

確認のために聞きます。統一原理は、「人間がなぜこんなに不幸なの?」という問いにどのように答えているのですか?

Re: 文家の不祥事は誰のせい? - サライ

2010/12/01 (Wed) 01:03:47

チェ・サンウさん

>結局、統一原理では世界の信者が一家族として文鮮明氏がその家長なんですね。でも、一般の家庭では息子が犯罪を犯したからと言って兄弟が離婚することは、あり得ないし(配偶者が犯罪者の家族は嫌だと言った時は話は別ですが)、ましてや父親が事故に遭うなんてこともあり得ません(そのショックで意識が朦朧としていれば話は別ですが)。



この意見がまさに思考の枠組みが違うところです。
>あり得ない

と思うことが、我々には必然となります。


>自分は清い人間になれるとか平和な家庭が作れることも期待してはいけないと思います。


原理は善なる欲望は肯定します。なぜなら欲望が満たされる時、幸福を感じるからです。神の創造は喜びのためです。


>このことは、家因家果か自因自果のどちらが建設的かという問題になります。僕は自因自果の方が、家因家果より建設的だと思います。家因家果だと、この場合は責任を取るのが文家ですが、サライさんが他人の負債の為に災難に遭うこともあり得るわけですよね。他人の負債の為に自分が災難に会った時どのように思いますか?少なくとも僕は、その負債を犯した他人を恨みます。

これが罪による不幸の現実であり、原罪を負い、先祖の罪を負っているから、災難がふりかかります。

たいがいの宗教は不幸なことがあっても、「感謝しましょう」と教えているのではないでしょうか?

原理では、この災難を甘受することを蕩減すると言います。


>浄土門には消耗、忍耐、汗・涙を流すことはありません。家庭完成への努力の道について、文鮮明氏は統一原理版の浄土門のような教えは説かなかったのでしょうか?

家庭完成への努力の道については、真の家庭の歴史を学ぶことによって手本とすることができます。教材そのものが統一家の歴史です。

>確認のために聞きます。統一原理は、「人間がなぜこんなに不幸なの?」という問いにどのように答えているのですか?

原理講論がその回答です。
「総序」が、「人間がなぜこんなに不幸なの?」という問題提起です。

煎じ詰めて言えば
メシヤとしてこられたイエスは、使命なかばで死んだ・・・
すなわち、理想家庭をつくることができなかった。したがって理想家庭の教えを説くことができなかったということです。

仏教や儒教は、本来使命を完成したイエスの教えを一気に全人類に伝播するための準備としての宗教とみます。

たぶん仏教はイエスが十字架にかかった後からおかしくなって行ったのではないかと推察します。だから初期仏教に興味があります。
このへんは、以下のブログが詳しいのでよければ参考にしてください。
http://blog.livedoor.jp/kibikoji/archives/cat_50043115.html


建設的かどうか?
という言葉がよく出てくるようになりましたネ

もっと具体的に言うとどのようなことになるのでしょうか。

皆の幸せのため、人類の幸福の為になるかどうか?と言うことでいいのでしょうか。





Re: 文家の不祥事は誰のせい? - チェ・サンウ

2010/12/03 (Fri) 23:02:55

サライさん

>>結局、統一原理では世界の信者が一家族として文鮮明氏がその家長なんですね。でも、一般の家庭では息子が犯罪を犯したからと言って兄弟が離婚することは、あり得ないし(配偶者が犯罪者の家族は嫌だと言った時は話は別ですが)、ましてや父親が事故に遭うなんてこともあり得ません(そのショックで意識が朦朧としていれば話は別ですが)。
>この意見がまさに思考の枠組みが違うところです。
>>あり得ない
>と思うことが、我々には必然となります。

「我々には必然」とは、あり得ないことを信じているということですか?

>原理は善なる欲望は肯定します。なぜなら欲望が満たされる時、幸福を感じるからです。神の創造は喜びのためです。

確か神様の創造目的にかなった行動だったら善になるのですよね。霊感商法や摂理の為の犯罪・殺人は創造目的にかなった行動ではないのですね。

>これが罪による不幸の現実であり、原罪を負い、先祖の罪を負っているから、災難がふりかかります。

先祖の罪を負っているから災難が降りかかるというのが、統一原理の解釈ですね。先祖の罪を背負っているかどうかは、証明不可能ですよね。このように考えてはどうでしょう。

そもそも、人間は皆汚い心を持っていて、自分の欲望を満たすことばかり考えています。そして、自分の欲望を満たすために、他人を顧みないことが災難の原因と考えてはどうでしょう?

>たいがいの宗教は不幸なことがあっても、「感謝しましょう」と教えているのではないでしょうか?
原理では、この災難を甘受することを蕩減すると言います。

感謝することと甘受・蕩減するとはどのように違うのですか?

>家庭完成への努力の道については、真の家庭の歴史を学ぶことによって手本とすることができます。教材そのものが統一家の歴史です。

教材があっても、僕にはできそうにありません。人の為に生きるということも、自分の心をよく内省すると僕にはできません。でも、自分に何か見返りがあれば、人の為に行動を起こすこともできます。

>>確認のために聞きます。統一原理は、「人間がなぜこんなに不幸なの?」という問いにどのように答えているのですか?
>原理講論がその回答です。
「総序」が、「人間がなぜこんなに不幸なの?」という問題提起です。
煎じ詰めて言えば
メシヤとしてこられたイエスは、使命なかばで死んだ・・・
すなわち、理想家庭をつくることができなかった。したがって理想家庭の教えを説くことができなかったということです。

サライさんが統一原理を真理と感じたのは、統一原理が理想家庭の教えだったからなんですね。確かに、良い個人になって良い家庭を築けば、そこから良い社会、良い国、良い世界と言うのも分かります。

でも、統一原理は良い家庭を築くために、「良い家庭を築きましょう」と言っているだけのような印象があります。例えば、仲の悪い2人がいたとします。この2人に、ただ「仲良くしましょう」と言うのではなく、仲の悪い原因を追及することが重要です。

統一原理は、個人→家庭→社会→国→世界と個人が良くなれば、世界は平和になると言っていますが、この点は初期仏教の本にも書いてありました。アルボムッレ・スマナサーラ著「お釈迦様が教えたことシリーズ」の第2巻で、サブタイトルが「平和の生滅」で、人間は平和を望んでいるのに、なぜ平和にならないのかが書いてありました。

統一原理のことはよく分からないのですが、確か、家庭の不和が原因と言っていたと思います。初期仏教は、皆が皆、主観を持つから平和にならないと言っています。ある人の主観が正義であるのに、別の人にとっては悪となるため争うのです。信仰もそうです。

でも、人間は主観から離れては、生きられないとも説いています。だから、平和の為には主観に固執するなとも説いています。サライさんとENOCKさんが「平和の為には家庭だから統一原理を信じる」と言うのも固執だし、僕が初期仏教にこだわるのも固執です。初期仏教の本には、主観に固執しなくなるにはどうしたらいいかも書いてありますが、僕は理解できていません。

固執して価値観がぶつかるから争いになるのです。信者同士の仲違も、主観の固執からです。

>仏教や儒教は、本来使命を完成したイエスの教えを一気に全人類に伝播するための準備としての宗教とみます。
たぶん仏教はイエスが十字架にかかった後からおかしくなって行ったのではないかと推察します。だから初期仏教に興味があります。

初期仏教の本には、キリスト教に否定的なことも書いてあります。統一原理はキリスト教ですよね?だとするとイエスの教えを全人類に伝搬するための宗教が邪魔をしています。

初期仏教は一神教を否定しています。サライさんとENOCKさんの原理観では無神教ですが、話に聞く限り統一原理は一神教のように思います。文鮮明夫妻の写真を拝むそうですね。写真を神様にしていて、明らかに自分の外に神様を求めているので、無神教ではありません。偶像崇拝です。そもそもキリスト教も偶像崇拝を禁じていましたが、自分の外に神様を求めなくするために偶像崇拝を禁じたのではないでしょうか?

>このへんは、以下のブログが詳しいのでよければ参考にしてください。

読んでおきます。

>建設的かどうか?
という言葉がよく出てくるようになりましたネ
もっと具体的に言うとどのようなことになるのでしょうか。
皆の幸せのため、人類の幸福の為になるかどうか?と言うことでいいのでしょうか。

そうですね。僕も漠然と使っていましたが、突き詰めると皆の幸福、人類の幸福の為になるかどうかです。でも、皆、人類の幸福の先には自分の幸福があります。

Re: 文家の不祥事は誰のせい? - サライ

2010/12/04 (Sat) 08:45:03

チェ・サンウさん

>「我々には必然」とは、あり得ないことを信じているということですか?

霊界と悪霊を信じる立場なのであり得ることです。

>そもそも、人間は皆汚い心を持っていて、自分の欲望を満たすことばかり考えています。そして、自分の欲望を満たすために、他人を顧みないことが災難の原因と考えてはどうでしょう?

汚い心は、サタンとなった天使長から受け継いだもので、本来はそうではないというのが原理観です。汚い心に火と油を注ぐのが悪霊の作用だと見ます。


>固執して価値観がぶつかるから争いになるのです。信者同士の仲違も、主観の固執からです。

そうですね、原理も食口の数だけ原理観があります。
ですから、家庭における四大愛の実体になっているかが本質です。「観」ではなく「愛」です。

>初期仏教の本には、キリスト教に否定的なことも書いてあります。統一原理はキリスト教ですよね?だとするとイエスの教えを全人類に伝搬するための宗教が邪魔をしています。

イエスの使命未完遂が原因です。
イエスの十字架を救いの根拠にするのがキリスト教であるとするならば、統一教は一般キリスト教ではありません。クリスチャンは十字架により救われると言いますが、原理は失敗だと言いますから真逆です。しかしイエスはメシヤだと信じています。


>初期仏教は一神教を否定しています。サライさんとENOCKさんの原理観では無神教ですが、話に聞く限り統一原理は一神教のように思います。文鮮明夫妻の写真を拝むそうですね。写真を神様にしていて、明らかに自分の外に神様を求めているので、無神教ではありません。偶像崇拝です。そもそもキリスト教も偶像崇拝を禁じていましたが、自分の外に神様を求めなくするために偶像崇拝を禁じたのではないでしょうか?



み言(天国を開く門 真の家庭)より

「皆さんが先生〔真のご父母様〕に敬礼を奉げる時は、先生自身にささげるのではなく、その背後にある「神様と霊界」を思って〔意識して〕奉げなければならない。受ける先生も、そのように思って受けているのであるから、奉げる
皆様も、そのように思って奉げることが大事である。」

「胎児が生まれて、お母さん、お父さんの前に愛の対象になるように、霊人体が、霊的父である永遠の神様と相対することができる人として、再び生まれなければならないのは、原理原則です。」


上記のみ言葉が偶像崇拝とおなじことだと言われるならば、しかたありません。


>そうですね。僕も漠然と使っていましたが、突き詰めると皆の幸福、人類の幸福の為になるかどうかです。でも、皆、人類の幸福の先には自分の幸福があります。

まさにその通りですね、これが正常な幸福観だと信じます。

Re: 文家の不祥事は誰のせい? - チェ・サンウ

2010/12/04 (Sat) 22:31:33

サライさん

>霊界と悪霊を信じる立場なのであり得ることです。

悪霊と霊界は存在が証明できないから信じるか信じないかの問題だけど信じる・信じないは自由です。でも、信じた結果、自分、そして他者の為に建設的かどうかです。

悪霊と霊界を信じて何かいいことはありましたか?僕は無いような気もします。自分の身に起きた不幸を悪霊と霊界のせいにしていたり、「誰かが犯した罪のせい」と言って他人に責任を押し付けていては反省がありません。他人の不幸を自分の責任と考えれば反省がありますが、このような発想から自分の不幸は他人の責任という発想が生まれてくると思います。人間は自分の身に起きた不幸を自分以外の何かの責任にしたい生き物です。悪霊・霊界を信じる教えは、自分の身に起きた不幸を、自分以外の何かの責任にすることを助長しているように思います。

それに、悪霊と霊界を信じていて、他因他果を認めることから、「先祖の罪」と言う発想が出てきて霊感商法を助長しているようにも思います。悪霊と霊界を信じて他因他果を説く統一原理より、自分の身に起きた不幸を自因自果と説く、仏教、初期仏教の方が建設的な気もします。

>汚い心は、サタンとなった天使長から受け継いだもので、本来はそうではないというのが原理観です。汚い心に火と油を注ぐのが悪霊の作用だと見ます。

人間は誰でも汚い心を持っていて、自分の欲を満たすことばかり考えています。でも、人間は自分の心はきれいだと思いたい生き物です。僕も自分は素直で純粋で、きれいな心を持っていると思いたいです。でも、実際はそうではない。

人間が汚い心を持っているのは、サタンから受け継いだということですが、このことは証明不可能で信じる信じないの問題です。信じる信じないの問題ならば、客観的には人間の汚い心がサタンから受け継がれたものかどうかは、「分からない」とするのが妥当だと思います。

僕は、「なぜ、人間は汚い心を持っているのか?」について原因は、「分からない」と言う立場を取っています。でも、原因をいろいろ想像するのは自由です。重要なことは想像した内容です。「分からない」と言う立場も含めて、想像した内容がが、建設的かどうかが重要です。

>そうですね、原理も食口の数だけ原理観があります。
ですから、家庭における四大愛の実体になっているかが本質です。「観」ではなく「愛」です。

信者の数だけ原理観ができて、仲違するようで、宗教の統一が出来るのですか?統一と言うより、異なる宗教同士で共存することを考える方が平和につながると思います。

でも、統一原理は文鮮明氏を全人類共通のメシヤとして、仏教や儒教などで言われているメシヤ的存在なのですよね。これでは、他宗教の人にも文鮮明氏をメシヤとして崇めろと言っているように思えます。そうではなくて、他宗教の人は各宗教のメシヤ的存在をメシヤとしつつ、統一協会は文鮮明氏をメシヤとして対話するのです。

>イエスの使命未完遂が原因です。
イエスの十字架を救いの根拠にするのがキリスト教であるとするならば、統一教は一般キリスト教ではありません。クリスチャンは十字架により救われると言いますが、原理は失敗だと言いますから真逆です。しかしイエスはメシヤだと信じています。

イエス・キリストが使命を完遂させたか失敗したかは、証明できないのですよね。だったら、どちらも主観です。人間は主観でしか生きられなく、主観と主観がぶつかることが争いの原因と初期仏教は説いています。主観と主観がぶつかることの原因は、人間は主観に固執する生き物だからです。

統一原理は平和の為には平和な家庭を築けと言っているそうですが、平和な家庭の為に愛し合えと言っているだけですよね。統一原理のことはよく分かりませんが。仏教は平和の為には主観に固執するなと言っています。皆が皆、主観に固執しなければ、お互いに愛し合い平和な家庭ができると思います。そして、それが世界平和にもつながります。初期仏教には主観に固執しなくなるにはどうしたらいいかも書いてあるのですが、この点はいまいち分かっていません。

>み言(天国を開く門 真の家庭)より
「皆さんが先生〔真のご父母様〕に敬礼を奉げる時は、先生自身にささげるのではなく、その背後にある「神様と霊界」を思って〔意識して〕奉げなければならない。受ける先生も、そのように思って受けているのであるから、奉げる
皆様も、そのように思って奉げることが大事である。」
「胎児が生まれて、お母さん、お父さんの前に愛の対象になるように、霊人体が、霊的父である永遠の神様と相対することができる人として、再び生まれなければならないのは、原理原則です。」
上記のみ言葉が偶像崇拝とおなじことだと言われるならば、しかたありません。

偶像崇拝のことが良く分かってなくて書いてしまいました。すみません。僕は漠然と像を拝むことを偶像崇拝と考えていたのですが、宗教によってどの行為が偶像崇拝かは異なるようです。

>ただし、どのような行為を偶像崇拝とみなすかは宗教によって見解が分かれるようになった。礼拝対象を像そのものと見るか、像の表現するものと見るかで、偶像崇拝かどうか判断がわかれるからである。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%81%B6%E5%83%8F%E5%B4%87%E6%8B%9D

でも、キリスト教では次のように言ってるみたいです。

>あなたは自分のために刻んだ像を造ってはいけない。天にあるもの、地にあるもの、水のなかにあるものの、どんな形(あるもの)も造ってはいけない。それにひれ伏してはいけない。それに仕えてはいけない。

確かに、サライさんのコメントでは、文鮮明氏の写真を拝むのではなく、その背後の神様を拝むようですね。ここで、「天にあるもの、地にあるもの、水のなかにあるものの、どんな形(あるもの)も造ってはいけない。」という言葉が気になります。文字どおりに読むと、文鮮明氏の写真は地にあるもので形を持っているからキリスト教的な偶像崇拝にあたるような気もします。

>>そうですね。僕も漠然と使っていましたが、突き詰めると皆の幸福、人類の幸福の為になるかどうかです。でも、皆、人類の幸福の先には自分の幸福があります。
>まさにその通りですね、これが正常な幸福観だと信じます。

ありがとうございます。自分の信じる教えが、この幸福観に適っているかが重要ですね。

Re: 文家の不祥事は誰のせい? - サライ

2010/12/06 (Mon) 08:48:02

>悪霊と霊界を信じて何かいいことはありましたか?僕は無いような気もします。自分の身に起きた不幸を悪霊と霊界のせいにしていたり、「誰かが犯した罪のせい」と言って他人に責任を押し付けていては反省がありません。

霊界を信じることは当然善霊も信じる立場です、神に出逢い、親であること、愛されていることを感じたことが最大の喜びであり、幸せを感じたことが良いことですね。
これは善霊の働きとみます。

罪に対する罰という観点では、自犯罪に対しての罰はしっかり自分で償うのが原則であり、責任を押し付けているのではありません、地上で犯した罪は肉体を持っている時に犯した罪なので、その償いも地上でなさなければなりません、しかし、清算しきれないうちに死んでしまったとしたらその罪はなくなるのでしょうか?

ここが、霊界を信じる立場とそうでない立場の考えの分かれるところですが。罪はなくなりません、簡単に言うと被害者を創ってしまったのでその恨みが存在している限り清算されないということです。罪を犯した人間はその罪を忘れないために地獄で悲惨な生活をしているともいえます。
先祖にこういう人が多ければ、血筋を通してその子孫に不幸が多くなると言うことができます。恨みの清算を、被害者が追及してきます。

もうひとつ、単に先祖ではなくして、霊界に行った霊人をサタングループが伝道し悪霊人にしてしまうパターンがあります。これがどちらかと言うと積極的に悪事を働く存在です。

これ以上書くと霊界を信じない人にとっては荒唐無稽になるのでやめておきますが、とにかく我々の心の動きには霊界が深く関与しているということです。


>人間が汚い心を持っているのは、サタンから受け継いだということですが、このことは証明不可能で信じる信じないの問題です。信じる信じないの問題ならば、客観的には人間の汚い心がサタンから受け継がれたものかどうかは、「分からない」とするのが妥当だと思います。

チェさんの一貫した主張ですが、私は「分からない」では満足しません、たぶん信仰や哲学にのめりこむ人はそうだと思います。

しかし、苦しんでいるのは事実です。生老病死の解決は人間にとってある意味急務です。病気で医者に行き診察してもらい治療してもらうのは医者を信じるという信頼がなければなりたちません。100%でないにしても痛みから解放されるための処方を期待するのが人間の本性ではないでしょうか?信じて治療を受けてみることも必要ではないでしょうか?


>でも、統一原理は文鮮明氏を全人類共通のメシヤとして、仏教や儒教などで言われているメシヤ的存在なのですよね。これでは、他宗教の人にも文鮮明氏をメシヤとして崇めろと言っているように思えます。そうではなくて、他宗教の人は各宗教のメシヤ的存在をメシヤとしつつ、統一協会は文鮮明氏をメシヤとして対話するのです。

世界宗教議会という組織があり(組織の名前は替わったかもしれません)、昔から神観会議とか有益な議論がなされてきています。私はその分野にいたことがないので詳細は知りませんが、仲の良い食口は京都でお寺関係にこのような会議への参加を呼びかけていました。神主の食口も知っています。そういう意味で、チェさんが言われる対話は十分やってきていると理解しています。

>仏教は平和の為には主観に固執するなと言っています。

具体的にはどのようなことでしょうか?
固執している姿と
固執していない姿を対比していただければ分かりやすいかなと思います。

>確かに、サライさんのコメントでは、文鮮明氏の写真を拝むのではなく、その背後の神様を拝むようですね。ここで、「天にあるもの、地にあるもの、水のなかにあるものの、どんな形(あるもの)も造ってはいけない。」という言葉が気になります。

ここについては別スレッドたててみようかなと思います。
統一原理ではニ性性相の神観を説きます。
精神的な無形のものも神、有形のものも神ということもできます。人間の心も、体も神の実体展開とみますから、偶像という線引きが難しいですね、伝統的日本の神(畏れる神)観も原理は包括すると思います。
しかし神様は霊界に行っても見ることができません。創られた世界は神様の愛が具現化されたものであります。またその原材料は神であるとします、(詳しくは統一思想にあります)
また、霊界では繁殖作用がないので、子を産むことは地上の専権事項です、このことが真の父母という生身の人間の存在を必要とするし、その家庭の完成していく課程のなかに神の愛の具現化したすがたを見ることができます。
そして、愛の完成した家庭、究極的にはその父母の姿が神と同等と言うことになります。

原理は愛という概念なしには一つも成り立ちません。

Re: 文家の不祥事は誰のせい? - チェ・サンウ

2010/12/07 (Tue) 22:56:50

サライさん

>霊界を信じることは当然善霊も信じる立場です、神に出逢い、親であること、愛されていることを感じたことが最大の喜びであり、幸せを感じたことが良いことですね。
これは善霊の働きとみます。

サライさんが感じたことは、例え、統一原理がデタラメでも感じたこと自体は事実だから大切にしてください。

>罪に対する罰という観点では、自犯罪に対しての罰はしっかり自分で償うのが原則であり、責任を押し付けているのではありません、地上で犯した罪は肉体を持っている時に犯した罪なので、その償いも地上でなさなければなりません、しかし、清算しきれないうちに死んでしまったとしたらその罪はなくなるのでしょうか?

確か4種類罪がありましたよね。自犯罪を償うことは、自因自果で押しつけではありません。しかし、先祖の罪をどうして後孫が償わなければならないのですか?自分が死んで関係者が生きている間は、確かに罪は残るかもしれません。会ったことのない先祖が会ったことのない人に犯した罪を、どうして後孫が償わなければならないのですか?この場合、その罪の被害者も生きてないし、被害者の後孫と加害者の後孫とはアカの他人です。

>ここが、霊界を信じる立場とそうでない立場の考えの分かれるところですが。罪はなくなりません、簡単に言うと被害者を創ってしまったのでその恨みが存在している限り清算されないということです。罪を犯した人間はその罪を忘れないために地獄で悲惨な生活をしているともいえます。
先祖にこういう人が多ければ、血筋を通してその子孫に不幸が多くなると言うことができます。恨みの清算を、被害者が追及してきます。

確かに意見が分かれますね。僕は子孫に引き継がれるような罪が存在するかどうかは、「分からない」という立場を取っています。それに、地獄があるかないかも「分からない」です。証明できないことだから、信じるか信じないかの問題です。ここで重要なことは、信じた方が建設的か信じない方が建設的かです。

>もうひとつ、単に先祖ではなくして、霊界に行った霊人をサタングループが伝道し悪霊人にしてしまうパターンがあります。これがどちらかと言うと積極的に悪事を働く存在です。
これ以上書くと霊界を信じない人にとっては荒唐無稽になるのでやめておきますが、とにかく我々の心の動きには霊界が深く関与しているということです。

確かに、霊界を信じる人と「霊界があるかないかは分からない」という人では、これ以上議論にはならないと思います。でも、サライさんが今まで言ってきた罪は、「人対人」ですよね。

仏教では、野良ネコ・野良犬も含めてすべての命を平等と説いています。そして、動物を食べることも罪と説いています。でも、我々は動物を食べて生きています。後孫に引き継がれる罪というものがあるならば、我々は常に罪を犯して先祖が犯した罪も入れると、償いきれないくらいの罪です。

先祖が犯した罪を償うことよりも、「自分は常に罪を犯しながら生きている」と自覚して生活した方が建設的だと思います。顔を見たこともない先祖が犯した罪を償えと自分に災難が降りかかるなんて、はっきり言って嫌です。このことは証明できないから信じる・信じないの問題です。僕は信じたくないです。それに、後孫に引き継がれる罪を信じることが、霊感商法を助長しているように思います。

>チェさんの一貫した主張ですが、私は「分からない」では満足しません、たぶん信仰や哲学にのめりこむ人はそうだと思います。

分からないで満足できないのなら、証明不可能なものを「ある」、「ない」のどちらか信じるのですね。でも、この場合、信じた結果、それが建設的かどうかです。でも、サライさんとENOCKさんは違いますが、統一協会の一般信者は霊界を信じた結果、霊感商法をするので建設的ではありません。

>しかし、苦しんでいるのは事実です。生老病死の解決は人間にとってある意味急務です。病気で医者に行き診察してもらい治療してもらうのは医者を信じるという信頼がなければなりたちません。100%でないにしても痛みから解放されるための処方を期待するのが人間の本性ではないでしょうか?信じて治療を受けてみることも必要ではないでしょうか?

医者を信じるのも、その医者が患者を診察をする資格を持っているからです。医師と患者の信頼関係は医師免許を媒介として、成り立っているのだと思います。

>具体的にはどのようなことでしょうか?
固執している姿と
固執していない姿を対比していただければ分かりやすいかなと思います。

固執している姿とは、一つの価値観に執着している姿です。例えば、信仰でいえば、一つの宗教の信仰だけにこだわって他宗教を受け入れない姿です。固執していない姿とは、一つの宗教にこだわらないで、いろいろな宗教の良いところをアレンジする姿です。

僕は後者でいろいろな宗教の良いところをアレンジして自分の価値観にしていますが、「いろいろな宗教の良いところを取り入れよう」というスタンスを取ること自体、このスタンスに固執しています。

それに、固執することが争いの元です。この掲示板でも、統一信者同士仲間割れをしますが、それは各自の価値観に固執して他者の価値観を認めないからです。前に、イエス・キリスト時代の蕩減と言っていましたが、具体的には各自の価値観に固執するからです。宗教戦争も自分の支持する宗教が正義で、他の宗教を悪とするところから起きています。

Re: 文家の不祥事は誰のせい? - サライ

2010/12/08 (Wed) 08:07:03

チェ・サンウさん

>固執することが争いの元です。

誰しも何かしらの価値観や信念、または思考の習慣により生きています。意識するしないに関わらず一つのスタイルを持っているのではないでしょうか?そうでなければ精神分裂状態でまともな社会生活ができないのではないでしょうか?
たとえば、モーゼの十戒などは現代の法律、道徳の原典みたいなもんですが、これを守ることは固執でしょうか?

固執することが問題でなく、固執によって招く行為の問題ではないかと思います。

きのう娘が面白いことを言ってきました。
大学の説明会に参加してある国際関係の大学の面談で、インドの学生の話を聞いてきました。

この学生は自分の飲んだペットボトル空をポイポイ平気でキャンパス内に捨てるというのです、これを先生が注意するのですが全然理解してもらえなかったと言う話です。結局カースト制度の問題が原因と言うことが解り、世界には日本の常識が通じないところが沢山あり、いろんな国の人と知り合うことは有意義ですよ、ということのようです。

私もインド一人旅をしたのでカースト制度の実情は見てきたので良く解ります。結局バラモン教などからの流れの輪廻転生の思想が影響しているわけです。上位カース者は下位カースト者の仕事をつくり、業を清算させているので良いことをしているという考え方です。

このインドの学生は生まれたときからこの環境なので固執というのに当たらないのではないでしょうか?カーストを生みだす思想と社会背景が問題だと思います。
また、北朝鮮にも行きましたが幼稚園児がチュチェ思想教育を受け何の疑問もなく金日成親子を崇拝しアメリカ・韓国を批判します。

一つの思想、宗教は国家の文化を創りだす力があり、下々はただ従うだけで学校での教育さえ支配していきます。子供の頃から植えつけられた価値観は思考の道筋をつけ、その人にとっての常識を作ってしまいます。

>宗教戦争も自分の支持する宗教が正義で、他の宗教を悪とするところから起きています。

原理はこのような主張はしておらず、宗教の終焉を宣言します。

>顔を見たこともない先祖が犯した罪を償えと自分に災難が降りかかるなんて、はっきり言って嫌です。

これは原理が深くわかれば、神様の愛です、厳愛。現象としては不幸ですが、人類歴史・人類全体としては一つの罪が清算されることは天国に一歩近づくことになります。

死んだ先の人生があり、それが永遠に続くとした時、恨みを持って行った人の恨みはどこかで清算しなければその人の平安は訪れません。その清算のカギが地上であり血筋であり蕩減法です。

輪廻は同一魂の流転を言いますが、現象や考え方は近いものがあります。

Re: 文家の不祥事は誰のせい? - チェ・サンウ

2010/12/12 (Sun) 01:24:21

サライさん

>誰しも何かしらの価値観や信念、または思考の習慣により生きています。意識するしないに関わらず一つのスタイルを持っているのではないでしょうか?

その通りです。僕もチェ・サンウ流のスタイルを持っています。

>そうでなければ精神分裂状態でまともな社会生活ができないのではないでしょうか?
たとえば、モーゼの十戒などは現代の法律、道徳の原典みたいなもんですが、これを守ることは固執でしょうか?

人間はより良く生きたいと考える存在だから、十戒を守ることはより良い人生に固執していることになります。

>固執することが問題でなく、固執によって招く行為の問題ではないかと思います。

その通りです。人間は何かに固執しなければ生きられない存在です。問題は固執した結果です。サライさんは固執によって招く行為の問題と表現してますね。人間は何かに固執しなければ生きられない存在だから、「良い固執」と「悪い固執」があります。統一原理の神様も人間に固執していることになるけど、信じている人にとっては「良い固執」なのですね。

しかし、固執については統一原理は説いているのでしょうか?統一原理の神様も人間に固執していると、初期仏教は見透かしているように思います。

>この学生は自分の飲んだペットボトル空をポイポイ平気でキャンパス内に捨てるというのです、これを先生が注意するのですが全然理解してもらえなかったと言う話です。結局カースト制度の問題が原因と言うことが解り、世界には日本の常識が通じないところが沢山あり、いろんな国の人と知り合うことは有意義ですよ、ということのようです。
私もインド一人旅をしたのでカースト制度の実情は見てきたので良く解ります。結局バラモン教などからの流れの輪廻転生の思想が影響しているわけです。上位カース者は下位カースト者の仕事をつくり、業を清算させているので良いことをしているという考え方です。
このインドの学生は生まれたときからこの環境なので固執というのに当たらないのではないでしょうか?カーストを生みだす思想と社会背景が問題だと思います。
また、北朝鮮にも行きましたが幼稚園児がチュチェ思想教育を受け何の疑問もなく金日成親子を崇拝しアメリカ・韓国を批判します。
一つの思想、宗教は国家の文化を創りだす力があり、下々はただ従うだけで学校での教育さえ支配していきます。子供の頃から植えつけられた価値観は思考の道筋をつけ、その人にとっての常識を作ってしまいます。

それは、教育や社会的風習が固執を助長しているのです。生まれた時からの環境ということは、その環境の中である習慣が身について、別の環境でもその習慣に固執するのです。キャンパス内にゴミを捨てた学生が注意をされて聞かないのは、ゴミを捨ててもいいという考えが身についてそれに固執しているからからです。

>原理はこのような主張はしておらず、宗教の終焉を宣言します。

統一原理だけでなく、初期仏教も宗教の終焉というか宗教が争いの原因であると主張しています。他にも「人類は宗教に勝てるか?」の著者も宗教が争いの原因と主張して、無神教を主張しています。

>これは原理が深くわかれば、神様の愛です、厳愛。現象としては不幸ですが、人類歴史・人類全体としては一つの罪が清算されることは天国に一歩近づくことになります。

神様の愛でも人がやった罪をかぶって、自分が不幸になるのは嫌です。サライさんが人が犯した罪でも喜んでかぶれるのは、天国に行けるからですよね。それも天国に固執しています。天国に行きたいという思いは、実際には天国があるかないか分からないけど、あるならば誰でも行きたいはずです。僕も天国があるのだったら行きたいです。人間は、誰でも苦しみたくないです。

統一原理はこのような人間の本性を説いているのでしょうか?人間の本性を無視して、天国に行きたかったら、ただ「純潔を守れ」とか「献金しろ」と言ってるだけのような気もします。

>死んだ先の人生があり、それが永遠に続くとした時、恨みを持って行った人の恨みはどこかで清算しなければその人の平安は訪れません。その清算のカギが地上であり血筋であり蕩減法です。
輪廻は同一魂の流転を言いますが、現象や考え方は近いものがあります。

死んだ先の人生があるかないかは信じるか信じないの問題です。僕は「分からない」という立場を取っているので、信じていない部類に入ります。

初期仏教でも転生輪廻は信じるか信じないかの問題です。僕は信じていない部類に入ります。でも、お釈迦様は転生輪廻を信じない人も実践できるように説きました。今までサライさんだけでなくいろいろな信者と議論してきても、統一原理は統一原理を信じている人しか実践できないように思います。

統一原理が宗教間の対話を目指すのならば、統一原理を信じていない人にも実践できる必要があります。文鮮明氏は統一原理を信じていない人にも実践できるように説いたのでしょうか?

僕は説いてないように思います。好雄兄君は多分馬鹿信者の部類に入って判断の基準にはならないと思いますが、まりんちゃんに、こんなことを言っています。

>まりんさんが統一原理を信じていようがいまいが、統一原理は真理です。

http://kitagamitetsu.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=3029936

結局信じていてもいなくても真理ならば、信じていない人も実践できるように説いて然りです。宗教間の対話を目指すのなら、重要なことだと思います。信じていない人も実践できてその実践を仲介として対話ができると思います。文鮮明氏は説いていないように思うのは、好雄兄君のコメントから、まりんちゃんが信じていようが信じていなくてもいが統一原理は真理だから、ただ従いなさいと言っているだけのように思うからです。余談ですが、その後、「だったら、真理であることを示してください」というコメントは無視です。

僕は転生輪廻も「分からない」という立場をとっていますが、好雄兄君に習って信じる立場をとってコメントします。

>サライさんが信じていなくても、転生輪廻は事実です。

こう言われたら、どのように思いますか?

僕は、信じていない人は実践できない統一原理よりも、信じていない人も実践できる初期仏教の方が平和の為に建設的な教えだと思います。

余談ですが、宗教全般について書いてある本に、中村圭志著「信じない人の為の宗教講義」という本があり、信じなくても宗教はあるという主張です。詳しくは読んでいませんが、タイトルだけ見ると、僕のような奴の為に書かれた本だと思います。

Re: 文家の不祥事は誰のせい? - サライ

2010/12/12 (Sun) 08:27:26

チェ・サンウさん

>神様の愛でも人がやった罪をかぶって、自分が不幸になるのは嫌です。サライさんが人が犯した罪でも喜んでかぶれるのは、天国に行けるからですよね。それも天国に固執しています。天国に行きたいという思いは、実際には天国があるかないか分からないけど、あるならば誰でも行きたいはずです。僕も天国があるのだったら行きたいです。人間は、誰でも苦しみたくないです。

統一原理はこのような人間の本性を説いているのでしょうか?人間の本性を無視して、天国に行きたかったら、ただ「純潔を守れ」とか「献金しろ」と言ってるだけのような気もします。

答えは

>>そうですね。僕も漠然と使っていましたが、突き詰めると皆の幸福、人類の幸福の為になるかどうかです。でも、皆、人類の幸福の先には自分の幸福があります。

です、
これにもうひとつ「神様の幸福」が原理では追加されます。


>>サライさんが信じていなくても、転生輪廻は事実です。

>こう言われたら、どのように思いますか?

霊界や霊のことは死んでみて気づくでしょうね

しかし、信仰があれば準備ができます、胎児が羊水という水の中から出てくるまでに、空気世界で生きる肺やその他の器官が準備されていなければいけないように、死という霊界への誕生に際して、準備すべきものがあり、それが未成熟なら霊界で窒息するのと同じようなことがおきます、そこが地獄です。

これから、アラスカに行くのに短パンTシャツだけもって行ったとしたら凍えます、行き先の情報は生死を決定するほど重要です。
しかし、その情報は疑えばいくらでも疑えます、日常に溢れる情報でさえ嘘・捏造が山ほどあり、結局事の大小はあるけれども信じるという心の姿勢は重要です。


エバは「とって食べるな」という神の言葉を最後まで信じることができませんでした、天使(サタン)の誘惑の言葉で堕落しました。人間堕落の原点です。

しかし、信じることは簡単ではないので、復帰原理にある歴史観を通して信じるにたる証拠を示していると思います。
もうすぐクリスマスですがなぜこのような行事が世界的に行われているのでしょうか?イエス、若しくはキリスト教が世界に影響力を持っているという事実を私たちは見ます。これら(歴史)を証拠として原理の言う平和世界実現を主張し、信じてもらえるように伝えているのが原理講論の一側面です。

>僕は、信じていない人は実践できない統一原理よりも、信じていない人も実践できる初期仏教の方が平和の為に建設的な教えだと思います。

原理を知らない多くの人も実践していると思っています。人を愛し、平和を愛することは本心の願いであり真理でしょう。しかし方法論や、願いの程度は千差万別です。だから今日まで理想郷は訪れていません。

原理では堕落性、仏教では煩悩というのでしょうか?
愛したい、許したいと願う心に邪魔を入れる存在・・・
ここを解決・解明しようとしているのが原理です。

一歩さがって俯瞰で見れば、原理はとても建設的ではないでしょうか。

信者の人格の問題と原理の真理性の問題は分けて考えたほうが建設的です(笑)



Re: 文家の不祥事は誰のせい? - チェ・サンウ

2010/12/16 (Thu) 22:00:10

サライさん

研究発表の準備をしていて立てこんでいました。でも発表内容はメインの教育心理です。マインドコントロール研究はまだ着手してません。

>答えは
>>そうですね。僕も漠然と使っていましたが、突き詰めると皆の幸福、人類の幸福の為になるかどうかです。でも、皆、人類の幸福の先には自分の幸福があります。
>です、
これにもうひとつ「神様の幸福」が原理では追加されます。

神様の幸福と言われても、僕はいるかいないかは、「分からない」という立場を取っているので少し違和感を感じます。でも、信じている人にとっては「神様の幸福」が追加されるのですね。サライさんとENOCKさんの信じ方ならば問題ありませんが、摂理の為と言って犯罪や殺人をして、神様が幸福になるのでしょうか?

>霊界や霊のことは死んでみて気づくでしょうね
>しかし、信仰があれば準備ができます、胎児が羊水という水の中から出てくるまでに、空気世界で生きる肺やその他の器官が準備されていなければいけないように、死という霊界への誕生に際して、準備すべきものがあり、それが未成熟なら霊界で窒息するのと同じようなことがおきます、そこが地獄です。

死んでみて初めて気付くことで、信仰が必要なら生きてる間に信じない人はどうなるのですか?巷では、みすず書房出版の中村圭志著「信じない人の為の宗教講義」という本が出ています。信じない人にも宗教はあるというのがこの本の主張です。「信じない人の為」というのが、僕にとってはこの本の魅力です。宗教対話を目指すのなら、宗教間だけでなく、信じない人との対話も目指してみたらどうですか?この本は信じない人との対話に役に立つと思います。

一方で、文鮮明氏は信じない人も霊界で幸福になれる道は説かなかったのでしょうか?仏教では転生輪廻は信じるか信じないかの問題です。輪廻を断ち切ることが仏教における人生の目標になりますが、お釈迦様は転生輪廻を信じない人にも輪廻を断ち切る道を説いています。確か霊界でお釈迦様が文鮮明氏をメシヤと認めて弟子になったそうですね。文鮮明氏はお釈迦様の師匠ならば、弟子であるお釈迦様が転生輪廻を信じない人の為にも教えを説いたように、文鮮明氏は統一原理を信じない人も霊界で幸福になれる道を説いて然りです。

>これから、アラスカに行くのに短パンTシャツだけもって行ったとしたら凍えます、行き先の情報は生死を決定するほど重要です。
しかし、その情報は疑えばいくらでも疑えます、日常に溢れる情報でさえ嘘・捏造が山ほどあり、結局事の大小はあるけれども信じるという心の姿勢は重要です。

行き先の情報は重要です。死後の情報となるとなおさらです。でも、死後の情報には確かな情報はありません。信じるという心の姿勢が重要ならば、嘘・捏造を信じてしまうこともあり得るわけです。だから、僕は「分からない」という立場を取っています。

お釈迦さまも、「死後のことは考えるな」と言ったそうです。分からない死後のことを考えるより、今を懸命に生きろということです。死後のことを考えて、今を生きるのに何か建設的なことはありましたか?

>エバは「とって食べるな」という神の言葉を最後まで信じることができませんでした、天使(サタン)の誘惑の言葉で堕落しました。人間堕落の原点です。
しかし、信じることは簡単ではないので、復帰原理にある歴史観を通して信じるにたる証拠を示していると思います。

ここは、そもそもエバが神様の言葉を信じた・信じなかった以前に、エバの存在とサタンの存在が信じるか信じないかですよね。人間が悪なのは、エバが神様の言葉を信じなかったことなんですね。エバが神様の言葉を信じなかったから人間が悪であることは、証明は出来ますか?できないですよね。

このことは、信じるだけならば問題はありませんが、分からないことに無理やり答えを作ることは建設的ではないと思います。

お釈迦さまも、「分からないことは考えるな。」と言ったそうです。だから、生まれて成人したら、自分は悪だったとを認めた方がいいと思います。この悪の心を無くそうとすると余計に苦しいと思います。

今現在悪の塊の自分がいる。でも、なんで悪なのかは分からない。

統一原理では、悪の心を持っていたら天国に行けないのですよね?この天国が信じるか信じないの問題ならば、悪の心を持っていたらいけない天国は信じない方が建設的だと思います。

それと、復帰原理で見出した統一原理を信じるに足る証拠とは何ですか?

>もうすぐクリスマスですがなぜこのような行事が世界的に行われているのでしょうか?イエス、若しくはキリスト教が世界に影響力を持っているという事実を私たちは見ます。これら(歴史)を証拠として原理の言う平和世界実現を主張し、信じてもらえるように伝えているのが原理講論の一側面です。

確かに、キリスト教は影響力を持っています。でも、原理のいう世界平和実現とはどんなことでしょうか?脱会者の話から、統一原理は不幸が多いこの世界において、ただ単に「世界平和を目指しましょう」と言っているだけのような印象を受けます。統一原理では、どのように平和を築くのですか?

初期仏教について僕は本を読んだだけなので、詳しいことは分かりませんが、統一原理ほども平和・平和とうるさいことは言っていません。でも、主観への固執が平和を妨げていると主張しています。宗教も主観で、自分の信じる宗教が最も良いという姿勢が、他の宗教を認めずに平和を乱してると言っています。でも、人間は主観を持たずには生きられません。初期仏教は主観と付き合って平和に生きる方法を説いているのですが、この点はまだ理解できていません。

>僕は、信じていない人は実践できない統一原理よりも、信じていない人も実践できる初期仏教の方が平和の為に建設的な教えだと思います。
原理を知らない多くの人も実践していると思っています。人を愛し、平和を愛することは本心の願いであり真理でしょう。しかし方法論や、願いの程度は千差万別です。だから今日まで理想郷は訪れていません。

確かに原理を知らない人も、人を愛することと平和を願っています。でも、寒い中や蒸し暑い中を、珍味やフキンを売り歩いたり、街頭アンケートをやることは、統一原理を信じていない人もしているのですか?聞いた話では、朝早く起きて原理講論を読んだり、断食とか言って1週間飲まず食わずの生活もするそうですが、これらのことは統一原理を信じない人も実践しているのですか?これらが愛する訓練だそうですが、少なくとも、僕はしてないし、できそうにないです。

>原理では堕落性、仏教では煩悩というのでしょうか?
愛したい、許したいと願う心に邪魔を入れる存在・・・
ここを解決・解明しようとしているのが原理です。
一歩さがって俯瞰で見れば、原理はとても建設的ではないでしょうか。

堕落性・煩悩は人間の汚い心ですね。統一原理はこれらをどのように解決・解明をしようとしているのですか?

それと、愛したいと思う対象とは、どのような存在ですか?愛したいと思う対象は、自分にとって都合の良い存在だと思います。自分にとって都合の悪い存在は、初めから愛したいなどとは思わないです。

都合の良い相手に対する愛したいと願う心が憎しみに変わった時、堕落性・煩悩が愛したいと願う心の邪魔をしたと感じるのだと思います。初めから憎い相手に対して、愛したいと願う心はないと思います。

サライさんが言う、愛したい・許したい対象はどのような人ですか?統一原理では、人間は元々他を愛したいと思うように作られたと説くのですよね。でも、堕落によって愛せなくなったと。人間堕落も信じるか信じないかの問題です。人間が堕落によって愛せなくなったということを信じることは自由ですが、信じた結果が重要です。

>信者の人格の問題と原理の真理性の問題は分けて考えたほうが建設的です(笑)

これはそうかもしれませんね。信者の人格から原理を判断したら、ほとんどの人は北上君を見て統一原理はデタラメと結論付けると思います。

Re: 文家の不祥事は誰のせい? - サライ

2010/12/18 (Sat) 00:28:06

チェ・サンウ さん

一つ教えて

「分からない」という立場・状態でチェさんは満足ですか?
それともあえて「分からない」を選択しているのですか?

原理は、人間は堕落したから「無知」になったと主張します。
霊的無知と肉的無知の克服の道が宗教と科学の歴史だと解きますが、
このあたりからすでに食い違っているようです。

>分からないことに無理やり答えを作ることは建設的ではないと思います。

チェさんの主張では、今日までの、哲学思想や科学は無理やり答えを作ってきたことになりますが
1000年前の人類より少しは幸福な世界になってきているように思いますが、これも否定されますか?

Re: 文家の不祥事は誰のせい? - チェ・サンウ

2010/12/18 (Sat) 22:23:47

サライさん

>「分からない」という立場・状態でチェさんは満足ですか?
それともあえて「分からない」を選択しているのですか?

「分からない」では、正直満足は出来ません。でも、分からないことをどのようにして分かればいいのですか?分からないことをあれこれと妄想するよりも、今を生きることを考えた方が建設的だと思います。お釈迦さまも、「死後のことは考えるな」と言ったそうです。死後のことは考えても分からないから今を一生懸命生きなさいという意味です。ここから、分からないことをあれこれ妄想するよりも、今を生きることを考えた方が建設的だと思いました。

でも、サライさんは「分からない」では、満足しないのですよね。分からないことに対して想像するのは自由ですが、想像した内容が建設的かどうかが問題です。

統一原理の想像は建設的なのでしょうか?少なくとも北上君を見ていたら、建設的とは言えません。北上君だけではないです。統一協会も含めてカルトと呼ばれる団体の信者の想像は建設的ではありません。例えば、旧オウム真理教の教義は良く分かんないけど、何かを想像して地下鉄サリン事件を起こしましたよね。エホバの証人もハルマゲドンとパラダイスを想像して輸血拒否事件を起こしています。ハルマゲドンとパラダイスは証明不可能で信じるか信じないかの問題です。統一協会もサライさんとENOCKさんは違いますが、アダムとエバの堕落という根拠の無いことを信じて、霊感商法の問題を起こしていますね。アダムとエバの堕落も証明不可能だから、想像になると思います。

霊感商法だけではありません。祝福の強制結婚も、証明不可能なことを信じて理想の為に参加した結果ひどい目に遭った人もいます。

http://kitagamitetsu.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=2959953

http://kitagamitetsu.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=2989757

日韓の国際結婚は悲惨の極みだと思います。

http://kitagamitetsu.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=2947998

統一原理の想像は信じるか信じないかです。信じる・信じないは自由ですが、信じた結果このようになっては建設的ではないと思います。それに、摂理の為とか言って、殺されたらたまったものではありません。

>原理は、人間は堕落したから「無知」になったと主張します。
霊的無知と肉的無知の克服の道が宗教と科学の歴史だと解きますが、
このあたりからすでに食い違っているようです。

人間が無知なのは事実だと思います。でも、「どうして無知になったのか?」に対して堕落を理由に持ってくるのは堕落に対する根拠がありません。やっぱり根拠のある理由がほしいです。原理講論にもこのように書いてありますね。

「人間は、あくまでも論理的であると同時に、実証的なもの、すなわち科学的なものでなければ、真に認識するということはできないので、結局、宗教も科学的なものでない限り、よく知ってそれから信ずるということが不可能となり、宗教の目的を達成することはできないという結論に到達するのである。このように、内的真理にも論証的な解明が必要となり、宗教は長い歴史の期間を通じて、それ自体が科学的に解明できる時代を追求してきたのである。」

僕は統一原理は信じませんが、原理講論の主張では、宗教は科学的なものでない限り、それを知ってから信じることは出来ないとなっています。知るには解釈の幅があるということですが、

http://kitagamitetsu.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=3217999

解釈の幅がどうあれ、今までの議論からサライさんとENOCKさんの信じ方は理想的です。でも、実証的なものを認識しているとは言えないと思います。ここで、原理講論のとおり、統一原理を実証的なものにすることを考えるよりも、今まで議論してきた初期仏教の内容で良いものをアレンジすることを考えた方が建設的だと思います。今まで統一原理はデタラメと言われてきた箇所も、無理やり屁理屈的なことは考えないで、初期仏教の要素をアレンジしてみてはどうでしょうか?初期仏教も僕が知る限りでは、転生輪廻以外は実証可能なものだと思うので、もしかしたら統一原理に初期仏教をアレンジすれば実証的な統一原理ができるかもしれません。

確か、統一原理はまだ完成してないそうですね。サライさん的には完成してないからデタラメと言われるのですよね。せっかく初期仏教のことを議論したから、僕は大したコメントができませんでしたが、その中から統一原理を完成に至らせる要素を見出してみたらいいと思います。統一原理はすべての宗教を1つに統一したということなので、初期仏教は見方によっては宗教になりませんがアレンジできる要素はあると思います。

>チェさんの主張では、今日までの、哲学思想や科学は無理やり答えを作ってきたことになりますが
1000年前の人類より少しは幸福な世界になってきているように思いますが、これも否定されますか?

哲学・思想は分かりませんが、科学は分からないものは分からないとして、無理やり答えは作っていないと思います。それと、「無理やり答えを作ることは建設的ではない」と書いてしまいましたが、重要なことは無理やり作った答えが、建設的かどうかです。書き方を間違えました。すみません。

今は、1000年前よりは確かに、幸福な世界になっています。科学が無理やり答えを出したかどうかは何とも言えませんが、サライさんの主張から、無理やり出した答えが、建設的だったからと言えそうです。

Re: 文家の不祥事は誰のせい? - サライ

2010/12/19 (Sun) 08:54:30

チェ・サンウさん

>統一原理に初期仏教をアレンジすれば実証的な統一原理ができるかもしれません。

私には取っ掛かりが分かりません
何かヒントというかスタートラインにたたせて下さい。
初期仏教のなにからはじめればいいと思いますか?

今後は前に立てた初期仏教について語ろうスレッドでやっていきましょう。


>宗教は科学的なものでない限り、それを知ってから信じることは出来ないとなっています。

これは、二性性相の神を思想的に論証しているのが原理講論の創造原理です。心や霊界など無形の実存を証明するために多くの哲学、思想が生まれました、特に共産主義思想に対する批判と言う傾向が強いので過去の哲学などに習った形で原理講論があのような形になっていると思います。
今後、仏教に対する批判と代案という傾向性をもって創造原理が論じられなければなりません、これは統一思想研究院という部局が担当していますが、まだ公に発表できる結論に到っていません、今後多くの僧侶たちによって解明がされると思っています。時間が必要です。現在多くの世界中の僧侶達が祝福家庭となっているので、加速していくと信じています。

よくある、教祖の「お言葉」「お筆書き」などといような宗教経典とはずいぶん趣が違うはずです。

>日韓の国際結婚は悲惨の極みだと思います。

これについては心が痛みますが
逆に幸せに家庭を営んでる家庭も沢山あることも公平に見て欲しいですね、私の周りにもたくさんすばらしいカップルがいます。

オウム真理教と同列で見られるのは気持ちがよくありませんが、負の方だけを見比べれば、同列視されても、いたしかたありません。しかし世界の統一運動の様子も同様に判断材料として考慮に入れるのが公平で建設的ではないかと思います。
先日聞いた話ですが世界の小国が6つ国家理念として原理を受け入れて国創りをすると宣言しているそうです。
小国と言えどもトップはそれなりの学識のある人物に違いありません。

Re: 文家の不祥事は誰のせい? - チェ・サンウ

2010/12/19 (Sun) 22:37:32

サライさん

>私には取っ掛かりが分かりません
何かヒントというかスタートラインにたたせて下さい。
初期仏教のなにからはじめればいいと思いますか?
今後は前に立てた初期仏教について語ろうスレッドでやっていきましょう。

そちらのスレッドに書きました。でも、僕は初期仏教のことは分かっていません。原理不理解北上ならぬ初期仏教不理解チェ・サンウです。

http://kitagamitetsu.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=3253032

>これは、二性性相の神を思想的に論証しているのが原理講論の創造原理です。心や霊界など無形の実存を証明するために多くの哲学、思想が生まれました、特に共産主義思想に対する批判と言う傾向が強いので過去の哲学などに習った形で原理講論があのような形になっていると思います。
今後、仏教に対する批判と代案という傾向性をもって創造原理が論じられなければなりません、これは統一思想研究院という部局が担当していますが、まだ公に発表できる結論に到っていません、今後多くの僧侶たちによって解明がされると思っています。時間が必要です。現在多くの世界中の僧侶達が祝福家庭となっているので、加速していくと信じています。
よくある、教祖の「お言葉」「お筆書き」などといような宗教経典とはずいぶん趣が違うはずです。

科学的な統一原理になるといいですね。

>これについては心が痛みますが
逆に幸せに家庭を営んでる家庭も沢山あることも公平に見て欲しいですね、私の周りにもたくさんすばらしいカップルがいます。
>オウム真理教と同列で見られるのは気持ちがよくありませんが、負の方だけを見比べれば、同列視されても、いたしかたありません。しかし世界の統一運動の様子も同様に判断材料として考慮に入れるのが公平で建設的ではないかと思います。

そうですね。すみませんでした。あまりに被害がひどいから、どうしても悪い方に目が行ってしまいます。

ENOCKさんが言っていた統一原理をデタラメに見たい人には、デタラメに見えるに通づる物がありますね。被害がひどいから、どうしても統一協会を悪く見たくなり、霊感商法などの問題に目が行ってしまいました。「統一原理をデタラメに見たい人にはデタラメに見える」は、当初は屁理屈だと思ってネット漫才のネタにしましたが、ネット漫才どころか重要なことだと思います。ENOCKさん、すみませんでした。

統一原理を信じて幸福を感じる人がいれば、不幸になる人もいる。この差が何なのか、統一原理を信じてどうして幸福なのか、不幸なのかを、「無常」と「人間は常に自己中心」の観点から、見れば現在の統一協会の問題の原因が見えてくるかもしれません。

>先日聞いた話ですが世界の小国が6つ国家理念として原理を受け入れて国創りをすると宣言しているそうです。
小国と言えどもトップはそれなりの学識のある人物に違いありません。

小国6国とは、どこの国ですか?

Re: 文家の不祥事は誰のせい? - サライ

2010/12/19 (Sun) 23:30:15

チェ・サンウさん

>小国6国とは、どこの国ですか?

ソースは公式ではありませんが

二つ パラオ ネパール と聞きました。

これは、我々が提唱している天一国が実現したら同盟国となると約束しているようです。

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