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昔の日記より - ENOCK
2011/01/23 (Sun) 01:00:38
長文になりますが、引越し荷物を整理していて昔の日記をみつけました。
ENOCKが学生時代、教会に入った初期の頃の日記で懐かしく読み返しました。一部注釈を入れていますがほぼそのままアップします。
その頃感じていたENOCKの考えはその当時から今に至るまで変わっていません。ただ、私にもっと甲斐性があればと不甲斐ない自分にもどかしさを感じることは多かったです。
以下本文-----
原理が真理であるかどうか。それを問う以前に、原理とは何を指すのか。何がいわゆる原理なのか?・・・
自分がこの道を前向きに考え始めた理由は、紹介された理論の全てが真理だと思ったからではない。神は本当にここで言っているような二世性相の神なのか。神の創造の目的は?人間始祖の堕落の経路は?霊界は?どれも確かめるすべがない。ただ確実にいえるのは、お父様の思想と生き様が素晴らしく美しいということ。例えそれが作り話だったとしても、そのような生き方をしてみたい。そのような愛の器を持ってみたいと思ったことだった。このように生きられるならそうありたい。そうなりたい。神を知ることによってそうなれるのであれば神に出会いたい。そんな思いがこみ上げた。
6日セミナーに参加した時点では強がって聞いていた。原理研に負けるもんか。統一原理なんて言っているが大したことはない。どこかで必ずぼろが出る。そう思いながら、あら捜しのために真剣に講義を聞いたし、つとめて人格者ぶってふるまった。現代の摂理歴史の講義でビデオを見た。祝福や姉妹血縁の様子だった。その時、文鮮明という人物はすごいんじゃないかと思うようになった。世界平和を願う人間は多いが、そのための具体的な方策と資源を持っている人は少ない。その中でこの人が示す理想世界、世界平和へのビジョンは、真の愛であり、犠牲的愛であり、そして家族的な関係で世界をひとつにするというものであった。法学部で、それなりに政治にも関心があり、世界で起こる紛争、戦争の根本的解決の方策を誰も提示し得ないことはわかっていた。武器をなくすだけでは争いはなくならない。人の心の中にある憎みあう心が解かれなくては、人々はたとえ武器を取り上げたとしても素手でも殺しあうことだろう。愛と許しと犠牲の精神をもって、歴史的に積もった複雑に絡み合う恨みの因縁を一つ一つほぐすように解いていく。そしてまた男女の愛の本来のあり方、そこに形作られる理想家庭。ああ、この人は本気で世界を変えようとしているのだと感じた時、我知らず涙が溢れ出て来た。それと同時にこみ上げてきたのは原研に対する裁きの思いだった。この人たちはいったい何をやっているのだ。どうしてこれを世に明かしていかないのか。自分たちがどういう方の名を背負っていると思っているのか。創始者の意識とずれてしまっているのではないか。そのような思いから、彼らといっしょにやっていく気にはなれなかった。自分はこの人たちとは一線を画し、別の形でこの運動に携わろう、そう思った。
そんな自分が原研に入り、教会員になったのはひとえに霊の親(伝道者)からの投入だった。
自分自身の体験を踏まえて確信を持って言えることは、愛を受ければ人は変わるということ。愛されてうれしくない人はいないし、自分に良くしてくれる人に対して悪く扱えば必ず良心の呵責を感じる。結局愛のある人、愛が所有を決定する。誰もが、愛のある人に主管されたいと願う。人間に限らず万物も全てがそうだ。暴力や恐怖による主管、律法による主管、そこに永続的な安定はありえない。正しき愛の秩序こそが真の幸福と平和をもたらす。愛があれば対象は自ら主管されにやってくる。要はそんな真の愛がもてるかどうか。愛の力というものを、きれい事としてではなく、具体的現実として、実感としてまざまざと見せつけられ、これは真理であると確信したのだった。
自分は天国に行くということに対して魅力を感じない。死後にどこに行くかなどどうでも良い。ただ天国を建設したい。そのために人々を感化しうる人格を備えたい。
人は愛と真理で育つ。愛と真理に満ちた学舎(原研寮)を築き、生活圏内で兄弟姉妹たちが善なる感化を受け自然に善悪分別されていく、そのような学舎となり、原研の新たな歴史を始めたい。日本の問題は心情問題といわれる。つまるところ原研の課題がまさしく日本統一教会の抱える課題そのものである。父母が立つまでは兄弟姉妹は互いに闘わざるをえなかった。横の関係にはサタンが入った。これからは逆に理想家庭のモデルを提示し、我々自身の中にも実感として理想の家庭、兄弟姉妹関係が根付き将来理想家庭を築いていかねばならない。学舎生活は愛の訓練の場ではなく愛の実践の場になる。良いものならば、魅力あるものならば人は自然に惹きつけられてくる。時々内部の兄弟姉妹すらさえもこの道の魅力を見失う。信じ、信じさせる時代から、知り、見せる時代へ、我々がどこまでみ言の実体となることができるか。一人一人が神様父母様に誇りをもち輝くことができるか。我々の目標は入信や祝福を受けさせることではないことは明らかだ。それらは通過点に過ぎない。質の向上なしに人数の増加は見込めない。奇跡を狙うのではなく着実に財産を増し加えていかないと。我々の愛の器が問題であり、今現在の人数は問題ではない。お父様はたった一人から出発された。ただ違うことはお父様は原理を知っているが我々は本当の意味で原理をしらない。勝利できなければ我々には原理を真理だと言う資格はない。正義は勝たねばならないし、真理は実証されねばならない。
Re: 昔の日記より - チェ・サンウ
2011/01/23 (Sun) 22:16:24
ENOCKさん
>長文になりますが、引越し荷物を整理していて昔の日記をみつけました。
ENOCKが学生時代、教会に入った初期の頃の日記で懐かしく読み返しました。一部注釈を入れていますがほぼそのままアップします。
その頃感じていたENOCKの考えはその当時から今に至るまで変わっていません。ただ、私にもっと甲斐性があればと不甲斐ない自分にもどかしさを感じることは多かったです。
ENOCKさんの気持ち分かりました。当初は馬鹿信者扱いしてすみませんでした。
Re: 昔の日記より - チェ・サンウ
2011/01/25 (Tue) 21:41:25
ENOCKさん
ブッタとシッタカブッタよりこのコメントにふさわしいと思われる言葉を贈ります。ブッタとシッタカブッタは、僕が価値観の出発点にしている本の1つで、仏教をテーマにした漫画です。初期仏教とは書いてないし、親鸞会問題に取り組む浄土真宗の僧侶から紹介された本だから、初期仏教かどうかは分かりませんが近い内容が書かれています。サライさんにもふさわしい言葉だと思います。
●
太陽を見るだけ
空を見るだけ
海を見るだけ
星を見るだけ
鳥を見るだけ
花を見るだけ
それがあなたを気付かせる
太陽や月やバラの花を理解しようとか肯定しようとかしないでしょう
まず自分の人生も評価を入れることなくただ見ること
それがあなたを気付かせる
ただ見ることがあなたを救うでしょう
●
出典:小泉吉宏著:ブッタとシッタカブッタ2巻
http://fanblogs.jp/wintersonata/archive/8/0
http://fanblogs.jp/wintersonata/archive/13/0
この文では、余計な主観を入れないでただ自分を見つめなさいと言っています。
人間は理想を描く生き物です。しかし、その理想と現実のギャップに苦しんでいるのです。理想が高ければ高いほどそのギャップに苦しみます。ENOCKさんが描く文鮮明氏の像は理想としてかなり崇高だと思います。理想を持たなければ苦しみませんが、理想を持たないことはできません。
理想を持つなというわけではなく、理想と現実のギャップに苦しんだ時にこの言葉を思い出すだけで十分です。
ただ、見るだけ。文鮮明氏が理想でその理想を追いかける自分を、ただ見るだけ。
Re: 昔の日記より - チェ・サンウ
2011/01/26 (Wed) 22:40:22
ENOCKさん
このコメントは統一協会に賛同しようが反対しようが重要だと思います。それに、僕の掲示板で議論するのにふさわしい内容です。だから、コピペで僕のサイトにも掲載させていただきました。これで、売り上げが・・・。
http://choisangwoo.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=3681463