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摂理の為の殺人 - 北上哲
2010/08/30 (Mon) 00:52:02
食口の皆さん
原理講論にこのような記述があります。
「ハムはたとえノアが裸になって寝ているのを自分では善くないことだと思ったとしても、(かつての箱舟の建造の場合のように、ここには何か深い訳があるのだということを賢明に悟って、分からずとも)あくまでそれを善いこととして見なければならなかったのである。しかしハムは、自己を中心として(自己の基準で)天の側に立っているノアを批判し、またそのことを行動に表したので、神がアダムから一六〇〇年も待って、四十日洪水審判を行使して立てられたノアの家庭を中心とする摂理は、結局成し遂げられなかったのである。」
だから、この世では悪でも復帰摂理の為だったら善になることをやることは正しいのです。殺人さえ、復帰摂理の為だったら、善になることもあるのです。
「神は、モーセがエジプト人を打ち殺すことをもって「出発のための摂理」をされた。モーセは、自分の同胞が、エジプト人によって虐待されるのを目撃し、火のように燃えあがる同胞愛を抑えることができず、そのエジプト人を打ち殺してしまったのである(出エ二・12)。事実これは、神が御自分の民の惨状を御覧になり(出エ三・7)、憤懣やるかたない御心情を表示されたものでもあった。それゆえに、このようなモーセを中心として、イスラエル民族が一つになるかならないかということは、彼らがモーセに従って砂漠を横断するカナンの復帰路程を、成功裏に出発できるか否かを決定する重大な問題であったのである。
神の選ばれたモーセが、このようにエジプト人を打ち殺したということは、第一に、天使長が人間始祖を堕落させ、また、カインがアベルを殺すことによって、サタンが長子の立場で人類歴史をつくってきたため、天の側から長子の立場にいるサタンの側を打って、蕩減復帰する条件を立てなければ、カナン復帰路程を出発することができなかったからであった。そしてつぎには、モーセがパロの宮中に対する未練を断ち、再びそこに戻ることができない立場に立たせるためであり、また、一方においては、これをもってイスラエル民族に彼の愛国心を見せ、彼を信ずるようにするためでもあったのである。第二次民族的カナン復帰路程において、神がエジプトの長子と、その家畜の初子を全部打たれた理由も、正にここにあったのである。」
モーセがエジプト人を打ち殺したのは摂理の為だったのです。
「第一次の民族的カナン復帰路程においては、モーセがエジプト人を打ち殺すことをもってその出発のための摂理をされたのであった。しかし、彼らがかえってモーセを信じなかったために、この路程は出発することさえもできず、失敗に終わってしまったのである。」
ここは、イスラエル人はモーセがエジプト人を打ち殺したことを善とみて、モーセを信じるべきでした。つまり、摂理の為だったら殺人さえも善になるのです。
僕は、殺人までする覚悟は、まだありませんが、殺人以外のことだったらやって逮捕される覚悟はあります。摂理の為だったら、殺人までする覚悟をもつことが本物の信仰者です。韓定食さんは僕のことを狂信者と言っていましたが、元食口だったら原理講論のこの箇所は知っていたはずです。知りながら僕を狂信者とは不信仰もいいところです。結局、殺人以外のことさえもやる覚悟がなく離れた脱落者の遠吠えです。
ENOCKさんも腰抜けサタンのヒロシも殺人どころか、他のこの世では悪でも摂理の為なら善となることもできないくせに統一原理は信じるに値するなどと言っています。信仰2世の小娘と祝福2世の小娘はそこまでする覚悟がないから、反対派に回るのは正しい選択です。でも、反対派に回ったことは後悔させてやります。
ENOCKさん
ENOCKさんには、殺人以外のこともする覚悟はないでしょう。だから、小娘ごときになめられるのです。摂理の為だったら、殺人までする覚悟をもってこそ本物の信仰者です。でも、都合のいい信仰生活をしているENOCKさんは摂理の為に逮捕される覚悟もありません。僕の管理が行き届かなかったこともありますがENOCKさんの発言でまことさんが離れて行きました。だからサタンです。
http://kitagamitetsu.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=3042865
その上、逮捕される覚悟もないくせに統一原理を信じているから腰抜けです。都合のいい信仰生活をして、他の食口に悪影響を与えているENOCKさんは腰抜けサタンです。
Re: 摂理の為の殺人 - EN0CK
2010/08/30 (Mon) 09:44:04
ちなみに、北上さんの考え方は、北上さんがお通いの教会ではどれくらいの方が賛同していらっしゃいますか?北上さんは教会で他の食口の方とここの掲示板のように原理について話されていますか。北上さんの個人的な見解なのか、北上さんの教会で主流を占める発想なのか知りたいのですが。
Re: 摂理の為の殺人 - 北上哲
2010/08/31 (Tue) 00:03:59
信仰が足りないENOCKさん
>ちなみに、北上さんの考え方は、北上さんがお通いの教会ではどれくらいの方が賛同していらっしゃいますか?北上さんは教会で他の食口の方とここの掲示板のように原理について話されていますか。北上さんの個人的な見解なのか、北上さんの教会で主流を占める発想なのか知りたいのですが。
この考えが主流かどうかは、この場合どうでもいいはずです。それを気にするということはENOCKさんは意志が弱いです。つまり、みんなが信じるから信じるとか、信じないから信じないと言っているようなものです。こんな流されやすいくせに、理想世界なんて言わないでください。
ここで肝心なことは、少なくともモーセがエジプト人を打ち殺したことを、ENOCKさんはどのように思っているのか?
Re: 摂理の為の殺人 - 元牧会者
2010/08/31 (Tue) 15:37:43
モーセがエジプト人を打ち殺したことを、お父様は、はっきりと間違いであると語っています。基本的に北上さんは、原理を理解していないようですね。
また、その国の法を犯しても良いと、お父様が発言されたこともありません。中途半端な原理の理解でこのような、掲示板等で公開するのは、反対派の良い材料になるだけです。
Re: 摂理の為の殺人 - 北上哲
2010/08/31 (Tue) 23:32:56
元牧会者さん
>モーセがエジプト人を打ち殺したことを、お父様は、はっきりと間違いであると語っています。基本的に北上さんは、原理を理解していないようですね。
僕はしばらく離れてたので、原理は十分に理解していません。モーセが間違いだったということは、そこには摂理がなかったということですか?
>また、その国の法を犯しても良いと、お父様が発言されたこともありません。中途半端な原理の理解でこのような、掲示板等で公開するのは、反対派の良い材料になるだけです。
確かに、お父様がそのように言っていたことは知りません。でも、原理講論にはこのようにあります。ここから、国の法を犯すことでも復帰の為だったら善とみなければいけないことになります。これも間違いだったのですか?
「ハムはたとえノアが裸になって寝ているのを自分では善くないことだと思ったとしても、(かつての箱舟の建造の場合のように、ここには何か深い訳があるのだということを賢明に悟って、分からずとも)あくまでそれを善いこととして見なければならなかったのである。しかしハムは、自己を中心として(自己の基準で)天の側に立っているノアを批判し、またそのことを行動に表したので、神がアダムから一六〇〇年も待って、四十日洪水審判を行使して立てられたノアの家庭を中心とする摂理は、結局成し遂げられなかったのである。」
Re: 摂理の為の殺人 - サライ
2010/09/01 (Wed) 10:57:45
北上哲さん
私は、北上さんと同じ質問をお父様にしたという証を聞いた事があります。
答えは、一言 「時代が違う」だったそうです
今という時代において、北上さんの主張は完全に間違いです。
神様の復帰摂理の苦労と涙を無視する発言です。
旧約前・旧約時代・新約時代・成約時代・天一国時代 どのように違うか自分で研究して下さい。
Re: 摂理の為の殺人 - 北上哲
2010/09/02 (Thu) 00:24:24
サライさん
時代が違うのなら、今は自分で悪いと思ったことを何か意味があると言って分からずとも悟る必要もないのですか?
Re: 摂理の為の殺人 - 元牧会者
2010/09/02 (Thu) 00:32:51
北上 様
>僕はしばらく離れてたので、原理は十分に理解していません。モーセが間違いだったということは、そこには摂理がなかったということですか?
これは! 本当に原理の理解が不十分ですね。
お父様の御言では、「モーセは、杖で奇跡では無く、パロの尻を叩けば良かった。奇跡は、摂理に1000年の穴を空ける。」と語られています。原理講論には、全てが書かれているわけではありません。お父様は、ここ10年程で、次々に新しいことを語られています。
>確かに、お父様がそのように言っていたことは知りません。でも、原理講論にはこのようにあります。ここから、国の法を犯すことでも復帰の為だったら善とみなければいけないことになります。これも間違いだったのですか?
堕落の動機と経路から、肉的堕落の動機と経路を読みなおして下さい。エバは、神のもとへ、帰りたいという、動機、目的は良かったが、問題は、アダムを誘惑したという、手段が問題になりました。原理における、善悪の観点は、当然目的性からみた、善と悪ではありますが、手段が何でも良いという訳ではありません。良く考えてみて下さい。お父様は、無実の罪で、6度の牢獄に入ったのです。「先生は摂理の為に、国の法を破り、有罪になったんだよ!」とは、言われていません。自然屈服の完全蕩減の意味を知って下さい。
>「ハムはたとえノアが裸になって寝ているのを自分では善くないことだと思ったとしても、(かつての箱舟の建造の場合のように、ここには何か深い訳があるのだということを賢明に悟って、分からずとも)あくまでそれを善いこととして見なければならなかったのである。しかしハムは、自己を中心として(自己の基準で)天の側に立っているノアを批判し、またそのことを行動に表したので、神がアダムから一六〇〇年も待って、四十日洪水審判を行使して立てられたノアの家庭を中心とする摂理は、結局成し遂げられなかったのである。」
この、ノアの裸の摂理の本質は、何だと思っているのですか?これは、ハムが、ノアが立てた勝利権を相続し、実体基台を復帰するアベルの立場にたつための摂理です。その為にノアとハムが心情的に一体化しなければなりません、その最大の条件が信じえないものを信じるということです。その為に、ノアはハムからみて、信じえな姿に神様はたたせたのです。
どうも、北上様は、しっかりと原理を理解しているアベルに出会ってこなかったようです。とても残念です。
原理は、真理です。間違いありません。しっかりと勉強して下さい。
Re: 摂理の為の殺人 - 元牧会者
2010/09/02 (Thu) 00:37:54
北上 様
>サライさん
時代が違うのなら、今は自分で悪いと思ったことを何か意味があると言って分からずとも悟る必要もないのですか?
この件を代わって回答します。
重要なのは、心情の一体化ですから、悟らなくても、確かめて聞けば良いのです。簡単なことです。
Re: 摂理の為の殺人 - 元牧会者
2010/09/02 (Thu) 00:44:48
北上 様
>ここは、イスラエル人はモーセがエジプト人を打ち殺したことを善とみて、モーセを信じるべきでした。つまり、摂理の為だったら殺人さえも善になるのです。
これは、あなたの原理の不理解によるものです。
直ちに、この掲示板で訂正・謝罪をして下さい。
これでは、オームと何ら変わらないですよ。
Re: 摂理の為の殺人 - 北上哲
2010/09/02 (Thu) 01:37:26
元牧会者さん
>これは、あなたの原理の不理解によるものです。
直ちに、この掲示板で訂正・謝罪をして下さい。
理解不足を痛感させられました。ありがとうございます。
食口の皆さん
摂理の為にはやっぱり法を犯したり殺人はいけないことでした。
でも、原研にいたときに伝道対象者が2daysに出ることに決まっていながら、キャンセルしてもう原研とは関わりたくないと言ってきたことがありました。この時すでに参加費をもらっていました。最後に伝道対象者に会ったときに、メールのお姉さんに、「参加費は返すべきです」と言ったら、「北上兄、人間的になったらダメ!。お金を取ってあげることがその人の救いになるから!」と強く言われました。だから、このこととノア家庭のことよりこの世では悪でも、摂理の為だったら逮捕される覚悟をもってこそ本物の信仰者だと思いました。でも、それは間違っていました。
Re: 摂理の為の殺人 - 元牧会者
2010/09/02 (Thu) 20:14:36
北上 様
ありがとうございます。
素直に自分の間違いを認める姿勢にうれしく思います。
いわゆる、アベルといわれる立場のになると、自分の過ちを素直に認めることが出来ず、独自的な原理の解釈で自己正当化するものが多かったのは事実です。
参加費用は、当然返すのが当たり前です。
お金をだましとっても条件にはなりません。
お父様の良いエピソードがありますの紹介します。
Re: 摂理の為の殺人 - 北上哲
2010/09/02 (Thu) 23:22:22
元牧会者さん
>モーセがエジプト人を打ち殺したことを、お父様は、はっきりと間違いであると語っています。
>原理は、真理です。間違いありません。しっかりと勉強して下さい。
なんかこの2つは矛盾するように思います。原理に間違いがないのに、モーセ路程は間違いだったのですか?
>いわゆる、アベルといわれる立場のになると、自分の過ちを素直に認めることが出来ず、独自的な原理の解釈で自己正当化するものが多かったのは事実です。
これは腰抜けサタンのヒロシです。掲示板で自分がアベルになったつもりで、他の兄弟姉妹に上から語りかけていました。取るに足らない批判しかできない非原理のサタンごときにこのことを指摘されて、謝ってます。愛の実体となるべく食口が原理を知らない非原理のサタンごときに注意されて謝るなんて恥もいいところです。
http://kitagamitetsu.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=3193682
ヒロシのたわごとです。
>こんにちは。仰る通りかもしれませんね…。
>上から目線であり、自戒と反省と言いながらも、
身が伴っていなかったと反省します。
>また、自分の考えとはいえ、人に不快感を与えるような
言い方をしてしまいましたこと、お詫びします。
>本当に、すみませんでした…。
これはうそです。最初、僕が下手に出ていたときは元気に上から語りかけてきたくせに、今は僕には上から言うようなことはありません。挙句の果てにこの掲示板でヒロシのたわごとが原因で2人の食口が離れて行きました。
http://kitagamitetsu.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=3132794
ヒロシにどのように責任を取るのか言うように言っていますが、無視し続けています。ヒロシがどこの誰か分かったら除名にしてください。
Re: 摂理の為の殺人 - 元牧会者
2010/09/03 (Fri) 01:18:49
北上 様
>なんかこの2つは矛盾するように思います。原理に間違いがないのに、モーセ路程は間違いだったのですか?
すみません、説明不足で混乱させてしまいました。
この場合の原理は、お父様が解明された、真理そのものを指しています。
原理講論のモーセ路程だけでは、不十分ということです。
よって、原理を学んで下さいというのは、最近のお父様が語られている、御言を学んで下さいということです。
原理講論だけでは、不十分ということです。
例えば、三対象の愛について、お父様が食口に質問されました。韓国の36家庭の先生が、原理講論の如く説明をされましたが、お父様は、「何にもわかってないな。」と言われ、1時間近く三対象の愛について、説明されました。
また、原理講論の復帰原理は、カインの責任分担が中心に書かれています。本来ならば、実体基台の中心人物は、アベル的立場ですから、アベルの責任を中心に書かれなければなりません。このことについて、お父様は、明確に説明して下さっています。それは、「アベルの正道」という御言を語られた時に、「アベルの正道は、大前提で原理講論には省いた。」と言われました。
又、こんのエピソードもあります。元・神山会長が、日本の会長になられて、日本の現状をお伝えした時に、「日本のアベル観は、電車で座っていて、ご老人が前に来ても、席を譲らず。私が座ることで、ご老人が条件を立てたことになる。譲らないのが、ご老人の救いになる。というアベル観です。」と伝えたところ。
お父様は、はっきりと「先生は、そんなこと教えたことが無いよ。」とあきれた様子であったと、神山会長から直接聞きました。
先ほどの、料金を返さなくて良いという話に似ていますね。
私が、前線部署にいたころ、恐ろしい責任者がいました。
礼拝は、休む時間で、寝てても良いと指導したり。ゲストのケアーがあれば、礼拝に出なくて良い。という指導をする責任者でした。
大母様は、良く連帯的罪について語られます。
食口が離れてしまうことは、食口の連帯的罪になると、だから、連帯的罪の清算は、離れた食口を救うことにあると。
現在、私も休んでいる多くの兄弟姉妹と連絡を取り合っています。その中から、戻ってきてくれて、祝福を受けてくれたり、頑張ってくれている兄弟姉妹もいます。
この掲示板を読んで、何か悟って頂ける、兄弟姉妹がいてくれれば、幸いです。
Re: 摂理の為の殺人 - サライ
2010/09/03 (Fri) 09:09:34
元牧会者さん
はじめまして、サライといいます。
>大母様は、良く連帯的罪について語られます。
食口が離れてしまうことは、食口の連帯的罪になると、だから、連帯的罪の清算は、離れた食口を救うことにあると。
このことは、とても強く感じています。
この罪ゆえに子女様の問題や摂理的な日本の苦痛が続いているのだろうと思います。
現在教会では分派等の勧誘があったときには、とにかく相対するなという指導だけなので、とても情けなく思っています。
牧会者は分派にかかわっている時間など無いと思いますが、教会などに招いて分派に行った人の動機と経路、原理解釈、真の父母様をどう思っているかなど、公開討論会でもすればいいのではないかと思っています。何を恐れているのでしょうか?自信が無いのでしょうか?
また
統一教会の中心者の特徴として先にコメントされていたように、間違いを認めない、自己正当化する、あやまらない、などあると思いますが、
アベル・カインで離れた人たちと話してみると、このこと、「スミマセン」と一言いってくれれば自分は許す、中心の事情も理解できる、という人が沢山います。
これってどう思いますか?
素直じゃない、変な文化だと思います。
だから「摂理の為の殺人」を正当化するという人が出てきてしまうと思います。北上さんは少し極端ですが、こういう、ねじまがった文化が温床になっていると思います。
これは教会の罪そのものだと思います。いかがですか?
Re: 摂理の為の殺人 - 元牧会者
2010/09/03 (Fri) 19:15:12
サライ 様
初めまして。
>現在教会では分派等の勧誘があったときには、とにかく相対するなという指導だけなので、とても情けなく思っています。
これは、各教会で対応が異なっているようです。
私が所属している教会は、堂々と対応していますし、私が牧会していた教域では、直接私が対応しました。
本部は、直接対応もしていますし、教義論争も行い、それに関する、書籍も出されています。
サライ様が所属する教会は、大変残念な対応と存じます。
>牧会者は分派にかかわっている時間など無いと思いますが、
思った以上に時間はありますよ。
>教会などに招いて分派に行った人の動機と経路、原理解釈、真の父母様をどう思っているかなど、公開討論会でもすればいいのではないかと思っています。何を恐れているのでしょうか?自信が無いのでしょうか?
どちらかと言うと、分派されている側が避けています。
私が知る限りは、恐れも、自信が無いということはありません。
>統一教会の中心者の特徴として先にコメントされていたように、間違いを認めない、自己正当化する、あやまらない、などあると思いますが、
アベル・カインで離れた人たちと話してみると、このこと、「スミマセン」と一言いってくれれば自分は許す、中心の事情も理解できる、という人が沢山います。
私もそう思います。
しかし、韓国人牧会者が、1993年から日本の現場に入り初め、大分変ってきてはいます。
とはいえ、「スミマセン」て言わないですね。アベルは、絶対という間違った教育をしてしまったが故に、絶対である自分が謝ることが出来なくなってしまったという、負のスパイラルに入ってしまっている方が多いのは事実です。
>素直じゃない、変な文化だと思います。
文化では無いですね。
御言葉の不理解の成せる業かと思います。
私は、直ぐに謝罪していましたし、私が今所属している教会の牧会者は、大変謙虚で素直に謝罪されます。
簡単に言えば、個人差です。
変な文化はありません。
>だから「摂理の為の殺人」を正当化するという人が出てきてしまうと思います。北上さんは少し極端ですが、こういう、ねじまがった文化が温床になっていると思います。
これは教会の罪そのものだと思います。いかがですか?
文化では無いと考えていますので、そのことが温床になっているとは、私は考えません。
素晴らし先輩家庭、牧会者も多くいます。
罪という観点で、考察するならば、罪の定義を確認する必要よがあります。
罪の結論は、天法に反することです。
お父様が正式に発表されている、天法からすると、
「教会の罪」という意味が良く解らなくなってしまいます。「ある一部の牧会者が罪を犯している」となれば、うなずけることです。
以上がお答えになります。
分派問題に関しての私なりの考えですが、宗教・宗派の闘争歴史の清算が掛かっているように思います。
最終的には、お父様をメシヤとして受け入れるかにかかっています。
Re: 摂理の為の殺人 - サライ
2010/09/04 (Sat) 06:32:33
元牧会者さん
ありがとうございます
>罪の結論は、天法に反することです。
お父様が正式に発表されている、天法からすると、
「教会の罪」という意味が良く解らなくなってしまいます。「ある一部の牧会者が罪を犯している」となれば、うなずけることです。
例えば、日本の民族的な罪に対して連帯罪といわれています。
統一教会はもうすでに国家建設の段階ですので民族から国家の段階であろうと思います。
日本の軍閥に対する扱いもA級B級戦犯などとして指導部を裁いていますが、責任の重さの違いがあるにせよ、日本国民としての連帯罪があるとすれば、教会の幹部と言われる方たちの罪=教会(統一家食口)の罪にあたるのではないでしょうか?特に心情蹂躙の罪は犯していることすら自覚がないと思いますが、罪は罪です。
食口個人の意思や考えというものではなく、組織としての空気、雰囲気、教育がそうさせてしまっていたと、とても感じます。よく食口の氏族などに会うと、「あんた達一人一人は悪い人に見えないけど、どうしてあんなこと(霊感商法など)して警察ざたになるかね~」などと耳にします。そういう意味で文化と言う言葉を使いましたが
やはり、俗に言う総括をしないと前に進まないのではと思います。徳野会長の会見以降も表面的にはコンプライアンスをうたっていますが、責任者によってかなり違いがあります。私のところではいまだに、霊感商法まがいのことが行われています。
一部の牧会者が良くてもそうではない指導者がいたとしたら結局全体としてみれば罪を犯しているていると言えるのではないでしょうか?
この掲示板に登場する二世の子達もその被害者です、心が痛んだ、心情が傷つけられたはずです。これは教会の罪に当たらないんでしょうか?
Re: 摂理の為の殺人 - 元牧会者
2010/09/04 (Sat) 08:06:50
サライ 様
>例えば、日本の民族的な罪に対して連帯罪といわれています。
統一教会はもうすでに国家建設の段階ですので民族から国家の段階であろうと思います。
日本の軍閥に対する扱いもA級B級戦犯などとして指導部を裁いていますが、責任の重さの違いがあるにせよ、日本国民としての連帯罪があるとすれば、教会の幹部と言われる方たちの罪=教会(統一家食口)の罪にあたるのではないでしょうか?特に心情蹂躙の罪は犯していることすら自覚がないと思いますが、罪は罪です。
このことは、どこまでを幹部とするのか?
という大きな問題があります。
最終的には、御父母様を否定することになります。
日本統一教会の罪では無く、やはり、食口の連帯的罪と考えます。
分派活動をしている元食口の論理に似ています。
最終的には、御父母様はメシヤでは無いと手のひらを返すものと似ています。
>食口個人の意思や考えというものではなく、組織としての空気、雰囲気、教育がそうさせてしまっていたと、とても感じます。
これは、各教域・教会で全く違います。
日本統一教会と区切るには無理があります。
まして、日本統一教会として、一貫した教育があるわけではありません。各現場に任せています。
>よく食口の氏族などに会うと、「あんた達一人一人は悪い人に見えないけど、どうしてあんなこと(霊感商法など)して警察ざたになるかね~」などと耳にします。そういう意味で文化と言う言葉を使いましたが
やはり、俗に言う総括をしないと前に進まないのではと思います。徳野会長の会見以降も表面的にはコンプライアンスをうたっていますが、責任者によってかなり違いがあります。私のところではいまだに、霊感商法まがいのことが行われています。
一部の牧会者が良くてもそうではない指導者がいたとしたら結局全体としてみれば罪を犯しているていると言えるのではないでしょうか?
正にこのことかと思います。一部の牧会者の責任なのです。
>この掲示板に登場する二世の子達もその被害者です、心が痛んだ、心情が傷つけられたはずです。これは教会の罪に当たらないんでしょうか?
傷付けた食口の罪と思います。
この論理は、日本統一教会というより、統一教会が悪いと言っているように思います。
そのように、感じるなら、牧会をして、心情を取り直してあげなければならないと思います。
やはり、一部の牧会者の責任です。
例えば、現在でも、徳野会長の記者会見以後、各地区会長達は、方向転換をしていますが、一部、地区会長は、全く本部の方針に従いません。これを、教会の罪というには、無理があります。
逆に質問させて下さい。
教会の連体的罪とした場合、その範囲をどこまでと定めますか?
教会の連帯的罪というより、私の連帯的罪と考え、氏族メシヤ活動をしていくしかないように思います。
Re: 摂理の為の殺人 - サライ
2010/09/06 (Mon) 22:11:55
元牧会者さんへ
私は、宗教法人としての統一教会の罪を言ってるのではなく
統一家、真の父母様から子女と認めていただいた祝福家庭として罪を負う責任があると言っているんです。
>やはり、一部の牧会者の責任です。
一部に罪のある団体に神が相対できるだろうか?
どう思われますか?
神様の団体となろうとすれば
一心一体一念でなければ天運にのることはできないと考えます。
責任者一人の間違いは、100人1000人の食口を同罪としてしまう恐ろしさがありますし、私もその中の一人の食口だったことを認めるし、とても悔しく思います。
しかし罪は罪です連帯的罪を負う。責任を負わなければなりませんね。
蕩減の時代は過ぎ去ったのに、まだ祝福家庭の不一致のために蕩減条件が必要だとすれば、希望が見えません、モチベーションがた落ちです。
このような考えはおかしいでしょうか?
私は分派でも反対派でもありませんが、教会の自浄能力のなさにがっかりしているものです。
EN0CKさんがどこかで最近コメントされていましたが教会内分派を立ち上げようかと思うくらいです。
Re: 摂理の為の殺人 - 元牧会者
2010/09/06 (Mon) 23:31:50
サライ 様
>私は、宗教法人としての統一教会の罪を言ってるのではなく統一家、真の父母様から子女と認めていただいた祝福家庭として罪を負う責任があると言っているんです。
このような、観点なら理解できますし、私もそう思います。
「教会の罪」という表現が誤解を招くのではないでしょうか?
単純に一食口の罪は、全食口の連体的罪と表現すれば良いと思います。
>一部に罪のある団体に神が相対できるだろうか?
どう思われますか?
相対出来ます。復帰原理を良く学べば解ることです。
もし、相対出来ないとしたならば、復帰歴史自体があり得ない話になります。堕落行為に干渉出来ない神様が、どうして、堕落世界に対して、救援摂理をすることが出来たのでしょうか?
まして、サタンまでも復帰している現実を考えて下さい。
>神様の団体となろうとすれば
一心一体一念でなければ天運にのることはできないと考えます。
摂理的、中心人物、中心家庭、中心民族、中心国家が、全て一心、一体、一念ではありません。
サライ様ご自身は、そうなのでしょうか?
>責任者一人の間違いは、100人1000人の食口を同罪としてしまう恐ろしさがありますし、私もその中の一人の食口だったことを認めるし、とても悔しく思います。
しかし罪は罪です連帯的罪を負う。責任を負わなければなりませんね。
サライ様は、責任を負うものとして、どう蕩減復帰していくのでしょうか?
このことに関しては、明確に御父母様も、大母様も語られていますから、御存知かどうか、確認させて下さい。
>蕩減の時代は過ぎ去ったのに、まだ祝福家庭の不一致のために蕩減条件が必要だとすれば、希望が見えません、モチベーションがた落ちです。
何に対する、蕩減の時代なのでしょうか?
私の自身の自犯罪、私の先祖の遺伝的罪、私の氏族の連体的罪、これら全ては残っていますから、蕩減条件は必要です。我々、一人一人が日々の信仰性活の中で、生活信仰をしながら、蕩減条件を立てる生活は、今もなお、続いています。モチベーションが、がた落ちというのは、何を動機として信仰生活をしてきたのか、大変疑問です。
>このような考えはおかしいでしょうか?
恐らく、原理を理解されていないからだと思います。
清平の原理本体論の修練会を受けてないのではないでしょうか?
信仰生活は、永さではありません。
動機の成長が問われます。
>私は分派でも反対派でもありませんが、教会の自浄能力のなさにがっかりしているものです。
しっかりと、本部に進言されたら良いですよ。
がっかりしている場合ではありません。自浄能力を高める為に、サライ様も努力しなけれなりません。気がついた人が行うのは、当然のことです。がっかりしているだけや、文句だけ言っているのは、愚の骨頂ですね。
>EN0CKさんがどこかで最近コメントされていましたが教会内分派を立ち上げようかと思うくらいです。
こうい発言を聞くと、自浄能力を失くす原因が、サライ様にあること実感致します。
全く意味の無いことです。
霊的集団や、分派から伝道されないように気をつけて下さい。
Re: 摂理の為の殺人 - サライ
2010/09/08 (Wed) 13:34:17
元牧会者さん
>相対出来ます。復帰原理を良く学べば解ることです。
もし、相対出来ないとしたならば、復帰歴史自体があり得ない話になります。堕落行為に干渉出来ない神様が、どうして、堕落世界に対して、救援摂理をすることが出来たのでしょうか?
まして、サタンまでも復帰している現実を考えて下さい。
神は相対できないから分立摂理をしたのでは?
食口の責任分担に関わることだと思いますが。
もっと言えばアベルの責任分担。
供え物を捧げるだけで責任が果たせるでしょうか?
この世全体から見れば教会集団はアベルのはずです。
私は、日本教会自体のサタン分立が成立していないと感じます。
>まして、サタンまでも復帰している現実を考えて下さい。
これは、直接神様がなしたのではなく、真の父母様の愛の基
準がたったので(人間の責任分担が完成)したので大母様が役事することができたのではないかと思います。
これが、「神様も父母様に頭を下げるよ」と言われるゆえんではないでしょうか?
>摂理的、中心人物、中心家庭、中心民族、中心国家が、全て一心、一体、一念ではありません。
少なくとも教区長以上はこのようであってほしい。
天一国時代・正午定着と言われて久しいのに、誰が見ても不一致は悲しいでしょう!
ずっとこのままで2013年までに父母様の計画は成就するのでしょうか?
>サライ様ご自身は、そうなのでしょうか?
気持ちよい教会生活ができないのでとうてい
一心、一体、一念ではありません。
>サライ様は、責任を負うものとして、どう蕩減復帰していくのでしょうか?
このことに関しては、明確に御父母様も、大母様も語られていますから、御存知かどうか、確認させて下さい。
ぜひ教えてください。
>何に対する、蕩減の時代なのでしょうか?
成約時代までの蕩減と思っています。
>モチベーションが、がた落ちというのは、何を動機として信仰生活をしてきたのか、大変疑問です。
今は子女の責任分担の時代で、祝福家庭にあっては、み言葉訓読家庭教会により、愛の完成を目指して信仰生活をすること、その第一が長子圏復帰だと思って歩んでおります。
統一教会は真の父母様が天宙的メシヤとして立つための基盤、善の天使長圏の立場であったはずであり、その役目はすでに摂理的には終わっており、祝福家庭一人一人が真の父母になる道を早く行かなければ天一国はできないと思っております。
しかし、一部の間違った指導により足をひっぱられっぱなしです。だからモチベーションが、がた落ちです。
>清平の原理本体論の修練会を受けてないのではないでしょうか?
水沢里(2008)も清平(2009)も参加して、修了書二枚持っています。
元牧会者さん、一つ聞いてもよろしいでしょうか?
原理本体論の講義とこれまでの原理講義とはっきり違うのはどこでしょうか?誰に聞いても納得できる答えが返ってきません。
水沢里では創造原理が詳しく統一思想的であり、清平では、家庭(夫婦・絶対性)と言う観点での講義に重点が置かれていたようですが、ポイントが良く解りませんでした。
>しっかりと、本部に進言されたら良いですよ。
松涛本部に連絡すればいいですか?
以前電話したら、教区の総務を通せと言われました。
本部は、そのように指導しておりますと言うに決まってます。(今は知りませんが)
本部にいくら進言しても統制力が無ければ無意味だと思っています。実際、地区長と本部の佐野さんの激論を目撃しています、論拠のベースが一致しないので話になりませんでした。
これまで、現場の中心者、総務や教会長にはだいぶ進言してきましたが、無視です、返答なしです。おかげで公職をクビになりましたが。
>気がついた人が行うのは、当然のことです。
私は、やってきた経験を通して発言しています。その結果として、これまで、黙殺、恫喝、人事、降格、これが私が通過した教会内での、これまでの経緯です。牧会してくれた人はいません。教会で解ってくれる人がいれば、こういう掲示板で恥をさらす必要もありません。
お父様のみ言葉を優先したいと言っても通じませんでした。
そういう組織だと言うことを元牧会者さんも知っておられるはずです。
無視されるほど辛いものはありません。
元牧会者さんに質問です。
我が教区では、いまだに有名なI先生(6000双)という(霊能者?)が公的に講話をし家系図指導をしています。集会に参加できなかった食口には講話のビデオまで見せる。「私の指導を受けているところはK全国トップ」という堕落性をくすぐる基準の落ちる話ばかりです。
これってすごく微妙なことで、表面的にはコンプライアンスに添ってはやられていますが、一般おばちゃん食口(特にTSからの人)にとっては、大先生です。その権威だけで言うことを聞いてしまう。
結果的に自分の家系の問題の解決とお金が結びつきますが、その後の教育が不完全(担当や教区長、牧会者が変わる場合もある)だった場合または、心情復帰、動機の成長と言う観点で捉えられなかった場合には結局、最悪恨みになってしまう。ご利益や恐怖信仰止まり。私のまわりは、そういうおばさんが多いです。
これが現実です。繰り返されている。そして、これが伝道と献金の主流です。
こんなことを、繰り返しやってて良いと思いますか?
法令を遵守していても、教会内の主体的立場の食口と対象的立場の食口の授受作用において発展・成長が見られないとすれば意味が無いと思いますが。
Re: 摂理の為の殺人 - 元牧会者
2010/09/12 (Sun) 14:55:07
元牧会者さん
>私は、日本教会自体のサタン分立が成立していないと感じます。
摂理は、神様が成されます。
教会内の分立摂理は、神様が役事されることです。
アベルとカインは、自分で理解していたわけではありません。
自分がアベル的立場として、教会内分派を作ろうと考えるとしたら、極めて傲慢な、姿勢かと思います。
人間の責任分担論を、あまり理解されていないように思います。
>これは、直接神様がなしたのではなく、真の父母様の愛の基準がたったので(人間の責任分担が完成)したので大母様が役事することができたのではないかと思います。
これが、「神様も父母様に頭を下げるよ」と言われるゆえんではないでしょうか?
その通りだと思います。
>少なくとも教区長以上はこのようであってほしい。
天一国時代・正午定着と言われて久しいのに、誰が見ても不一致は悲しいでしょう!
ずっとこのままで2013年までに父母様の計画は成就するのでしょうか?
これは、真のご家庭までを指すのでしょうか?
>気持ちよい教会生活ができないのでとうてい
一心、一体、一念ではありません。
堕落性本性の4番目です。
罪と堕落性の違いを正しく理解していないようです。
>ぜひ教えてください。
再復帰活動と氏族メシヤです。
>成約時代までの蕩減と思っています。
具体的には?
>しかし、一部の間違った指導により足をひっぱられっぱなしです。だからモチベーションが、がた落ちです。
「足をひっぱられっぱなし」と表現していること自体が、
信仰観に問題があると思います。
どのような、環境でも、どう捉えるかは極めて重要です。基本的に信仰とは何か?を理解していないように思います。
勿論、課題を解決しなければならないのも事実ですが、今ある環境を信仰者として捉える姿勢も重要かと思います。
>原理本体論の講義とこれまでの原理講義とはっきり違うのはどこでしょうか?誰に聞いても納得できる答えが返ってきません。
誰に聞かれたのですか?
修練会で質問すれば、早いです。
2回も出ているのですから、ちゃんと質問されれば良かったかと思います。
原理講論が、発刊されて以後、お父様が語られた内容を基準に補足説明を体系的にまとめたものが、原理本体論です。
何が違うということでは無く、時代的な恵沢と共に、新たに公表された御言を体系化したものと捉えていただければ理解しやすいと思います。
>ポイントが良く解りませんでした。
ポイントを絞るのは難しいですが、
三大祝福とは何か?
本来神様が人類に願ったもの。
神様が親として、子供である人間に教育したかったこと。
>松涛本部に連絡すればいいですか?
以前電話したら、教区の総務を通せと言われました。
直接の窓口がありますから、公式サイトにアクセスして下さい、真摯に対応してくれます。
>本部は、そのように指導しておりますと言うに決まってます。(今は知りませんが)
私に対して、そのような対応は一度もありません。
>本部にいくら進言しても統制力が無ければ無意味だと思っています。実際、地区長と本部の佐野さんの激論を目撃しています、論拠のベースが一致しないので話になりませんでした。
無意味ではありません。
今回は、充分に解決された事実があります。
>これまで、現場の中心者、総務や教会長にはだいぶ進言してきましたが、無視です、返答なしです。おかげで公職をクビになりましたが。
サライ様が所属していた教会の総務や教会長に問題があったのでしょう。
私の教会は、しっかりと耳を傾けてくれます。
>私は、やってきた経験を通して発言しています。その結果として、これまで、黙殺、恫喝、人事、降格、これが私が通過した教会内での、これまでの経緯です。牧会してくれた人はいません。教会で解ってくれる人がいれば、こういう掲示板で恥をさらす必要もありません。
教会に対する姿勢で環境が変わっていきます。
前にも書きましたが、信仰者としての環境に対する捉え方が、環境を変えることが出来なかったのでしょう。
>お父様のみ言葉を優先したいと言っても通じませんでした。
そういう組織だと言うことを元牧会者さんも知っておられるはずです。
そんなことはありません。
教区や教会でかなりの差がありようには感じます。
>無視されるほど辛いものはありません。
はい。そう思います。
>我が教区では、いまだに有名なI先生(6000双)という(霊能者?)が公的に講話をし家系図指導をしています。
最悪ですね!
私も本部に進言しました。
「お父様が認めた、霊能者だけしか用いてはいけない!」
と、はっきり言われています。
ひどい教区だと思います。
このI先生の自論は、酷いものです。
自論中の自論です。
是非、本部に進言して下さい。
>集会に参加できなかった食口には講話のビデオまで見せる。「私の指導を受けているところはK全国トップ」という堕落性をくすぐる基準の落ちる話ばかりです。
心痛い話ですね。
>これってすごく微妙なことで、表面的にはコンプライアンスに添ってはやられていますが、一般おばちゃん食口(特にTSからの人)にとっては、大先生です。その権威だけで言うことを聞いてしまう。
微妙というより、確信犯です。
これが、分派や霊的集団の拡大の温床になっています。
本部の指導を待ちたいところです。
その為にも、皆さんの進言が必要なのです。
>結果的に自分の家系の問題の解決とお金が結びつきますが、その後の教育が不完全(担当や教区長、牧会者が変わる場合もある)だった場合または、心情復帰、動機の成長と言う観点で捉えられなかった場合には結局、最悪恨みになってしまう。ご利益や恐怖信仰止まり。私のまわりは、そういうおばさんが多いです。
聞けば聞くほど、心が痛みます。
>これが現実です。繰り返されている。そして、これが伝道と献金の主流です。
「サライ様の教区では」ということですね。
>こんなことを、繰り返しやってて良いと思いますか?
全く思いません。
>法令を遵守していても、教会内の主体的立場の食口と対象的立場の食口の授受作用において発展・成長が見られないとすれば意味が無いと思いますが。
私もそう思います。
サライ様がおっしゃることは大変良く理解できますが、少し残念なのは、良い牧会者に恵まれていなく、正しく原理を理解していないことにあるように感じました。
生意気な表現になってしまい、大変恐縮ですが、私が牧会していた時、このような疑問を持つ方へ、再復帰活動をした時にも、同じような疑問を持つ方も多かったです。しかし、しっかりと説明させて頂き、理解して下さった事実もありますし、多くの方を再復帰してまいりました。
大変、心痛い話ですが、牧会者の力量は、かなり差があるようです。
現在、私が所属する教会の牧会者は、大変優秀で、私の進言や質問に真摯に答えて下さいます。
不思議と良い牧会者に恵まれますが、これはやはり、自分自身の心情の反映と感じます。
Re: 摂理の為の殺人 - サライ
2010/09/12 (Sun) 22:00:44
元牧会者さん
あなたのコメントは
牧会者に恵まれていなく、正しく原理を理解していない食口は、地獄に行きなさいと言われているようです。
Re: 摂理の為の殺人 - 元牧会者
2010/09/13 (Mon) 00:14:36
サライ 様
ひとつ、ひとつの内容に対して、出来るだけ私なりに回答しているつもりですが、結論として
>牧会者に恵まれていなく、正しく原理を理解していない食口は、地獄に行きなさいと言われているようです。
となってしまうのは、大変心が痛いことです。
牧会者にしっかりと進言し、問題を解決させると同時に、御言葉を良く学んで欲しいと願っているということです。
どうも、この掲示板を立ち上げた、北上様もそうですが、サライ様も、理論的に対応しても、最終的に逆切れしてしまうという共通点を痛感します。
急に話が出来なくなってしまいます。
正しく原理を理解していない、食口に正しく理解させる責任が牧会者にあると言っているのです。
地獄にいかないように守るのが牧会者並びに、食口一人一人の責任なのです。
私が、掲示板で回答している結論として、このように捉えられるのは、大変残念です。
サライ様、とりあえず、個々の回答に対する、感想なり、反論なり、質問等を答えて頂けないでしょうか?
質問をされた立場の最低限のマナーと存じます。
他のスレでご質問下さる、食口で無い方々のほうが、大変、紳士的で、常識とマナーがある方々です。
組織批判をする前に、先ず、常識とマナーは御自身で守って頂ければと思います。
このような、やり取りをご覧の方々も、良く解ると思いますが、統一教会の中にも様々な人がいるということです。決して洗脳によって集められた集団ではありません。
Re: 摂理の為の殺人 - 大川
2010/10/17 (Sun) 23:54:23
私は、元牧会者様の意見に賛同します。
「環境をどう捉えるかが重要である。」
が、その真意ではないでしょうか?
Re: 摂理の為の殺人 - 大川
2010/10/18 (Mon) 12:57:54
宮本無二斎の悴 様
コメントありがとうございます。
「いわゆるアベル的解釈」を、どのように認識されていますか?
キリスト教の知識をお持ちでしたら。
「ヨブ記の教訓」です。
これは、どのような宗教、哲学においても、共通するものかと思います。
環境を呪っても何の意味も無いということです。
Re: 摂理の為の殺人 - 大川
2010/10/18 (Mon) 23:20:14
宮本無二斎の悴 様
コメントありがとうございます。
「ヨブ記の教訓」の本質は、
私以上に私のことをご存知の神様が、私の永遠の幸福の為に全ての環境を与えて下さっていることを信ずるということです。
これは、信仰の本質であり、信仰はただ神様を信ずるということでは無く、神様の愛を信ずるということです。
表面的に、恵みを得ている、得ていないに問わず、神様の愛を信ずるということで、条件付きでは無い、無条件の神様に対する信仰の本質の教訓になります。
まずは、ヨブ記をお読みください。
Re: 摂理の為の殺人 - 大川
2010/10/19 (Tue) 01:09:10
宮本無二斎の悴 様
御返事ありがとうございます。
下記質問にお答えいたします。
>牧会者を環境として捉えた場合に、あまりにも信仰的理想論とはかけ離れた牧会者
具体的に下記の様なということですね。
>実際にあった話ですが、言葉の暴力だけでなく、スリッパで頭を叩く、平手打ち、顔面パンチ、蹴り、日曜礼拝で夜のSM的夫婦生活を露骨に話すなどの常軌を逸した牧会者達(複数)が赴任してきたときも“自分自身の心情の反映と感じます”と言えるかということです。
これは、明らかに罪を犯していますから、はっきりと間違いを正す必要があります。
罪は罪ですから、それを、神様が与えた環境ではありません。心情の反映ではありません、これは、その牧会者の罪です。しかし、そのような牧会者の行動を通じて、自分自身が教訓として、成長していくことは重要です。
例えば、これは、私が経験したことですが、礼拝より、お客様に会うことを優先しても良いという指導をしていた、組織の上司がおりました。それに対して、私は、はっきと間違っていると進言しました。そこで、話し合いを行い、当然ではありますが、礼拝を優先するようになりました。
そのことを、通じで、誰でも本質を見失うことがあると悟りました。神様は、私の成長の為に、このような上司を与えてくれたと感謝しました。
このケースにおいて、間違った指導に対して、これは意味があることだから、礼拝は優先しなくて良いという結論には至らにということです。
>念のため言っておきますが、これは反対派が捏造したデマではなく、私自身が経験した事実と周辺の親しいCH食口から直接聞いた出来事です。
大丈夫ですよ。私も上司から、殴られた経験もありまし、私の友が、顔面を蹴られ、眼底骨折で病院で運ばれたこともありますから。
>「自分の所属しているKYKでは~」とか「心が痛みます」なんていう他人事は聞きたくありません。
質問に答えている流れの中で、様々の話をしなければなりませんから、「聞きたくありません」と言われると答えることが出来なくなります。
質問する側のマナーとして、質問に答えた事に関しては、一度は聞くのが常識ではないでしょうか?
質問して、聞きたく無いというのは、理解出来ない発言ではないでしょうか?
又、他人事とは、どういう意味ですか?
心が痛むという表現は、他人事なのですか?
最低限のマナーは、守って頂けないでしょうか?
私は、逃げも隠れもしません、しっかりと質問には答えているつもりです。
Re: 摂理の為の殺人 - 大川
2010/10/19 (Tue) 09:08:39
宮本無二斎の悴 様
御返事ありがとうございます。
良く理解出来ました。
申し訳ありません。
しかし、私は逆ギレはしませんが、
そのように感じてしまったのであれば、謝罪致します。
このよな、掲示板の議論の限界と、私の国語力の限界を痛感致しました。
ただ、ご質問には答えていきたい気持ちはあります。
また、様々な質問は私自身の勉強になりますので、大変感謝しています。
淡泊に感じられた部分に関しましては、
各教会、地域によって、方針ややり方が、極めて違うことを強調する意味で使用しました。
この掲示板の、様々な現役の信者の発言を通じても、原理(教理)の解釈や、理解の程度に個人差があることが確認出来ると思います。
又、元牧会者様とサライ様のやり取りあらも、最後は感情論になって、収集がつかなくなるケースが多いのです。
Re: 摂理の為の殺人 - 大川
2010/10/20 (Wed) 00:52:33
宮本無二斎の悴 様
コメントありがとうございます。
大変勉強になりました。
>明らかな暴力行為も人事異動で済まされ、被害者は健気にもダンマリです。
こういったことが、所属地域以外でもあるということを受けとめて、「人事でそういう牧会者が来たら?」ということを前提に考えて欲しいと思います。
先ず、明らかにおかしい行為ですから、直接進言するのが一番です。それでも、駄目なら、教区長に進言します。それでも駄目なら、地区長に進言します。
私の実例ですが、地区長の行為が明らかにおかしいと思いましたので、直ぐに本部へ進言しました。
アベルは絶対という間違った指導が横行した為に問題が生じたと考えます。
アベル・カインは、兄弟ですから、神様に対する信仰では無く、あくまでも堕落性を脱ぐための条件ですから、しっかりと話し合って、一体化することが重要です。
私が、青年部をみていたころ、不平不満をいっさい言わないまま不満をためてしまっている兄弟が多く、理由を聞くと、「アベルは絶対だから」と答えていました。この青年部は、全く繁栄していませんでしたから、全て報告するよに指導をしていきました。勿論、皆さん復興して、多くの人を伝道し繁栄しました。
これは、一般的組織論と同じかと思いますが、風通しの良い組織が一番です。
Re: 摂理の為の殺人 - ENOCK URL
2010/10/20 (Wed) 02:27:44
>アベルは絶対という間違った指導が横行した為に問題が生じたと考えます。
統一教会の経典である原理講論を熱心に読んでそのように解釈していった信徒が非常に多いようなのですが、大川さんは「間違った指導が横行」した原因をどのようにお考えですか?
反対する方々にとってはこの辺りも「統一原理はデタラメだ」と主張する根拠になっているようですが。
Re: 摂理の為の殺人 - 大川
2010/10/20 (Wed) 20:54:34
ENOCK 様
下記質問にお答えします。
>統一教会の経典である原理講論を熱心に読んでそのように解釈していった信徒が非常に多いようなのですが、大川さんは「間違った指導が横行」した原因をどのようにお考えですか?
お父様が入国出来なくなったことだと考えます。
Re: 摂理の為の殺人 - サライ
2010/10/30 (Sat) 12:35:53
宮本無二斎の悴 さん
大川 さん
はじめまして、サライです。
しばらくPCから離れておりましたらこのような展開になっておりびっくりしております。
>又、元牧会者様とサライ様のやり取りあらも、最後は感情論になって、収集がつかなくなるケースが多いのです。
以前の議論が中断しているのは元牧会者さんが出張され返答できないと、別のスレにあったのでストップしておりました。
べつに逆ギレしたわけではありません。
お二人の議論は、まさに私が元牧会者さんに言いたかった内容です。
宮本さんがサライの立場を代弁してくれています。
これらのことは、教会生活をしていく中でさけて通れない問題であり、考え方の分かれるところでもあると思います。
確かに、元牧会者さんのおっしゃるように
>教会に対する姿勢で環境が変わっていきます。
前にも書きましたが、信仰者としての環境に対する捉え方が、環境を変えることが出来なかったのでしょう。
と言われれば、「そうです」と言わざるをえないと思います。
しかしながら
日本の社会という環境の中の統一教会という観点に立てば、あなた所は悪く、私の所は良いと言う内部の理屈が通るのか?!と言うことを私は言いたかったのです。
祝福家庭は一蓮托生、皆、連帯的罪を負うと言うことになると言うのが私の主張です。今もどこかの教会で霊感商法まがいのことが行われているとすれば、サタンは見逃さないでしょう。その罪をもって真の家庭を撃ち、祝福家庭を破壊していくはずです。
ENOCK さん
ちょっと休んでました、お元気ですか?
>原理講論を熱心に読んでそのように解釈していった信徒が非常に多いようなのですが
原理講論を熱心に読む人が食口全体の何%でしょうか?(笑)
たぶん読まないから「間違った指導が横行」したのではないでしょうか?
信仰基台と実体基台に対する生活信仰の指導はお父様のみ言葉をよく理解できていなととても難しいと感じています。
実体基台における「堕落性を脱ぐ」蕩減条件がたつって実際心の状態がどのようになることを言うのでしょうか?
私はいまだに探求中です。
例えば「嫉妬心」は創造本性か堕落性か?と問われればどのように答えますか?
天使長が感じた愛の減少感は、光に対する影のようなもので不可避なものだとあります。
完成しても、このような付随的欲望は生じることを原理講論では示唆しています。
愛して、中保として、屈服して、善を繁殖する
だけでは不十分だと思っています。
ここは、原理解釈の場ではないのでこのへんまでにしておきますが、
「間違った指導が横行」した原因
は、日本の霊界だと思います。
良くも悪くも、霊界にいった日本人の再臨復活現象ではないでしょうか。
Re: 摂理の為の殺人 - サライ
2010/10/31 (Sun) 22:08:27
宮本無二斎の悴さん
ありがとうございます
先のような主張、また批判の動機は分派活動に出て行った食口と同じなので、かなり注意が必要だと思います。宮本さんがどこかの分派の方かどうかはわかりませんがお気をつけ下さい。私はずいぶん誤解されてきましたから。
連帯罪についてですが
これは、日本民族ではなく、統一家にかかる罪です。
お父様のみ言葉にもあるように、家庭の中の誰か一人が罪を犯せば、その家族で責任を負わなければならないと言うことです。
その一番の罪が血統を汚した罪です。
特に二世の堕落問題ですね、これはあまりにも深刻です、第4イスラエル研究会もこの辺の危惧が中心になって分派活動をしていたようです。
二世の問題はもちろん一世(親)の責任が重いと思いますが親のせいにだけするには、あまりにも環境が過酷過ぎました、うちの教区でも3年前までは2世部はありませんでした。ことの重大さに気づくのが遅かったし、なすすべがなかったという状況でしょう。我々祝福家庭が責任を果たせなかったという事実が大きな罪を生み出してしまったと言わざるをえません。
カインアベルにおいても心情蹂躙の罪、公金横領の罪など、どれだけあったかわかりません。
私は、公務も去年までやっていたので、組織に働く非常に強い霊界の力を感じてきました。いわゆる「雰囲気」と言うやつです、だれもそれが正しいと思わないのに間違った結論や決定に行き着いてしまう現象です。
これが罪を誘発してしまうベースといいますか温床になっているように考えています。武家社会の流れからのサムライ精神そして、国家神道による軍閥など過去の多くの組織人として生きた霊人達の再臨協助がこのような温床を生み出していると感じます。
このような状況でどう責任を果たすべきかが問題です。
これに対抗するには「み言葉」しかありません訓読の伝統を立てることがどれほど重要か、このこと一つとっても良く解ります。
私は日本での教会のシステムを頭から否定するつもりはさらさらありません。問題は、祝福家庭の個人個人があまりにもみ言葉から離れすぎたことが大きな原因だと思っています。強烈な霊界を跳ね飛ばすみ言葉の力がなさ過ぎたということだろうと思います。
以前教育部にいたとき、食口たちに抜き打ち原理テストをしたことがあります5年くらい前ですが私は愕然としました、いわゆる「長」のつく人たちの基準があまりにも低かったのです。
責任を果たすことの出発点はみ言葉の理解です。そして心情的な成長ですね。
ちょっとずれてしまいましたが
以下のブログに面白い記事があります
「なるほどー」と思いました良かったらご覧下さい。
http://blogs.yahoo.co.jp/wbbkt408
Re: 摂理の為の殺人 - サライ
2010/11/01 (Mon) 22:30:49
宮本無二斎の悴さん
>自虐史観を鵜呑みにして、献金の方便にするのはどうかと‥
歴史観はUC発信の情報だけでなく、原理の主観から外れて冷静かつ客観的に検証しなくては、本質が見えてこない場合も多いと思うのです。
これは、最近私がズ~と考えてるテーマのひとつです。
歴史は後世が記録してきた、若しくは国家の支配者が捏造してきたフィクションの部分がたぶんにあると思っています。
日本においては司馬遼太郎の歴史小説が人気で作り話と事実が一つになってメッセージを発信していますが、これって危ないと思います。今人気の坂本竜馬についても、この人の小説が土台にあるように思います。私も二十歳のころは「竜馬がゆく」にのめり込んで桂浜の銅像を拝みに一人旅したことがあります。しかしその後、フリーメーソンやシオンの議定書なんかに興味をもったもんだからわけが解らなくなってきました。
また、最近では田母神論文が話題になりましたが、私は正論のように思えてなりません。
修練会や清平での教育を振り返れば
おっしゃる通り
>自虐史観を鵜呑みにして、献金の方便にするのはどうかと‥
ここ一年ばかり考えてきました。
極論すれば、歴史上の事象はその場にいなければ100%真実と認めることはできないでしょうし、たとえその場にいてもなぜそのような事件が起こったか?という動機(背景)まで知ることはできないものだと思います。
たぶん教会の不祥事や真のご家庭の問題においても当代で全てを説明したり、納得することは不可能でしょう。霊界に行けば解るのかもしれませんが・・・
こういうことを考えていくと、統一原理の歴史観、神の摂理史についてもこの掲示板で騒がれている「デタラメだ!」といわれても、「そうかもかもしれません」と言わざるを得ないでしょう。客観的事実として示せ!と言われても答えることが不可能な要求です。
様々な曲折を経て今、統一教にいるとすれば、天地人父母様に絶対的信仰で従う以外に道はないと、つくづく感じます。
知っているようで、実は何も知らないというのが私たちではないでしょうか。
昨日のインターネット礼拝の最後に訓読された愛の墓のくだりは、いたく心に残りました。
批判されたり、したりすることにエネルギーを使っている場合ではないなと感じました。
宮本無二斎の悴さんは30年近い信仰だとすれば6000双か6500双ですか?
統一霊界圏も階層があるそうなので同じような所の住人かも知れませんね。
今後ともよろしくお願いします。(^_^)v
最後にまた食口のブログ紹介します
ご存知かもしれませんが。歴史がお好きなようなので・・
http://blog.livedoor.jp/kibikoji/archives/cat_50043115.html
Re: 摂理の為の殺人 - サライ
2010/11/03 (Wed) 08:21:59
宮本無二斎の悴さん
>リチャード・コシミズやベンジャミン・フルフォードの話を眉唾でかたづけるのは簡単ですが、UCと世界の点と線を辿っていくと、満更じゃない場合も感じます。
私は数年前からこのことに注目してきました
リチャード・コシミズはあまり好きではありませんがベンジャミン・フルフォードは信じられるかなーと思っています。
お父様がなぜゴルバチョフに会ったり、ブッシュ一族と親しくできるのかと考えた時、きっとその筋とパイプがあるはずだと思います。
サタン(ルーシェル)は霊的存在でしたが地上に肉体を持ったサタンの権化(ロスチャイルドとか)がいてもおかしくないと思ってさぐってみると、実に原理的組織形態の闇組織があるではないですか。
昔、新宿の駅前で伝道しているとき、この筋の若者と話したことがあり、政略結婚の実情を詳しく聞いたことがあります。私たち食口も血統にこだわりますが、まさに裏の世界でも血筋がもっとも確かな”保険”としていまだに存在し、実際に行われている事を知りました。
いわゆるエスタブリシュメントの存在です。
お父様も日本留学時代に島津家に入っておられたようなのでこの辺のことを熟知しておられたと推察します。
私がユダヤに興味を持ったきっかけは宇野正美です、エノクという小冊子を十年位前まで購読してました。この人はインターネットやカード社会を批判していますプロトコルの影響ですね。なかなかネット上には出てきません。
この掲示板のENOCKさんのHNにもそういう意味で因縁を感じていました。
ところで
宮本無二斎の悴さんは
法廷論的贖罪論についてはどうお考えですか?
以前第4イスラエルのHPで広さんは、血統的転換がなされたなら、遺伝罪や連帯罪が讒訴条件として祝福家庭にかかるのはおかしいと言う表現をしていました。だから清平的救済は疑問だという話です。ゆえに法廷論的に原罪がなくなるということはおかしいと言う主張に繋がっていきます。
私自身ハッキリした回答は出ていませんが
いまのところの考えとして
アダムエバの罪が全人類に讒訴条件として及ぶと言う組織神学的罪の遺伝と、生物学的罪の遺伝のどちらでもないものとして出てきたのが、清平に代表される恨霊の肉体移動説だと思います。
先祖に関係する怨みの霊は霊界に行かず、死を境として生前の情関係を中心に後孫の肉体を移動していくと言う事実の発見です。
これは、原罪清算の法廷論的贖罪論に矛盾しない考えだと思います。また原罪を清算された祝福家庭に起こる不幸も説明がつく。
宮本無二斎の悴さんは清平否定派のようですが一番の根拠はなんですか?さしつかえなければ教えてください。
Re: 摂理の為の殺人 - 元牧会者
2011/01/14 (Fri) 22:43:48
北上 さん
御無沙汰しております。
昨日、カナダより帰国しました。
2chの様な書き込みが多くなり、かなり荒れた様子ですね。
充分時間を与えましたので、そろそろ三対象の愛について説明して下さい。
サライ 様
北上さんで難しければ、是非、代わってお答え頂けませんか?
Re: 摂理の為の殺人 - サライ
2011/01/16 (Sun) 22:07:46
元牧会者さん
お帰りなさい。カナダの寒さはいかがでしたか?
最近、北上さんは トーーンと顔出していませんね~
どうしたのやら?
>そろそろ三対象の愛について説明して下さい。
三対象の愛について、どのような観点で説明を求められているのでしょうか?
とりあえず、あえて私の言葉で表現すれば
主体的な神様の愛が家庭の中に顕れるとき(実体化する時)親子・夫婦・兄弟の関係に見ることができ愛
でしょうか
”元牧会者〇〇”
というHNでずいぶん荒れたので、この機会に名前変えられたほうが誤解が少なくなるように思いますが、いかがでしょうか?
Re: 摂理の為の殺人 - 西田(元牧会者改め)
2011/01/17 (Mon) 01:25:34
サライ 様
コメントありがとうございます。
元牧会者の西田です。
建築関連会社を経営しています。
三対象の愛についてですが、
「お父様がどのように説明されているか?」
ということが質問の内容です。
この三対象の愛を正しく(お父様の見解)理解していないと、我々、祝福家庭が何を目指して人生を送れば良いのかが不明確になってしまいます。
本日(1月16日)、久し振りに松濤本部の礼拝に参加しました。
説教が梶栗会長でしたが、この掲示板のテーマにもあるように、統一教会は、殺人を罪とし、殺人を行なうものはサタンであると、はっきりと語られました。
統一教会は、愛によって人類を救う団体であると。
「オーム真理教は、サリンで人を殺し、
統一教会は、サラン(愛)で人を救う団体である。」
あつく語られました。
ところで、北上さんは、全く投稿しなくなりましたね。
他の書き込みも読んでみましたが、
2chと変わらない、ひどい掲示板になってしまい残念です。
もう私も書き込みは止めることにします。
最後ですので、三対象の愛について、改めて書かせて頂きますが、
孫が結婚することで、初めて神様の立場に立つことが出来る。その立場で感じる愛が三対象の愛であり、初めて神様の愛を相続することが出来る。
このことから、人類の具体的な目的は、孫の結婚を見届けることにあります。
御父母様もお孫さんの祝福を行ない、三対象の愛を完成し、地上での目的を終えました。
私たち祝福家庭の目的も、2世の祝福は当然ですが、3世の祝福が最も重要な具体的な目標になります。
このことが、真の愛と心情と血統の相続になります。
Re: 摂理の為の殺人 - 通りすがり
2011/01/22 (Sat) 16:48:40
>最近、北上さんは トーーンと顔出していませんね~
どうしたのやら?
元食口北上やらSSKやらのHNをキチガイのように使いまくり、公安氏に対して低俗低劣極まるアホ書き込みを繰り返している奴こそ、北上張本人だ。
Re: 摂理の為の殺人 - 北上哲
2012/09/23 (Sun) 00:11:02
摂理の為の殺人はやっぱり善でした。
聖書でさえ、神様の命令ならば殺人も善と書いてあります。
あなたの神、主が、あなたの行って取る地にあなたを導き入れ、多くの国々の民、ヘテびと、ギルガびと、アモリびと、カナンびと、ペリジびと、ヒビびと、およびエブスびと、すなわちあなたよりも数多く、また力のある七つの民を、あなたの前から追い払われる時、すなわちあなたの神、主が彼らをあなたに渡して、これを撃たせられる時は、あなたは彼らを全く滅ぼさなければならない。彼らと何の契約もしてはならない。彼らに何のあわれみも示してはならない。
(申命記7章1~2節)
ある町を攻撃しようとして、そこに近づくならば、まず、降伏を勧告しなさい。もしその町がそれを受諾し、城門を開くならば、その全住民を強制労働に服させ、あなたに仕えさせねばならない。しかし、もしも降伏せず、抗戦するならば、町を包囲しなさい。あなたの神、主はその町をあなたの手に渡されるから、あなたは男子をことごとく剣にかけて撃たねばならない。だだし、女、子供、家畜、および町にあるものすべてあなたのぶんどり品として奪い取ることができる。あなたは、あなたの神、主が与えられた敵のぶんどり品を自由に用いることができる。このようになしうるのは、遠くはなれた町々に対してであって、次に挙げる国々に属する町々に対してではない。あなたの神、主が嗣業として与えられる諸国民の民に属する町々で息のある者は、一人も生かしておいてはならない。ヘト人、アモリ人、カナン人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人は、あなたの神、主が命じられたように必ず滅ぼし尽くさねばならない。
(申命記20章10~17節)
以上より、摂理の為の殺人は善でした。僕は未だに殺人までする覚悟はありませんが、摂理の為の殺人ができてこそ本物の信仰者です。