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心理学の歴史と統一教会 かんご

2010/10/22 (Fri) 21:00:47

 かってにスレを立てさせていただきます。この問題は思ったより重要だからです。

 心理学は科学の一部ですが、その過程においては誤謬の多い論説に支配されていた時代もありました。その代表的なものが、啓蒙思想の影響によって生まれたフロイドの精神分析学とワトソンの行動主義心理学です。19世紀の3大思想に上げられる事もあるフロイドの理論はその「性理論」を骨子としており、フロイドが1人の患者も完治に導けなかったという事実によってすでに多くの心理学者にとっては否定すべき古典にすぎないが、今日の社会に与えた影響は大きい。そのフロイド派の最後に放った矢が「性解放運動」である。

 西欧社会において18世紀の啓蒙思想と19世紀の唯物思想は自然科学の発達とあいまって若者の『聖書』離れを助長してきた。その流れは20世紀において頂点に達している。
そのような流れのなか1950年代のヒッピ-文化を背景にネオ・フロイド派による「性革命」運動がはじまった。ネオ・フロイド派はフロイドの性理論を片手に「古い倫理観」の破壊と「フリ-ラブ」「フリ-セックス」を唱えた。この性の自由と言うお題目は雑誌や映画を媒体にしてノンポリ、左翼学生の間で瞬く間に広まり、約10年遅れで日本にも直撃した。
 そのころまでの日本社会には江戸時代に形成された儒教の倫理観が残っていた。婚前交渉は当然少なく、離婚件数もごく少なかった。しかし1960年代左翼学生のなかで、同棲するものが現れはじめ、それは70年代の映画『同棲時代』のヒットとともに増加し、80年代、90年代を経て今日の性倫理なき時代が到来したのである。いまや巷には性欲を刺激する雑誌、ポルノがあふれ、若者の間では結婚までの間に複数の異性と性交渉するのが当たり前のようになってしまっている。若い女性の処女喪失年齢の平均は15才まで下降しているという。
 このような時代に生まれた我々は子供のころからフリ-セックス思想に洗脳されているともいえる。フリ-ラブ、フリ-セックスは本当に正しい事なのだろうか?200年後の子孫達にとっては、この時代こそ奇異に見えるのではないだろうか? 
 
 一方、ワトソンの行動主義はどうだろうか?共産主義をベースにおいたこの理論も今日では信奉者は少なくなったが、以前は最も盛んな心理学であった。1904年にワトソンは全米心理学会の会長となり、以後約50年間が最盛期であった。今では研究者も少ないが、彼らの放った最後の矢がすなはち「洗脳理論」である。この理論が統一教会員に対する監禁・強制改宗の正当化に用いられるs・tハッサンの『マインドコントロール理論』の源である。
 ゆえに統一教会員は各所で唯物論との対決をせまられているのが現状であるが、教会員達は余りそれを理解していないようにも思える。

 

Re: 心理学の歴史と統一教会 - チェ・サンウ

2010/10/22 (Fri) 22:57:16

かんごさん

>心理学は科学の一部ですが、その過程においては誤謬の多い論説に支配されていた時代もありました。その代表的なものが、啓蒙思想の影響によって生まれたフロイドの精神分析学とワトソンの行動主義心理学です。19世紀の3大思想に上げられる事もあるフロイドの理論はその「性理論」を骨子としており、フロイドが1人の患者も完治に導けなかったという事実によってすでに多くの心理学者にとっては否定すべき古典にすぎないが、今日の社会に与えた影響は大きい。そのフロイド派の最後に放った矢が「性解放運動」である。

僕も認知科学という心理学の一領域を専攻してるけど、この辺の話はちょっと分かっていません。勉強不足を痛感させられます。

>このような時代に生まれた我々は子供のころからフリ-セックス思想に洗脳されているともいえる。フリ-ラブ、フリ-セックスは本当に正しい事なのだろうか?200年後の子孫達にとっては、この時代こそ奇異に見えるのではないだろうか?

フリーセックスがなんで問題なのですか?心理学の話をするんだったら、心理的な側面から教えてください。
 
>一方、ワトソンの行動主義はどうだろうか?共産主義をベースにおいたこの理論も今日では信奉者は少なくなったが、以前は最も盛んな心理学であった。1904年にワトソンは全米心理学会の会長となり、以後約50年間が最盛期であった。今では研究者も少ないが、彼らの放った最後の矢がすなはち「洗脳理論」である。この理論が統一教会員に対する監禁・強制改宗の正当化に用いられるs・tハッサンの『マインドコントロール理論』の源である。
 ゆえに統一教会員は各所で唯物論との対決をせまられているのが現状であるが、教会員達は余りそれを理解していないようにも思える。

脱洗脳理論のどこが問題ですか?勉強不足のせいか、脱洗脳理論のどこが問題なのか教えてください。今までマインドコントロールの研究をしてるなんて言ってきたけど、本当は教育心理が中心でマインドコントロールのことはまだ着手していません。マインドコントロールのことを知ろうと思って、投稿を始めたけどマインドコントロール理論と脱洗脳理論のどこが問題か教えてください。

Re: 心理学の歴史と統一教会 かんご

2010/10/23 (Sat) 01:10:25

チェ・サンウさんへ

 <フリーセックスがなんで問題なのですか?心理学の話をするんだったら、心理的な側面から教えてください>

 心理学ではフリーセックスの善悪を判断できません。それは心理学者の仕事ではなく、宗教家や思想家の仕事です。しかし性解放運動がどのように伝播し拡大したかを調べるのは心理学見地からも有益な研究といえます。


  <脱洗脳理論のどこが問題ですか?勉強不足のせいか、脱洗脳理論のどこが問題なのか教えてください>

 アメリカで生まれた洗脳理論は他の学者仲間にまったく検証不能だったそうです。ゆえに科学理論としてはみとめられていません。そもそもこの理論を適用すれば、すべての宗教にあてはまってしまいます。たとえばイエズス会においては呼吸の仕方まで指示されており、教えを受けて改心し入社式をおえると青白い顔で出てきた。理論を適用すればこの改心も「洗脳」と言うことになってしまう。
 また聖書の中でパウロが少しでも御言葉を伝えようとして「私はローマ人にはローマ人のように・・・ユダヤ人にはユダヤ人のように・・・」偽装して近づいたとありますが、これは統一教会の伝道とたいしてかわらない。しかし理論をあてはめれば問題になってしまいます。
 結局、反宗教のための理論といえるでしょう。

 さらにこの理論では、人間の自発性や内発性をまったく無視しており、人間を環境に支配されるロボットのように見なしています。
 『環境は心を支配する」は共産主義のテーゼの一つですが、ワトソンの行動主義も同じような理論であり、ゆえにそこから生まれた洗脳理論も同じ考え方をしている。
 しかし我々は単に環境の産物ではなく、自己内性と意思によって環境を支配し変えていく生き物です。ゆえにこの理論の最大の欠点は、人間性への誤解であると言えるでしょう。
 

 

Re: 心理学の歴史と統一教会 - ENOCK URL

2010/10/23 (Sat) 02:29:45

チェ・サンウさん
かんごさんへ

>>フリーセックスがなんで問題なのですか?心理学の話をするんだったら、心理的な側面から教えてください

> 心理学ではフリーセックスの善悪を判断できません。そ
>れは心理学者の仕事ではなく、宗教家や思想家の仕事で
>す。

フロイトが目指したのは性的抑圧からの解放であり、つまるところ性欲が満たされれば人間は幸せになれるという発想が根幹だと私は解釈しています。
そして、それ自体は間違っていないのではないかとも思います。確かに性欲の充足というのは重要なテーマです。性は決してタブーではなく、正面から論ぜられるべきものだと思いますし、その点におけるフロイトの貢献は大きいのではないでしょうか。

一方で、そこから抜け落ちているものが何かといえば、性と密接につながる「愛」や「生命」との関係についての考察です。

確かに、愛や生命と切り離すことによって、「性」はより自由を手に入れます。性が商品になったり、避妊や堕胎によって生命をコントロールすることもできます。売る・売らない/生む・生まないも自分の「意思」で決定することができます。

とりわけ生命と性の分離は画期的な出来事でしょう。
新たな生命に責任を負う覚悟をすることなく、性だけを満喫することを可能にしたのですから。

その結果、人の誕生は人知を超えた神の意思ではなく、人(親)の意思に依存することになりました。
授かりものではなく、「私が」生んだ子になりました。

親世代だけを考えれば、子どもに「邪魔」されずに好きなことができるのだから非常に良い思想であり、システムであり、技術です。

けれど、そのような親たちの子ども世代で何が起こったかと言えば、「生命の尊厳」の揺らぎです。

なぜ殺人は罪になるのですか?
身寄りのない人を殺してはいけないのですか?
死にたいと思っている人を殺してあげることもいけないのですか?

「人の意思」と「大人(親)の権利」から出発した理論で、この質問に対する回答を与えることができるでしょうか。
まず堕胎と殺人の線引きができません。

片や生命をないがしろにする一方で生命の尊重・人権の尊重を叫んだところで、説得力を持ちえようはずがありません。
胎児か成人かという違いはあれ、意思表示をしない者、死んで悲しむ人がいない者は殺しても構わないということを肯定してしまっているわけですから。


フリーセックスは人間の動物的な本能が志向します。
一方で純愛・純潔は人間の精神的な本心が志向します。

文明は本能を理性でコントロールするところから築かれてきました。

それゆえ私は純愛を推奨し、結婚したならば夫婦は互いの喜びのために性を用い、生命を授かったならば愛の結実として大切にすべきという思想を提唱する統一原理に賛同しています。

このテーマに関して是非皆さんからも意見が聞きたいです。

Re: 心理学の歴史と統一教会 - チェ・サンウ

2010/10/24 (Sun) 22:48:24

かんごさん

>心理学ではフリーセックスの善悪を判断できません。それは心理学者の仕事ではなく、宗教家や思想家の仕事です。しかし性解放運動がどのように伝播し拡大したかを調べるのは心理学見地からも有益な研究といえます。

宗教的には、どのようにフリーセックスを悪としているのですか?

>アメリカで生まれた洗脳理論は他の学者仲間にまったく検証不能だったそうです。ゆえに科学理論としてはみとめられていません。

ちょっとマインドコントロールからずれるけど、統一協会も統一原理は科学的に検証できないと言っているように思います。

大川哲君がこんなことを言っています。これは、天使長と霊界のことですが、自分たちが証明できないものは「科学的には証明できない」と言って真理であることの屁理屈をつけるけど、反対意見は「科学的に証明されてない」と言って退けるのは卑怯だと思います。

>天使長の存在証明を何で行なえというのでしょうか?
霊的存在ですか、物理的証明は出来ないのは当然ではないでしょうか?
霊界を科学的に証明出来ないのと同じです。
体験や、論拠で示すしかありません。

http://kitagamitetsu.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=3264885

だったら、マインドコントロールも体験や論拠(意味不明?)で示せることになります。

>そもそもこの理論を適用すれば、すべての宗教にあてはまってしまいます。たとえばイエズス会においては呼吸の仕方まで指示されており、教えを受けて改心し入社式をおえると青白い顔で出てきた。理論を適用すればこの改心も「洗脳」と言うことになってしまう。
 また聖書の中でパウロが少しでも御言葉を伝えようとして「私はローマ人にはローマ人のように・・・ユダヤ人にはユダヤ人のように・・・」偽装して近づいたとありますが、これは統一教会の伝道とたいしてかわらない。しかし理論をあてはめれば問題になってしまいます。
 結局、反宗教のための理論といえるでしょう。
 さらにこの理論では、人間の自発性や内発性をまったく無視しており、人間を環境に支配されるロボットのように見なしています。
 『環境は心を支配する」は共産主義のテーゼの一つですが、ワトソンの行動主義も同じような理論であり、ゆえにそこから生まれた洗脳理論も同じ考え方をしている。
 しかし我々は単に環境の産物ではなく、自己内性と意思によって環境を支配し変えていく生き物です。ゆえにこの理論の最大の欠点は、人間性への誤解であると言えるでしょう。

そうですね。すべての宗教に当てはまると思います。確か、誰かが「マインドコントロールには、善いマインドコントロールと悪いマインドコントロール」があるというようなことを言っていました。例えば、オウム真理教は明らかに悪いマインドコントロールです。統一協会も強引な勧誘をしたり霊感商法をするから悪いマインドコントロールだと思います。でも、ENOCKさんの言うとおり統一原理は劇薬で、悪いマインドコントロールになっているのが現状かもしれません。

http://kitagamitetsu.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=3267669

ENOCKさん

確かに、フリーセックスには、ENOCKさんの指摘する側面があると思います。でも、人間は欲望の塊でフリーセックスをしたい人には、どうにも抑えられないものだと思います。ここで、肯定してやってしまうとENOCKさんのいう問題が起きることもあると思います。そもそも人間は性的な生き物で、性欲を解消したいという欲望があります。これをどのように処理するかですね。まさに劇薬で+面は性欲や心の充足があるけど、-面は中絶などの生命をないがしろにする問題があります。

逆にフリーセックスを禁じると性欲が抑えられずに、性犯罪が増えてくるような気もします。単純にフリーセックスを禁じて、思想を言っているだけでは、問題は解決しないような気もします。

フリーセックスの問題はまさに劇薬で難しい問題ですね。

Re: 心理学の歴史と統一教会 - ENOCK URL

2010/10/25 (Mon) 02:40:41

チェ・サンウさん

さすがです。まさにそこが性の問題の根幹ですよね。

>+面は性欲や心の充足があるけど、-面は中絶などの
>生命をないがしろにする問題があります。

>逆にフリーセックスを禁じると性欲が抑えられずに、
>性犯罪が増えてくるような気もします。

私もかつて同様に考えていて、性欲を抑えずに済む環境(容易に性欲を処理できる社会的システム)ができれば犯罪が減るのではないかと思っていたのですが、欲求って不思議なことに一定レベルを維持するのではなく、満たせば満たすほど(一時的には満足してもやがて)より強い刺激を求めるところがないですか?少なくとも性欲についてはそのように思うのです。だから性犯罪の抑止のためには、性欲処理を促すのではなく、「正しい」性についての考え方を啓蒙する方がむしろ建設的なのではないかと思っています。

>単純にフリーセックスを禁じて、思想を言っているだけでは、問題は解決しないような気もします。

まさにその通りで、教条主義的に「ダメだ」なんてアプローチでは何の問題解決にもならないと思います。

処女・童貞を守ることがむしろカッコいいんだ的な風潮や、性的なウブさがむしろ好まれるような世相をつくっていかないと純潔なんて重荷に過ぎます。

実はその辺は、統一教会じゃない一般の人のほうが良く分かっていたりしますね。

Re: 心理学の歴史と統一教会 かんご

2010/10/25 (Mon) 09:10:21

チェ・サンウさんへ

 <宗教的には、どのようにフリーセックスを悪としているのですか?>


 全ての高等宗教において性の戒律が存在しており、例えばユダヤ教の戒律は申命記22に書かれているようにとても厳格なものでした。これを土台としたキリスト教やイスラム教の性道徳もかなり厳格なものです。キリスト教の性道徳の破壊を目的とした「性革命運動」に対して米キリスト教右派はこれを「共産主義と同様の悪魔の思想」として警戒し警告しています。
 仏教の5戒では「淫行すべからず」と述べられており、儒教の性道徳もまた婚前交渉、不倫などを禁止しています。

  <ちょっとマインドコントロールからずれるけど、統一協会も統一原理は科学的に検証できないと言っているように思います。>

 原理は最初から科学の論文ではありません。自然科学のいかなる分野の学会に提出しても誰一人それを科学論文としては認めないでしょう。
 原理講論はできるだけ論理的、合理的に表現しようとしている宗教書です。神学の新しい可能性や自然科学の進む方向を示唆してはいますが、あくまで宗教書なのです。また、最初から「これは新しい啓示である」と述べているのですから科学的立証など不可能に決まっているのです。
 一方「洗脳理論」は、学会に提出され否認された科学論文です。その真理性に問題があったから否認されたのです。

 問題はそれが「拉致・監禁」の正当化に利用されている事です。「洗脳理論」においても「マインド・コントロール理論」においても「集団力学から、まず引き離さねばならない」などと言っていますが、理論自体の妥当性が無いのですから、これは単に正当化の理屈としか言い様がありません。
 
 <確か、誰かが「マインドコントロールには、善いマインドコントロールと悪いマインドコントロール」がある>

 と言いますが、ではその「善い」「悪い」は誰が、どんな基準で決めているのでしょう?

 教会員が自分の正体を隠して伝道対象者に近づいたとしても、それは宗教の伝道にはよくある事です。すでに述べたようにパウロでさえやっていた事なのです。入教を求めるかなり前に統一教であることを告げているのだし、伝道方法については何の問題も私には発見できません。
 

Re: 心理学の歴史と統一教会 - ENOCK URL

2010/10/25 (Mon) 10:47:24

日本人は偏見や先入観に弱いので、私も正体隠しはべつに問題だと思っていませんが、「目的隠し」は問題だと思います。

お金が欲しいのなら、たくさん献金してくれるお金持ちを探していますと伝えるべきだし、安い労働力が必要ならば、ただで熱心に働いてくれる丈夫で健康な人を探していますと伝えるべきです。

極端な話、正体を隠されていても結果がよければ誰も文句は言いません。いつの間にかお金を取られたり、働かされたりするのが問題なのではないでしょうか。

Re: 心理学の歴史と統一教会 かんご

2010/10/25 (Mon) 12:13:36

enockさんへ

 あなたは何者ですか?
 
 教会はいつからお金持ちや安い労働力を目的としたのですか?
 教会の目的は地上天国の実現です。

 enockさんは「いつの間にかお金を取られたり、働かされたり・・・」したのですか?
 どのようにお金をとられ、どのように働かされたか?聞きたいものです。
 この問題は本論とはずれているので、別のスレを立てていただきたい。

Re: 心理学の歴史と統一教会 - ENOCK URL

2010/10/26 (Tue) 00:20:13

???何者って、現役食口ですが・・・。

目的が本当に地上天国の実現だとするならば、教会の活動実態がその目的に対して合理的かを検証する必要があるでしょう。

ここでは確かにスレの本論とズレますのでやめにしましょう。

Re: 心理学の歴史と統一教会 - チェ・サンウ

2010/10/26 (Tue) 22:29:53

かんごさん

>全ての高等宗教において性の戒律が存在しており、例えばユダヤ教の戒律は申命記22に書かれているようにとても厳格なものでした。これを土台としたキリスト教やイスラム教の性道徳もかなり厳格なものです。キリスト教の性道徳の破壊を目的とした「性革命運動」に対して米キリスト教右派はこれを「共産主義と同様の悪魔の思想」として警戒し警告しています。
 仏教の5戒では「淫行すべからず」と述べられており、儒教の性道徳もまた婚前交渉、不倫などを禁止しています。

仏教の「淫行すべからず」は邪淫と言って戒律になっています。従来の僧侶は結婚することさえ禁止されていました。でも、人間には戒律を守ることができません。それを悟った親鸞は戒律が守れない凡夫(浄土真宗では人間のことをこのように呼ぶ)が救われる道として浄土真宗を開いたのです。親鸞は結婚しました。

>原理は最初から科学の論文ではありません。自然科学のいかなる分野の学会に提出しても誰一人それを科学論文としては認めないでしょう。
 原理講論はできるだけ論理的、合理的に表現しようとしている宗教書です。神学の新しい可能性や自然科学の進む方向を示唆してはいますが、あくまで宗教書なのです。また、最初から「これは新しい啓示である」と述べているのですから科学的立証など不可能に決まっているのです。
 一方「洗脳理論」は、学会に提出され否認された科学論文です。その真理性に問題があったから否認されたのです。

統一原理は科学論文ではないことは分かります。原理講論の総序にこのように書いてあります。

>このように、内的真理にも論証的な解明が必要となり、宗教は長い歴史の期間を通じて、それ自体が科学的に解明できる時代を追求してきたのである。
このように、宗教と科学とは、人生の両面の無知を打開するための使命を、各々分担して出発したがゆえに、その過程においては、それらが互いに衝突して、妥協し難い様相を呈したのであるが、人間がこの両面の無知を完全に克服して、本心の要求する善の目的を完全に成就するためには、いつかは、科学を探し求めてきた宗教と、宗教を探し求めてきた科学とを、統一された一つの課題として解決することのできる、新しい真理が現れなければならないのである。

新しい真理とは統一原理のことですよね?統一原理は宗教と科学を統一するための指針であって、何か別に宗教と科学を統一した形態の新しい真理があるというわけですね。

>問題はそれが「拉致・監禁」の正当化に利用されている事です。「洗脳理論」においても「マインド・コントロール理論」においても「集団力学から、まず引き離さねばならない」などと言っていますが、理論自体の妥当性が無いのですから、これは単に正当化の理屈としか言い様がありません。

「集団力学から、まず引き離さねばならない」とはどういう意味ですか?

>と言いますが、ではその「善い」「悪い」は誰が、どんな基準で決めているのでしょう?

南哲史さんという脱会者の人です。南さんの書いた本の書評です。

>人によっては、良いマインド・コントロールと悪いマインド・コントロールがあると言う。しかし、良いマインド.コントロールと呼ばれるものは、セルフ・コントロールとか、自立訓練法とか、心理療法という概念ですでに呼ばれている。ここ数年で日本の社会に急浮上したマインド・コントロールという概念は、社会心理学者の西田公昭氏が指摘するように、「破壊的カルト」と呼ぱれる組織集団が行う精神操作の技術に限定して用いるべきだと思う。そしてカルトの用いるマインド.コントロールは、不気味で異様な秘儀ではなく、ごくありふれた社会的影響力の集大成によって出来ていることを、本書もまた、著者自身体験した重みで明らかにしている。

http://www.jscpr.org/shohyo/syohyo4.htm

「良い」、「悪い」の基準は一応あるみたいですが、僕はよく分かっていません。でも、ある教義を信じて幸せになれば「良いマインドコントロール」だし、霊感商法をやって逮捕されたり、摂理の為に犯罪を犯して逮捕されたり、自分を見失うと(例えば、北上君)、「悪いマインドコントロール」だと思います。

>教会員が自分の正体を隠して伝道対象者に近づいたとしても、それは宗教の伝道にはよくある事です。すでに述べたようにパウロでさえやっていた事なのです。入教を求めるかなり前に統一教であることを告げているのだし、伝道方法については何の問題も私には発見できません。

ENOCKさんへの返答とダブるのですが、

ENOCKさん

>極端な話、正体を隠されていても結果がよければ誰も文句は言いません。いつの間にかお金を取られたり、働かされたりするのが問題なのではないでしょうか。

確かに「結果良ければすべて良し」です。でも、騙されて高額献金させられて破産したり、強制結婚で不幸になるのは問題です。あと、摂理の為に犯罪や殺人を犯して逮捕されるのはもっと問題です。

大川君

>大変、子供じみた挑発的発言はご遠慮下さい。

別に君を挑発しているわけじゃないけど。ENOCKさんとサライさんに統一協会の改善すべき問題点を伝えるために、君と北上君を利用させてもらってるだけ。君と北上君の発言がいい例になってるから。

>私を「君」と呼ぶということは、年上かと想像しますが、

僕は北上君となつみちゃんと同世代だけど、ちょっと僕の方が年上かな(この2人は、多分25歳くらい)。僕は信者でも君や北上君のような馬鹿信者には君付けでいくよ。でも、信者でもサライさんやENOCKさんのようなはっきりした信念を持った人には敬語でいくよ。ENOCKさんはつい最近まで誤解してたけど・・・。

>質問があるならば、しっかりとして下さい。
掲示板で誹謗、中傷を行ない、いじめて、自殺に追い込む、たちの悪い、いじめっ子同じではないでしょうか?
常識ある社会人としての態度を期待します。

だったら、質問しよ。キミアキさんの質問とダブるけど。

http://kitagamitetsu.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=3264885

僕はピンサロへ行ったことがあるけど、地獄へ行くの?というか、死後は自分のいやすい場所を選ぶということで、僕は地獄を選ぶことになるの?

Re: 心理学の歴史と統一教会 - かんご

2010/11/02 (Tue) 03:15:56

 実は家のパソコンぶっ壊れてしまいまして、これはマンキツからうちこんでいます。

 さてEnockさん
「現役の食口だという事ですが、ぜひご自身の体験と見聞きしたことをきちんと書いていただきたい。

 私の予感では、この現象は過去の再現であろうと思われます。聖書によれば、ソロモン王が第一神殿を建設したさい、裕福だった10部族に重い課税と労働を課しました。神殿建設自体はこの時代を「神殿理想」と講論に書いてあるように神様の摂理の1貫でしたが、重い課税と労働に苦しんだ10部族は次のレハブアム王の時に分裂し、北イスラエル王国を建設しました。南北王朝時代です。
 さて我々日本民族の出自についてはまだよくわかっていませんが、「日ユ同祖論」なるものが存在します。この説によれば、アッシリアに連衡された10部族はその後、日本に来て天皇家を中心とする国家を形成したという事です。
 もしこの説が正しければ、我々の血統には10部族の血が流れており、当然その子孫である我々は「とうげん復帰」の原則上、同じような過程を経て行く事になります。つまり、神殿理想のために重税を課せられた裕福な10部族と今日世界復帰理想のために重税を課せられた日本統一教会の食口達が重なって見えるのです。
 「日ユ同祖論」について私が調べたところ、今日ではルーテルの小石豊牧師やレムナントの久保有政牧師などが熱心に唱えていますが、それよりも統一教会に縁が深い人物として不敬事件の内村鑑三とホーリネスの中田重治がいます。
 1920年、内村と中田は共同で「再臨運動」を始めました。迫害の中、全国を講演してまわりながら内村は「今年に入ってますます再臨の予兆は深まっている」と述べています。1920年と言えば、いうまでもなくお父様文先生が生まれられた年です。内村や中田には預言者的使命がありました。
 その内村も中田も「日ユ同祖論」の信奉者であり、内村の弟子であった手島郁朗は戦後キリストの幕屋教団を設立していますが、その子息は同祖論の研究のためイスラエルに在住だとか。
 一方、そのイスラエルにはアミシャーブという10部族を探すための組織が存在しており、すでに日本民族を10部族の子孫だと認定しているそうです。アミシャーブに関してはネットで調べられます。
 私自身はこの問題に関して祈りこんでいますが、細部には問題はあっても間違はないでしょう。

 さて次の段階でくるのは何でしょう?10部族は重税と労働にくるしんで北イスラエルを建設しました。「神も仏もあるものか」と愛の減少感の中で、彼らは神様を捨て、選民である事をやめて、他の神々を崇拝し始めました。
 こうして日本統一教会の食口の受けるであろう試練を明らかにしました。では私たちは先祖達と同じ道を行くべきか?
 そうではなく先祖が乗り越えられなかった障害を乗り越えて行くべきなのです。とうげん原則があるがゆえに我々には多様な血の問題が浮上して来ますが、いずれにせよ乗り越えられない試練は無いからです。


    チェ・サンウさんへ
 サンウさんは浄土真宗の信者さんなのですか?

 中世仏教教団には2つの主要な問題がありました。一つは「神々の拝、不拝」問題であり、もう一つはすでに言われた「妻帯」問題です。妻帯問題は日本に仏教をもたらした「仏教の父」と呼ばれた聖徳太子に妻子がいた事から考えて受容の方向に進むのは当然と言えます。しかし真宗本願寺は世俗化が進みすぎました。民俗学者・中山太郎の『愛欲3000年史』によると中世の本願寺当主が地方に行くと夜とぎとして処女が一夜妻となる習慣があったと言います。また天皇や有力貴族から当主を迎えたりしていました。それはもはや仏教と言うよりも世俗権力の1つでしかない。『浄土3部経』のみを信奉すればそうなってしまうのではないかと思はれます。もともと改革宗教として生まれた仏教の「地の塩」としての意義を大きく捨ててしまっている。なので私はそれをカイン仏教と呼んでいます。
 
  <新しい真理とは統一原理のことですよね?統一原理は宗教と科学を統一するための指針であって、何か別に宗教と科学を統一した形態の新しい真理があるというわけですね。>

 自然科学の歴史をご存知だと思いますが、その初期においては宗教と科学には妥協のできない対立がありました。これは今日でもある事です。たとえば聖書は人類史を約6000年として捉えていますが、我々が知る科学では20、30万年前にクロマニオン人が現れたと言われています。これは矛盾していますが、そこで原理は「聖書は比喩と象徴によって書かれているのだ」と述べて解答を与えてくれているのです。
 ですから科学は科学で今後も発展していくのですが、今日までの自然科学はおおむねデカルトやスピノザの「機械論的宇宙論」をその枠組みとしていました。しかし20世紀後半にいたってこの「機械論的宇宙論」の枠では収まり切れない論文が数多く発表されつつあります。例えば私の好きなr・シェルドレイクの「形態共鳴説」、あるいはホーキング達の「人間原理説」など・・・。
 そのため科学は「機械論的」な枠から脱却して新しい枠組みを必要としています。
 つまり、パラダイム・シフトです。これは1970年代にはすでに科学者によって言われていました。
 「機械論的宇宙観」に代わる「有機論的宇宙論」として統一原理は存分な資格があります。

Re: 心理学の歴史と統一教会 - チェ・サンウ

2010/11/02 (Tue) 21:58:56

かんごさん

>サンウさんは浄土真宗の信者さんなのですか?

違います。でも、浄土真宗親鸞会の分派の真流一の会と関わったことがあるから興味は持ってます。

>中世仏教教団には2つの主要な問題がありました。一つは「神々の拝、不拝」問題であり、もう一つはすでに言われた「妻帯」問題です。妻帯問題は日本に仏教をもたらした「仏教の父」と呼ばれた聖徳太子に妻子がいた事から考えて受容の方向に進むのは当然と言えます。しかし真宗本願寺は世俗化が進みすぎました。民俗学者・中山太郎の『愛欲3000年史』によると中世の本願寺当主が地方に行くと夜とぎとして処女が一夜妻となる習慣があったと言います。また天皇や有力貴族から当主を迎えたりしていました。それはもはや仏教と言うよりも世俗権力の1つでしかない。『浄土3部経』のみを信奉すればそうなってしまうのではないかと思はれます。もともと改革宗教として生まれた仏教の「地の塩」としての意義を大きく捨ててしまっている。なので私はそれをカイン仏教と呼んでいます。

そもそも、仏教には一神教の神のような存在は出てきません。それに、親鸞は最初は天台宗で、修行をしていました。でも、自分は修行をして悟れる器ではないことを悟って山を降りて、法然に師事して開いた教えが、浄土真宗です。浄土真宗がカイン仏教ならば、アベル仏教は何ですか?

>>新しい真理とは統一原理のことですよね?統一原理は宗教と科学を統一するための指針であって、何か別に宗教と科学を統一した形態の新しい真理があるというわけですね。
>自然科学の歴史をご存知だと思いますが、その初期においては宗教と科学には妥協のできない対立がありました。これは今日でもある事です。たとえば聖書は人類史を約6000年として捉えていますが、我々が知る科学では20、30万年前にクロマニオン人が現れたと言われています。これは矛盾していますが、そこで原理は「聖書は比喩と象徴によって書かれているのだ」と述べて解答を与えてくれているのです。
 ですから科学は科学で今後も発展していくのですが、今日までの自然科学はおおむねデカルトやスピノザの「機械論的宇宙論」をその枠組みとしていました。しかし20世紀後半にいたってこの「機械論的宇宙論」の枠では収まり切れない論文が数多く発表されつつあります。例えば私の好きなr・シェルドレイクの「形態共鳴説」、あるいはホーキング達の「人間原理説」など・・・。
 そのため科学は「機械論的」な枠から脱却して新しい枠組みを必要としています。
 つまり、パラダイム・シフトです。これは1970年代にはすでに科学者によって言われていました。
 「機械論的宇宙観」に代わる「有機論的宇宙論」として統一原理は存分な資格があります。

それで、統一原理が宗教と科学を統一するための指針なら、統一原理とは別に宗教と科学を統一した真理があるのですか?

Re: 心理学の歴史と統一教会 - かんご

2010/11/03 (Wed) 08:24:29

    チェ・サンウさん

  <浄土真宗がカイン仏教ならば、アベル仏教は何です   か?> 


  日蓮宗です。


  <それで、統一原理が宗教と科学を統一するための指針  なら、統一原理とは別に宗教と科学を統一した真理があ  るのですか?>

  宗教と科学の統一した課題を解明する、解答として統一原理があるのです。
  では宗教と科学の統一した課題とは何か?

  例えば「この宇宙はなぜ生まれたのか?」という疑問。
サンウさんはこのような疑問を感じた事がないのですか?

  では現代科学はどのように答えているのか?
 
 現代科学は「最初に一点で光の爆発が起こった」と述べています。ドップラー効果から膨張する宇宙が発見され、その論理的帰結として「ビック・バン」説が生まれた。そしてホーキング達は「ではその爆発の前には何があったのか?」という疑問を持っている。

 今日まで科学は「なぜ?」と言う疑問を「どのように?」と言う疑問に置き換える事で発展してきました。フッサール流に言うならば「科学は過程の学問である」といえます。
 しかし今日の科学はもはやこのような置き換えが不可能な段階まで来ている。
 つまりより根本的な次元を探求しはじめているのです。
「なぜ、この宇宙は存在しているのか?」という疑問に正面からぶつかる段階に来ているとも言えます。その答えの一つとして「人間原理」説が生まれたのです。
 そしてこの「人間原理」説は統一原理の宇宙観にかなり近づいて来ているのです。

 わかります?
 サンウさんは「宗教と科学を統一する真理はあるのか?」と言いますが、そんなもの存在しないし、将来も存在しえないし、必要でさえない。
 必要なのは「宗教と科学の統一する課題を解明する真理」なのです。
 その言葉の違いと意味の違いが理解していただければ存分です。


 

Re: 心理学の歴史と統一教会 - チェ・サンウ

2010/11/03 (Wed) 23:11:40

かんごさん

>>浄土真宗がカイン仏教ならば、アベル仏教は何ですか?
>日蓮宗です。

確かに親鸞と日蓮は対立していたから、浄土真宗がカインなら日蓮宗はアベルですね。浄土真宗親鸞会も昔、創価学会(日蓮宗系の一派)と対立していました。まさにアベル・カインですね。

でも、初期仏教によると初期仏教はお釈迦様が開いた仏教そのままで、浄土真宗、日蓮宗を含めた日本の仏教は後世の人が、仏教の解釈を誤って開いた教えだそうです。初期仏教には、絶対者としての神や仏は出てきません。日蓮宗と浄土真宗には、絶対者的な仏がいますね。初期仏教長老は、日本の仏教は一神教の神に似た変なものを生み出したと非難しています。だから、アベル仏教・カイン仏教もないように思います。

>そしてこの「人間原理」説は統一原理の宇宙観にかなり近づいて来ているのです。

人間原理説は、よく分かんないけど1960年代に現れた神様が宇宙を作ったとする説ですか?

人間原理説はよく分かんないから教えてください。人間原理説が統一原理の宇宙観にどのように近づいているのですか?それ以前に、統一原理の宇宙観はどうなっているのですか?

>サンウさんは「宗教と科学を統一する真理はあるのか?」と言いますが、そんなもの存在しないし、将来も存在しえないし、必要でさえない。
 必要なのは「宗教と科学の統一する課題を解明する真理」なのです。
 その言葉の違いと意味の違いが理解していただければ存分です。

そうですね。次の箇所を読み間違えてました。

>このように、宗教と科学とは、人生の両面の無知を打開するための使命を、各々分担して出発したがゆえに、その過程においては、それらが互いに衝突して、妥協し難い様相を呈したのであるが、人間がこの両面の無知を完全に克服して、本心の要求する善の目的を完全に成就するためには、いつかは、科学を探し求めてきた宗教と、宗教を探し求めてきた科学とを、統一された一つの課題として解決することのできる、新しい真理が現れなければならないのである。

Re: 心理学の歴史と統一教会 - かんご

2010/11/04 (Thu) 08:40:19

      チェ・サンウさん

  <初期仏教長老は、日本の仏教は一神教の神に似た変な ものを生み出したと非難しています。>

  つまりその長老は大乗仏教の歴史そのものを否定している。--と。もしくは大乗仏典なんて読んだことも無いとか?ルージュ・ナーガも否定?
 その人はタイとかミャンマーの人ですかね?

 はっきり言わせていただくと、余りに無知なのでコメントする気さえ起きません。
 私は原始経典から大乗経典まで、全5000巻余を全て読んでいますが、大乗経典には明確な真理性がある事を知っています。
 サンウさん達に言いたいのですが、まず自分で原典を当たって見る事です。
 釈迦による次の言葉を送ります。

  誰かに聞いたからといって信じてはならない
  それが先祖代々からの伝承だからといって
  信じてはならない
  しかし自らの目覚めた意識が
  その事を確証する時
  存分に行動せよ
 

 あなたはどうせその長老さんの信者という訳では無いのでしょう。自分の確証しえたものだけを言って欲しいものです。誰かがこう言った、と述べてその誰かを信じてもいないのに引用するのは、いかがなものか?質問は受け付けます。
 
 
  <人間原理説は、よく分かんないけど1960年代に現れた 神様が宇宙を作ったとする説ですか?>
  
 本屋の科学コーナーに行けば天体物理学者のかいた解説本があります。簡単に言えば、「科学のいろんな定数はもしそれが少しでも違っていれば、人類のような知的生命体はうまれなかった。定数は知的生命体を生むために設定されっているのではないか?すなはち人類を生むためにこの宇宙は存在しているのではなかろうか」と言う説です。
 統一原理の宇宙観は講論に述べられています。この宇宙は神様が人を愛するために創られたものだ、と。
 



 

Re: 心理学の歴史と統一教会 - チェ・サンウ

2010/11/04 (Thu) 22:39:01

かんごさん

>つまりその長老は大乗仏教の歴史そのものを否定している。--と。もしくは大乗仏典なんて読んだことも無いとか?ルージュ・ナーガも否定?
 その人はタイとかミャンマーの人ですかね?

長老は大乗仏教を否定しています。大乗仏教は仏教を骨抜きにしたと言っています。スリランカの人です。

>はっきり言わせていただくと、余りに無知なのでコメントする気さえ起きません。
 
すみません。僕もよく分かっていません。にも関わらずコメントありがとうございます。

>私は原始経典から大乗経典まで、全5000巻余を全て読んでいますが、大乗経典には明確な真理性がある事を知っています。

そうなんですか。すごいですね。それで、統一原理の神様というのは、仏教では仏のことですか?

>サンウさん達に言いたいのですが、まず自分で原典を当たって見る事です。
 釈迦による次の言葉を送ります。

僕は別に原典に当たらなくてもいいと思っています。たった一つ「無常」さえ分かれば十分だと思います。僕はまだ無常が分かっていませんが。

>あなたはどうせその長老さんの信者という訳では無いのでしょう。自分の確証しえたものだけを言って欲しいものです。誰かがこう言った、と述べてその誰かを信じてもいないのに引用するのは、いかがなものか?質問は受け付けます。

そうですね。僕もここでは、「初期仏教の長老が言ってた」と言って根拠にしていますが、「誰かが言ってたから」は根拠にならないと思っています。それに、この論法は嫌いです。ただ初期仏教の考え方は賛同できるし、実際「初期仏教」というくらいだから、お釈迦様が説いた仏教を100%でなくても、伝えていると思っています。別に初期仏教の内容をお釈迦様が説こうがイエス様が説こうが、僕にとっては問題ありません。自分を内省するのに良い教えだと思います。

かんごさんは、統一原理を信じているんですよね。自らの汚い心、確か統一原理では堕落性とか邪心と言っていますが、無くせている実感はあるのですか?僕は自分の汚い心に振り回されている毎日です。

>本屋の科学コーナーに行けば天体物理学者のかいた解説本があります。簡単に言えば、「科学のいろんな定数はもしそれが少しでも違っていれば、人類のような知的生命体はうまれなかった。定数は知的生命体を生むために設定されっているのではないか?すなはち人類を生むためにこの宇宙は存在しているのではなかろうか」と言う説です。
 統一原理の宇宙観は講論に述べられています。この宇宙は神様が人を愛するために創られたものだ、と。

ありがとうございます。確か創造原理ですよね。それで、神様が2性性相の構造を持っているということですが、かんごさんはどのようにして確信を持っているのですか?

Re: 心理学の歴史と統一教会 - かんご

2010/11/08 (Mon) 11:56:37

    チェ・サンウ

  <神様が2性性相の構造を持っているということです   が、かんごさんはどのようにして確信を持っているので  すか? >

  私は原理を知る前にすでに『易経』を読んでいたので特に違和感を感じませんでした。
 『易経』は「この世界の全ては相互に相対的に関係しており。その関係性の中で大いなる変容の過程が進行しているのだ」と述べています。
 そのような文面に従って「陰陽5行説」も理解しなければなりません。
 ですから原理における陰陽も相対的な関係性について述べているのであって、決して「構造」の事ではありません。ちょっと難しくなってしまったかも知れませんが、我々がこの宇宙や自然環境を見回して見る時、陰性と陽性の相対的関係を見つける事はそんなに難しくはないはずです。
 「なぜ人に男と女があるのか?」
 「なぜ動物にも雄と雌がいるのか?」
 「なぜ核の周りに電子がまわっているのか?」

 そこで統一原理はこう答えている。
「それはね、全ての第一原因である神様に元々そういう要素があったからだよ。だから神様が自己表現されたこの宇宙や自然にはそのような関係性が共通して見られるのだ」と。

 このなぜ?と言う疑問をもっている事が原理講論を読むときにはとても重要なのです。
 

 <かんごさんは、統一原理を信じているんですよね。自らの汚い心、確か統一原理では堕落性とか邪心と言っていますが、無くせている実感はあるのですか?僕は自分の汚い心に振り回されている毎日です。>


 瞑想中に多様な妄想や煩悩が湧き上がってくることが昔はよくありました。いまでもありますが対処法はわかっているので問題はありません。そういう妄想や煩悩は湧く時には湧くにまかせてとりあわないでいればよいのです。そうすれば自然におさまるからです。
 最近私は瞑想など特にしなく成りました。
 そんな暇がないし、瞑想などしないでも一心不乱に何かをしていても同じだからです。私はいつも何かテーマを持って、考えており、そうすると町を歩いていて向こうからミニスカートの若い娘さんが歩いて来ても目に入らないし、入っても何の感情も湧かない事がよくあります。昔はそうじゃなかったのだから、少しは進歩しているのです。
 嫉妬などの感情も湧いてもとりあわないだけです。「お、まだ俺にもこんな人間っぽいところがあるじゃないか」と喜んでしまいます。嫉妬に支配されて他人を殺したとか、嫉妬によって他人に意地悪したとかすると、問題ですが、心の中に嫉妬心が湧いたとしてもそれ自体は何の問題もありません。
 それは本性の影のようなものだと講論にも書いてあります。
 煩悩だってそれが湧いたからといってそれ自体は問題ありません。問題はその煩悩に支配されて行動することです。
講論から言えば、モーセが血気に支配されて石板を割った事件がありましたが、もしモーセの心に血気や怒気が湧いたとしても石板を割るという行動がなければ何の問題も無いのです。
 自分の心を観察するのは大切ですが、自分の心の中に煩悩や堕落性、コンプレックスなどがあっても嘆く必要もないし、ただそれらに支配されないように生きていくべきなのです。


 <そうなんですか。すごいですね。それで、統一原理の神様というのは、仏教では仏のことですか>

 違います。
 
 



 

Re: 心理学の歴史と統一教会 - チェ・サンウ

2010/11/09 (Tue) 21:55:56

かんごさん

返答する前に確認させてください。

かんごさんは統一原理を真理だと思っているようですが、事実と捉えているのですか?例えば、僕は統一原理を信じていませんが、僕には原罪があって統一原理が言うあの世があり、いつかは僕もそこへ行くと考えているのでしょうか?

>>そうなんですか。すごいですね。それで、統一原理の神様というのは、仏教では仏のことですか>
> 違います。

でも北上君はこんなことを書いてます。北上君の言うことだからあてにならないけど、信者同士で理解がバラバラのような気もします。

>統一原理では、各宗教に出てくる神や仏はすべて1人の神様と説きます。だから、浄土真宗で出てくる阿弥陀仏は、実は、二性性相の神様なのです。

http://makotonoai.web.fc2.com/life_out_of_principle2.htm

それと以前にした、この発言について聞きたいことがあります。

>梶栗発言 大賛成だね やっと言いたい事をちゃんと言う人が会長になった、て感じだ。
「郭はサタン」だし「霊感商法は何も悪くない」
買う人はその時、納得して買ったのだし、ちゃんと効果もある。効能に偽りなしってやつだ。物しか見えない唯物論者が自分が理解出来ないものを、インチキだって決め付けてるだけで、彼らは誰も救えやしない。

http://kitagamitetsu.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=3256617

これは、騙しや脅しがない霊感商法のことを言っているのですか?騙されたり脅されたりして、その場で納得することも考えられます。

Re: 心理学の歴史と統一教会 - かんご

2010/11/10 (Wed) 11:18:28

       チェ・サンウさん

  <統一原理を真理だと思っているようですが、事実と捉えているのですか?例えば、僕は統一原理を信じていませんが、僕には原罪があって統一原理が言うあの世があり、いつかは僕もそこへ行くと考えているのでしょうか>

  サンウさんは死後、自分はどうなると考えているのですか?
 
 この問題は多くの人が意識的、又は無意識的に避けている問題です。誰だって死んだらどうなるかなんて想像したくありませんから。
 
 しかし、大別すれば2つの立場しかありません。
1つは、死んだら意識はなくなり、何も残らない。とする説です。
2つ目は死後の世界があり、肉体は滅ぶが意識は残る、と言う説です。
 サンウさんはどちらの説が正しいと思うのですか?


 、<信者同士で理解がバラバラのような気もします>

 それは当たり前ではないでしょうか?知識も年齢も背景も違うのですから。
 仏典で言うならば、大日如来のあり方は少し造物主の概念ににてます。しかしイコールではありません。空海は大秦寺という景教の寺に滞在して「旧約聖書」を持ち帰った、だから大日如来はキリスト教の神と同じだ、と言う説もあるのですが、おそらく謬説であろうと私はにらんでいます。
 阿弥陀如来はマンダラの中で西方に位置する如来ですが、これは造物主というよりも、キリスト教神学の西の天使の概念に近い存在です。しかしそれよりもミトラ教の影響の方が気になり、いずれにせよ大乗仏典成立の秘密にかかわっており、簡単な結論は不可能です。

  
  <騙しや脅しがない霊感商法のことを言っているのですか?騙されたり脅されたりして、その場で納得することも考えられます。>
 
 騙したり、脅したり、とは?

 80年代、教会親派であった私は頼まれて、兄を連れていわいる霊感商法の現場に行きましたが、特に脅かされたような経験はしていません。なるほど 姓名判断や霊界の話はしていましたが、それは脅しと言うよりも親身になって話していると言う感じのものでした。兄は私と違って当時、ごちごちの唯物論者でしたが、私たちはとても仲がよく、もし私が「買えば」といえばすぐに買ったのでしょうが、私は何も言わず、経過を見守っていました。結局何か感じたらしく彼は30万円もする印鑑を買いました。あとで私に「霊界なんてあると思うか?」と聞くので「死んだら分かるんじゃないの」と答えました。
 当時彼は人生の過渡期にいたので何でも自分の自信につながるものが欲しかったのでしょう。
 子供の頃から心臓が肥大気味で、生命線が短く、早死にすると言われていた彼はまだ生きており、それなりに幸福そうです。別に印鑑を買ったから、早死にしなかったなどと言うつもりはありません。しかし、彼がポジティブに生きるための小さな心の支えにはなっているはずです。

 食口の中にはいろんな人がいますから、中には実績をあげるために高圧的な態度をとって威圧しながら、印鑑や壷を買わそうとした人がいたかも知れません。
 しかし私の知る食口達はおおむね良心的であったし、心やさしい人達でした。久保木修己さんに会った時には、あまりにもやさしいオーラがでていたので、驚いたほどです。

 サンウさんが教会に行った時にはそうではなかったのですか? 

Re: 心理学の歴史と統一教会 - チェ・サンウ

2010/11/13 (Sat) 23:48:01

かんごさん

>この問題は多くの人が意識的、又は無意識的に避けている問題です。誰だって死んだらどうなるかなんて想像したくありませんから。

そうですね。生きとし生けるものは人間、動物に関わらず死にたくありません。でも、我々は動物を殺して食べて生きているのです。
 
>しかし、大別すれば2つの立場しかありません。
1つは、死んだら意識はなくなり、何も残らない。とする説です。
2つ目は死後の世界があり、肉体は滅ぶが意識は残る、と言う説です。
サンウさんはどちらの説が正しいと思うのですか?

立場は3つあると思います。3つ目の立場は、「死後のことは分からない」と言う立場です。僕は、「死後のことは分からない」と言う立場を取っています。あることもないことも証明できないからです。釈尊も「死後のことは分からない」という立場だったと思うのですが、どうして転生輪廻のような死後のことについて説いたのか分かりません。かんごさんはこのことについて知っていることがあったら、教えてください。

確か釈尊は、分からないことに無理やり答えを出すようなことを否定していたと思います。

余談ですが、死後の世界のようなあるのかないのかはっきりしないことについて、あるかないかはっきりさせたい思考のことを、ゼロ・イチ思考と呼びます。「ある」が1で、「ない」が0だと思います。その中間の、「分からない」という立場をとれない人のことで、カルトと呼ばれる教団の信者の思考の特徴です。

>それは当たり前ではないでしょうか?知識も年齢も背景も違うのですから。
 仏典で言うならば、大日如来のあり方は少し造物主の概念ににてます。しかしイコールではありません。空海は大秦寺という景教の寺に滞在して「旧約聖書」を持ち帰った、だから大日如来はキリスト教の神と同じだ、と言う説もあるのですが、おそらく謬説であろうと私はにらんでいます。
 阿弥陀如来はマンダラの中で西方に位置する如来ですが、これは造物主というよりも、キリスト教神学の西の天使の概念に近い存在です。しかしそれよりもミトラ教の影響の方が気になり、いずれにせよ大乗仏典成立の秘密にかかわっており、簡単な結論は不可能です。

世界には様々な宗教があり、統一協会はそれを統一しようとしていると認識しています。内部で統一できないのに、世界レベルで統一ができるのですか?

  
<騙しや脅しがない霊感商法のことを言っているのですか?騙されたり脅されたりして、その場で納得することも考えられます。>
 
>騙したり、脅したり、とは?

統一原理的にも、壷を買わないと先祖に呪われるというのは間違っているのですよね。だから、「壷を買わないと先祖に呪われる」と言って壷を売ることが騙しです。壷を買わないと先祖に呪われることを強調することが脅しです。

>80年代、教会親派であった私は頼まれて、兄を連れていわいる霊感商法の現場に行きましたが、特に脅かされたような経験はしていません。なるほど 姓名判断や霊界の話はしていましたが、それは脅しと言うよりも親身になって話していると言う感じのものでした。兄は私と違って当時、ごちごちの唯物論者でしたが、私たちはとても仲がよく、もし私が「買えば」といえばすぐに買ったのでしょうが、私は何も言わず、経過を見守っていました。結局何か感じたらしく彼は30万円もする印鑑を買いました。あとで私に「霊界なんてあると思うか?」と聞くので「死んだら分かるんじゃないの」と答えました。
 当時彼は人生の過渡期にいたので何でも自分の自信につながるものが欲しかったのでしょう。
 子供の頃から心臓が肥大気味で、生命線が短く、早死にすると言われていた彼はまだ生きており、それなりに幸福そうです。別に印鑑を買ったから、早死にしなかったなどと言うつもりはありません。しかし、彼がポジティブに生きるための小さな心の支えにはなっているはずです。

このようにプラスにとらえられる人ばかりだったら、統一協会は霊感商法と言って、世間からこんなに叩かれないと思います。

>食口の中にはいろんな人がいますから、中には実績をあげるために高圧的な態度をとって威圧しながら、印鑑や壷を買わそうとした人がいたかも知れません。
 しかし私の知る食口達はおおむね良心的であったし、心やさしい人達でした。久保木修己さんに会った時には、あまりにもやさしいオーラがでていたので、驚いたほどです。

信者がみんながみんなかんごさんの知る信者だったり、サライさんやENOCKさんみたいな信者だったら、統一協会もこれほど問題視はされないと思います。

>サンウさんが教会に行った時にはそうではなかったのですか?

僕は統一協会に所属していたわけではないので分かりません。でも、知らずに2daysに参加した時はみんな親切な人ばかりでした。とても、北上君や大川君と同じ信者だとは思えません。

Re: 心理学の歴史と統一教会 - かんご

2010/11/21 (Sun) 13:24:40

     チェ・サンウさんへ
 しばらく仕事が忙しくこのスレに参加できませんでしたが、お元気でしょうか?

  <僕は統一協会に所属していたわけではないので分かり ません。でも、知らずに2daysに参加した時はみんな親切 な人ばかりでした。とても、北上君や大川君と同じ信者だ とは思えません。>

 それは貴重な体験です。
 後はその体験を軸にして真実を見極めていけばよいのです。北上兄や大川兄も会ってみれば親切でやさしい人達だと思います。けれども自分が信奉し敬愛している統一原理や文先生の事を悪く言われて、何か言いたいのだけど上手く言えず、悶々としているのです。サンウさんも挑発しているような面があり、それでは建設的な方向へは進まないでしょう。

 
  <かんごさんはこのことについて知っていることがあったら、教えてください。>

 日本にヨガを輸入し広めた第一人者は沖正弘と言うひとでしたが、彼は生前このように言っていました。
 「ヨガをしていれば、霊能力や超能力のようなものが自然に出てくる事もあるが、それを求めたり、捉えられたりしてはいけない。もしそうすれば魔道に落ちてしまうだろう」と。
 これに関連する私の経験もあるのですが、それよりも友人Hの話をしましょう。Hは今も私の友人であり、整体指導者として活躍しています。
 私達がまだ若いころ、Hに透視能力が出てきた事があり、私達はその能力をイロイロと実験したりしていました。ある日Hの部屋に6人の友人が集まり、その内3人までがトランプを透視する事ができるようになってしまった。それで私は「こうした能力は伝染するのかな?」と思ったのですが、その時部屋の空気が微妙ににごるような感じがしたので、後でそれをHにそれを伝え、「気が濁る感じがするから、その能力は使わない方がよいのではないか?」と述べました。
 Hも「自分でもそうゆう感じがしている」と言って以後封印しました。

 それから何年か経って、ある時Hのヨガ教室にオウム真理教のパンフレットを持ってきた者がいて、それには「ショウちゃんの様に超能力者になろう」と書かれていました。それで私達は「これは魔道に落ちてしまうのではないか?」と話していました。けれどもそのヨガ教室からも何人かはオウムに見学に行ったと言う話です。
 それからまた何年か経って、オウムの事件が起こったのでした。

 こんな話をしたのは釈迦がヨガの修行をしたのは事実だからです。ゆえに何らかの能力を持っていただろうと類推します。仏伝に述べられる天眼通や他心通が実際にどの程度のものだったのかは知りません。


 

Re: 心理学の歴史と統一教会 - チェ・サンウ

2010/11/21 (Sun) 23:04:48

かんごさん

>それは貴重な体験です。
後はその体験を軸にして真実を見極めていけばよいのです。

もう答えは出ています。まず、統一原理は信じる価値はありません。かつて、浄土真宗親鸞会の分派の真流一の会に洗脳されかけた時に、仏典は直接読んでいませんが、市販の解説書(?)を読んで、普遍的で客観性があるものが真理だと思いました。

>北上兄や大川兄も会ってみれば親切でやさしい人達だと思います。けれども自分が信奉し敬愛している統一原理や文先生の事を悪く言われて、何か言いたいのだけど上手く言えず、悶々としているのです。

そうかもしれませんね。人間は皆根本的には、汚い心を持っていて自分が信じるものを批判されると、反発したくなります。僕もそうです。北上さんと大川さんは、人間なら誰でも持っている心理が働いただけだと思います。

>サンウさんも挑発しているような面があり、それでは建設的な方向へは進まないでしょう。

以前、真流一の会のサイトに書き込んでいたことがあるけど、これがほとんど初めてで、ネット上のマナーは知りませんでした。だから、会話にもなりそうにない信者には、挑発的に話しかけていました。

>こんな話をしたのは釈迦がヨガの修行をしたのは事実だからです。ゆえに何らかの能力を持っていただろうと類推します。仏伝に述べられる天眼通や他心通が実際にどの程度のものだったのかは知りません。

すみません。少し勘違いしていました。釈尊は死後のことは、「分からない」と言ったのではなく、「死後のことは考えるな」と言ったのでした。

Re: 心理学の歴史と統一教会 - かんご

2010/11/24 (Wed) 05:18:27

        チェ・サンウさん
  

 
  <釈尊は死後のことは、「分からない」と言ったのではなく、「死後のことは考えるな」と言ったのでした>

 生老病死に悩んだ釈迦が得た答えが「死後の事は考えるな」であったとしたら、釈迦の6年の修行もあまり意味がなかった、と言うしかありません。
 さらに死後の導書である『チベット死者の書』などが書かれる事もなかったでしょう。

 原始経典群アーガマの中には、弟子の目漣が釈迦に自分の両親の死後を問う話があります。
 釈迦が天眼通を使って見ると目漣の両親は無間地獄で苦しんでいた。人々は「目漣ほど立派な人の両親さえ無限地獄に落ちるのだとしたら、いったい誰が救われるのか?」と驚いた、と言う話です。

 「死後の事は考えるな」とは言っていないけれど、そのようなスタンスをとっていたのは孔子でしょう。


 <統一原理は信じる価値はありません>

 と結論をだせるほど原理の事を知らない。基本的に聖書も読んでいなければ、哲学の伝統に乏しい我が国民は、原理講論を一度読んだくらいでは理解できません。例えば「第一原因」と言う言葉があり、この言葉は哲学の伝統を知っている者ならば理解できますが、そうでなければ理解し難い言葉です。食口の中でも半分以上が誤解しているらしいふしがあります。
 せめてアリストテレス哲学やその影響を受けたトマス・アキナスの『神学大全』ぐらいは読んでいて欲しいし、もしそれが理解できれば、講論の哲学性や斬新な面もそれなりに理解できるでしょう。
 ユング心理学徒として、集合無意識の研究のため、ありとあらゆる宗教書にも眼を通している私は『原理講論』が正統哲学の伝統を踏まえながら、啓示的飛躍をとげた、優れた宗教書である事を知っています。
 

Re: 心理学の歴史と統一教会 - かんご

2010/11/25 (Thu) 02:41:16

        みなさんへ

 そろそろ仕事が煮詰まって来たので、このスレを去ろうと思っています。
 私としてはちょっとしたリハビリのつもりでしたが、色々と確認できたものもあり、それゆえにちと意地悪な質問をしてくださったチェ・サンウさんには感謝しています。
 これは皮肉ではなく、本心から感謝しています。

 そのうち又参加するかも知れません。また他のどこかでこの名前を見たら声をかけてください。
 わたしのネットでの名前は常に「かんご」であり、それ以外の名前を使う事はありません。

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